【期間限定で無料公開】月野さんのギター

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ノート

小説「月野さんのギター」第1章

今、俺のななめ前のテーブル席に、ナナミと西山が並んで座っている。後ろ姿しか見えないが、見間違えようがない。西山の腕はナナミの腰に回されていた。それから、二人は見つめあって笑うと濃厚なキスをした。
 あれだあれ、そっくりさん。なんだっけ。そう、ドッペルゲンガーと、つぶやいてみる。少しだけ愉快な気分になった。いや、嘘だ。まったく嘘だ。愉快な気分になんかなれるわけがなかった。
 俺は携帯電話を握りしめた

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小説「月野さんのギター」第2章

数日間は体中が重くて、何をする気も起きなかった。いつまでもベッドの上でだらだらと寝ていた。せっかくの休みだったが、ナナミと会うために空けた時間だと思うと、東京での出来事が思い出されて、気力が根こそぎ奪われた。

 携帯がときどき鳴った。メロディーでナナミからだと分かった。体を起こして手に取ったのに、液晶の画面に現れた七海という文字を眺めるばかりで、ボタンを押す気になれなかった。なんて言えばいいのだ

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小説「月野さんのギター」第3章

月野さんのギターを初めて聞いたのは、去年の秋だった。

 長い夏休みが明けて、試験が始まり、それが終わると、大学は再び休みとなった。ナナミの大学は私立だからスケジュールが違っていて、俺が休みになったとたん、試験が始まってしまった。することもないし、じゃあ、バイトでもしようかと、俺は重い腰を上げた。夏の暑さがピークに達するまでは、不定期に引越し屋のバイトをしていたが、京都の暑さに耐えきれず休んでいた

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小説「月野さんのギター」第4章

ナナミとのことをどうするか。一人でいくら考えたところで、結論は出そうになかった。そういえばナナミが何日に来るのか聞いていない。本当なら、明日までは東京で過ごしているはずだったから引越しのバイトは入れてないし、塾も休みだった。だから、いつでもいいよと答えたことは覚えている。
 まあいいや、どうするかは顔を見てから決めよう。俺は、またしても問題を先延ばしにして、そのまま眠った。

 チャイムの音で目が

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小説「月野さんのギター」第5章

決意を決行するのは二日後、木曜日の夜。三月に入ってから月野さんが再びあの場所で歌い始めていることは、すでに先週、確認済みだった。

 先週の木曜日、東京に行く二日前だ。大学は春休みになっていたし、三月になって寒さもやわらいできていたから、もしかしてと思って、わざわざ俺はあの町に出かけていった。商店街の入り口で、なつかしい声が聞こえて、俺は立ち止まった。歌はテープで毎日聞いているから、ほぼ覚えていた

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小説「月野さんのギター」第6章

連絡をすると言われたけれど、俺は、それをあてにしていなかった。逃げられたのだろうというくらいにしか思っていなかった。

 バイトがまだ始まってないにもかかわらず、俺は次の木曜日の夜も電車に乗って、大阪の隅まで出かけていった。電車に揺られながら、もし、彼女があの場所にいなかったら、俺はとても傷つくのだろうと思った。だけど、俺はためらわなかった。俺の感情や、月野さんにかける迷惑は無視して、俺は俺の目的

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小説「月野さんのギター」第7章

西山からのメールは案外しつこかった。六月に行きたいんだけど、確実にお前に会いたいから、そっちの予定に合わせる。空いてる日を教えてくれ。うぜえ、と俺は液晶に向かって叫んだが、返事は返さなかった。本当は、平日以外ならすべて空いていた。引越しのバイトをどの日に入れるかは自分で申告すればよかったし、平日でさえ、俺がせっせと月野さんの部屋に通うのを一日でもやめれば、いつでも空けることができた。でもいったい、

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小説「月野さんのギター」第8章

大学の中で俺は月野さんを避けるようになった。たとえキャンパスの中で噂になっても、お互いの恋人の耳に届くことは決してないだろうが、月野さんの名誉のためにも誰かにあやしまれることは避けたかった。俺が彼女を見る目は普通じゃないし、近寄れば異様な雰囲気をかもし出してしまう。気づくやつは気づいてしまうだろう。彼女もあえて俺に近づこうとはしなかった。二人はまるで顔見知りですらないように、同じ教室で同じ時間を過

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小説「月野さんのギター」第9章

気がつけば俺はベッドに倒れこんで服のまま眠っていた。昨夜、眠っていないせいだった。目が覚めたときにはもう夕方で、金曜日の授業はすべて終わっている時間だった。

 起きてすぐに、携帯電話を開いた。着信もメールも一件もなかった。
 木曜日の夕方に来た北川浩二は、そのまま部屋に泊まっていったのだろうか。もし泊まっていったとしても、次の日の朝には会社に行くはずだから、月野さんから何か連絡や説明があってもい

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小説「月野さんのギター」第10章

次の日も、また次の日も、月野さんから連絡はなかった。電話は着信拒否されていたし、非通知にしてかけたら、すぐに切られた。メールは届くようだった。会いたい、と俺は送りつづけた。何でもするから君に会いたい、と。

 家まで訪ねていこうか、と何度も思った。でも二回も追い出されたあの部屋は、もう俺の行く場所ではなかった。二度と顔を見せないでという月野さんのセリフを思い出すと、足がすくんで動けなかった。この期

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