見出し画像

年末

年末がやって来るな。そう思いながら蜜柑を剥いていた。年賀状も書き終わったし、おせちを作るには早い。テレビで天気予報をぼんやりと眺めた。

今年の年末は九州の南の方から上陸し、海水浴場(冬季シーズンは誰も居ない)でお茶を飲んで一休みした後まずルート通りに蜜柑農家に立ち寄る。
のそのそと時速10キロで移動中だ。
年末は南の海で育つ。そちらの海でも資源枯渇のためにあまり魚を食べ続けることが出来ず太ることが出来なかったが、それなりの脂肪を蓄え北へ行くつもりになったようだとテレビの中継のリポーターが伝えている。

海底の底から金目のものを蜜柑農家に落とし、交換に蜜柑をたくさん抱えて北を目指す。大判の風呂敷に蜜柑を数十個ずつ潰さないように包んでもらい、年末は魔力と自らのハイパワーで蜜柑を運んで行く。

数枚の大判の風呂敷を農家のサービスで足に巻いてもらって(良い顧客なのだろう)深夜静かな時間帯をあまり見つからないように歩いている。すれ違う者は少ないがうっかり出会ったしまった知人は大きな鳥を携えて歩いているようだったと言っていた。色とりどりの鳥に見えたそれは風呂敷に包まれた蜜柑であり、大きさ形色様々だ。ふわふわと年末の回りを守るように漂い移動している。

私は蜜柑の皮を窓の下の乾燥させる場所(新聞が引いてあるだけ)に投げた。年末が蜜柑を持ってやって来るというのに人とは欲張りなものだ。正月に舞う獅子に蜜柑の皮を食べさせると縁起が良いからとのことで皮を乾燥して溜め込んでいる。年に一度しか餌があたらないので獅子はガツガツと皮を無限にというほど食べる。食べる姿は可愛い。木製の歯がカツカツいうのも含めて可愛い。

年末はそれに合わせて蜜柑を各家庭人数分だけドアの前に蜜柑を置いていくのだ。一人適量の幸福と獅子の餌やりを兼ねて。ただ一部な欲張りな人間によって獅子もとち狂いだし、獅子も増え、間引きもしないものだから増えて酷い。もうそろそろ町内会役員達が騒ぎそうではある。正月の一時しか表れないがこの頃の現代人は五月蝿いとすぐ苦情を言う。私も皮を溜め込むのを辞めたら良いのかも知れないが、幸福と言うものはどのくらい分量があって良いのかわからないし、適量な幸福を年末に決められるというのも癪であるではないか。

年末が来る。

蜜柑を配り終わり役目を果たした年末は北の海、オホーツク海にまで到達し、その身を海水にざぶりと投げてご来光を浴びるとひゅるりと透明になり海の一部となってまた、流れ流れて南の海へたどり着くそうである。

#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?