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優劣をつけようとする自分を消すことができれば劣等感も消滅する

以前は、仕事に追われて忙しいときは終わって暇になったらあれをやるこれをやると考え続けていたけれど、最近はやりたいことが思いつかなくなった。たぶん、「終わって暇になる」ことがあまりにも訪れなさすぎて絶望しているのだと思う。

何かを思ったり考えたりするためには、空白の時間が必要だけど、待っていても訪れることはないから、自分で能動的に確保するしかない。空白だけだと押しつぶされるから、たとえばこんなふうに日記を書く時間をとるのも有効だと思う。以前は次々書いていたのに、最近は、書きかけても消してしまうことも多い。
何がわたしを黙らせているのか。

自分の本当の願いを正しく美しい形で言葉で表すことができたら、それは結構かなうと思う。

なのにわたしはいま、自分のために紡ぐ言葉を枯らしている。

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劣等感、があると苦しい。
消す方法は知っている。劣等を感じる対象に真正面から挑んで勝負することだ。勝っても負けてもどちらにしても、劣等感は消える。不思議なことに。

京大に入りたくて学部は落ちて、院で入った。入ってみたら劣等感は成仏した。入れたからではない。入ってみたら周りにいる人たちが、かなわないほど頭がいい人たちばかりだったからだ。わたしがひとつひとつ階段を積み上げているところを、パタパタと羽を生やして飛んでったり、ワープしたりするようにわたしには見えた。優れた身体能力をもつアスリートを眺めるように、はー、すごいなーと思ったら、すっかり劣等感は消えてしまった。

かなわないと納得したら消えるなんて、劣等感とはいったいなんだろうか。勝負する必要がないとわかるからだろうか。劣ってる、優れてるという、物差しが消滅してしまったからだろうか。

大学院を出てからは、他の多くの社会人をしている人たちよりもお金を稼いでいないことに劣等感を抱いていた。ずっと。ライターや予備校講師や小説家や漫画原作やその他の仕事をいろいろ合わせて、今年初めて同年代の会社員くらいにお金を稼ぐことができるようになった。そうしたらまた、劣等感は成仏した。お金を稼ぐというのはなんて大変なんだろうと心から納得したからだと思う。

これから先、自分がバリバリ働くのか、のんびりしていくのかはまだわからないけれど、お金を稼いでいる人の大変さ、偉さ、楽しさを知ったら、もやもやした息苦しさが消えた。稼いでる人もそうでない人も、それぞれの生き方があって、それぞれの大変さがあって、その物差しだけで劣ってたり優れてたりというレッテルを貼れるわけではないとわかった。当たり前のことをすごく遠回りして、ようやくわかった。

劣等感を抱いているとき、わたしは相手を歪んだ目で見ている。だからその世界に飛び込んで、体験して、フラットな目で見れるようになったら、歪みが消えるのだと思う。

前にもこんなこと書いた気がするけど。やっぱり何度も気づき直す。

いまわたしは、たくさんの人に読まれる小説家に対して劣等感を抱いている。飛び込んでみなくては、消えない苦しさということもわかっている。書くしかない。

効率よく計画的に進むことができない。
ピンボールみたいな人生だと思う。


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