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短い小説いろいろ

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公開OKの短い小説をいろいろ集めました。また発掘したら随時アップします。
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記事一覧

[掌編]彼女の言葉

彼女は探している。
脈を打つ、あたたかい、生きた言葉を。
街にも、書にも、
大きく飾り立てられた言葉があふれている。
彼女はそれらの言葉に一応話しかけてみるが、
返事はない。
代わりにガラス玉の空っぽの瞳が
彼女の顔を映している。

この世の言葉のほとんどは、オートメーション工場で生産されるようになってしまった。技術は発達し、見映えがよくて、安全な言葉が大量に安価に作られるようになった。ひとびとは

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【小説】スピカ

【小説】スピカ

 目が覚めたとき、自分が何者で、今どこにいるのかを思い出せなかった。よほど深く眠っていたのだろう。足のつかない水の中にいるような不安な気持で、辺りを見回す。ここは列車の中だった。窓の外には、まだ水の張られていない田んぼが広がり、空は透明な水色で、日差しがきらきらとまぶしかった。それらが通り過ぎて、あっという間にわたしの視界から消えた。トンネルに入ると、窓はわたしの顔を映した。美しくも醜くもない。ど

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【小説】土のうつわ

【小説】土のうつわ

 帯に書かれたそのキャッチフレーズを、わたしは小さな声で読み上げる。『米谷瑞穂のおいしい家庭料理』というタイトルの下で、瑞穂は、両手で鍋を持って立ち、カメラに向かって笑っている。白を基調にしたカントリー調の台所。この写真を見た人は、瑞穂の料理を楽しみに待っている幸福な家族を思い浮かべるだろう。
――おいしい料理はひとを幸せにする。
 ひととおりぱらぱらとめくってから、本を飾り棚に戻す。視線を店内に

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【小説】最後のガンジス

【小説】最後のガンジス

 朝靄に包まれた川をボートが進んでいく。ガイドがボートをこぎながら、ガンジス川で沐浴すると、全ての罪が洗い流されるのだと説明してくれる。
 川岸には色とりどりのサリーをまとった女性たちが、まるでお風呂につかるように川の水を体にかけている。別の場所には上半身裸の青年たちが川の水で頭を洗ったり歯をみがいたりしている。座禅の姿勢で祈っている僧もいるし、洗濯している女性たちもいる。
 小春は、開けた口を閉

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【短編】嘔吐

 一、

 その日は、ひどく疲れていた。頭が痛くて、眼球の奥に穴が空いたように目が乾いていた。一晩眠れば戻るというような健康的な疲れじゃない。僕がそのとき抱えていたのは、もうこれ以上何かを体に入れると破裂してしまいそうな暴力的な疲労だった。息を吐くと自分がばらばらになってしまいそうだった。
 誓って言うけど、アルコールなんて一滴も飲んでなかったんだ。
 とにかく家に帰りつかなくてはと、僕はタクシー

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【短編小説】みーこそっくり (1/2)

 圭介はいつも、ラフ画を完成させるまでは、担当する作家のことを知らないままでいることにしていた。編集者の片岡にも、依頼のときに、作家の情報を教えないでほしいと頼んでいる。名前も年齢も性別も、これまでの作品も知りたくない。先入観をもたずに文章に向き合いたい。
 作者のプロフィールや評判を気にしながら絵本を読む子どもは、おそらくほとんどいないだろう。できるだけ読者と同じ気持ちで読みたかった。表紙を見て

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【掌編小説】春の雪

【掌編小説】春の雪

 これほど間近で妹の顔を眺めるのは、蘭にとって初めての経験であった。白い顔の下半分を枕にうずめた凛は、姉の視線を一方的に受けてじっとしていた。眠っているふりをしているだけかもしれない、という考えが蘭の脳裏にひらめいたが、それはあっという間に消えてしまった。心ゆくまで観察させてくれるのなら、凛の思惑など関係ない。正妻の子である蘭は、妾腹の妹を理解したいと思わない。美術品をめでるように、ただ観察をして

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【掌編小説】コリンの理論

【掌編小説】コリンの理論

 ハカセというのはコリンにつけられたあだ名だった。いつも何かを観察して、難しい本を読んでいるコリンにぴったりのあだ名だったので、すぐに学校中に広まった。今では、コリンのことを本当の名前で呼ぶのは、リートただひとりだった。
 リートは特にコリンと仲が良かったわけではない。ただ、ハカセと呼ぶとコリンが決まり悪そうな顔をするので、呼ぶのをやめたのだ。クラスメイトたちは、逆だった。普段どんなにからかっても

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【掌編小説】都会ウサギと四葉のクローバー

【掌編小説】都会ウサギと四葉のクローバー

 ウサギが都会で生きるコツは、第一に食べ物の好き嫌いをしないこと。しなびた大根の葉っぱだろうが、歯ごたえのない味つきキャベツだろうが、フライドポテトだろうが、雑草だろうが、ぜいたくを言わずに何でも食べなくてはいけない。
 オレは野良歴四年、大ベテランの都会ウサギだ。捨てられる前はペットとして飼われていたのか、食用だったのか分からない。物心ついたときから都会で一匹で生きてきた。小さいときは、カラスに

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【掌編小説】サンタクロース会議

 今年のサンタクロース会議は、波乱に満ちた幕開けとなった。開催のあいさつが終わるやいなや、ひとりの若いサンタクロースが立ち上がり、議長が止めるのも振り切って、とうとうと演説し始めたからだ。

「僕はどうしてもこの場を借りて言いたいことがあります。みなさんがご存じのように、最近、僕たちは人間の子供から感謝の声を聞くことが少なくなった。その原因は明らかです。親たちが、手柄を横取りしているせいなのです。

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