チラシの裏に書いても書いても、まだ人に話したい、ということ

そろそろTwitter、辞めようか。インターネット、辞めたほうがいいんじゃないか。そんなことを考える日があった。2010年、新卒の就職活動時期にあまりの情報不足に苦し紛れで始めたTwitter。

あれからはや、7年が経った。もう社会人として6年やってきたんだし、別にネットでいろいろやることなくね?インターネット上にアカウントを作ることは、義務でもなんでもない。誰かに言われたわけでも、誰かに誇示したくてやっているわけでもない。しいていうならば、昔から見ていてくださる方々に対して、「相変わらず元気でやってるよ、まだまだやれるよ」と報告したい、ということくらいか。

自分の脳内会議では、様々なやりとりが行われた。「失言したら、人に迷惑をかけるぞ!」という意見もあれば、「いやいや、SNS上で影響力をもっと本気で増大させていくべきだよ。今後にも役立つし」などという意見もあった。(※すべて脳内の自分による発言です)

結果、自分会議では、Twitter並びにインターネットを辞めることを取りやめる、という決議が出たのだった。

なぜか?インターネット上で文章を書いて、自分の中の暗黙知を形式知化していくことを止めたくなかったからだ。

2010年にTwitterを始めるまでは、文章を書く機会といえば、mixiだった。(当時はまさにmixi全盛期、まだ招待制の時代)頭の中のもやもやは多少mixiでもはっきりさせられたが、Twitterのそれとは比較にならなかった。

Twitterは(noteもだが)、まだ頭の中に断片しかない考えを、とりあえず表に出して次なる考えの材料にするにはとても心地がいいツールである。今まで何度も、「そんなこと、チラシの裏にでも書いておけよ」と言われたことはある。みくびられては困る、僕もA4サイズのコピー用紙やチラシの裏にもやもやを日々書いている。それでも、もっと発したい言葉があふれ出てくるのだ。

言葉にすればするほど、自分の中で考えられていなかったものに、形が与えられる。それを繰り返すたびに、考えが形を変え、大きくなり、また小さくなる。そんな行為自体が、とてもたのしい、ぼくは。

それにしても、なぜTwitterもnoteもこんなに書きたくなってしまうのだろうか?僕の考えでは、「タイムライン」のせい(おかげ)だ。タイムラインがあると、人がたくさん、いろいろなことを話している、書いている。たくさんの人が話している場所では、「何か言いたくなる」のだ。渋谷のハチ公前で喧噪の真っただ中にいると、なんとなしに友達に話をしたくなる。なんだかアレに、似ている。

誰かに話そうとするってのは、案外悪くない。チラシの裏に書いても書いても、人に話したいと思うことがある。それが人間なのだ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

ありがとうございます!noteを書く励みになります。頑張ります!
29

神農亮

インドネシアや、フィリピンで働き、いま東京で働いています。人と組織、個人と環境、キャリアなどに興味を持っています。noteは、「そうそう、この前こんなことがあったんだよね」と友達に話すようなことを毎日貯めていく場として活用中。

感じる、思う、考える。 (2017)

日々の生活の中で、感じ、思い、考えたことを格納する公開メモ帳のようなもの。2017年に書いたものがまとめられています。
1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。