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現実とフィクションをつなぐ小説の技術

 本音を書いても白い目で見られず、しかも何でも自由に書けるフィクションの物語。そんなフィクションのメリットだけ見ていると、取材して事実の裏付けをとるノンフィクションを書くのが馬鹿らしくなりそうです。が、フィクションには最大のデメリットがあります。それは読者に信じてもらいにくく、説得力をもちにくいことです。当然ですね。なぜなら、読者は、これはフィクションの物語だと思いながら読み始めるわけですから。


 それでもわたしたちは、フィクションの物語を読んだり見たりして、笑ったり泣いたり自分の人生に想いを馳せたりします。わたしたちがフィクションの物語を見て心を動かされるとき、恐らく多くの人が、フィクションだとわかっているにもかかわらず、もしかしたらこんなことはあり得るかもしれない、と思っているのではないでしょうか。こんなこと起こるわけがない、馬鹿らしいと思っていたら、感動も共感も生まれないはずです。


 どうせフィクションでしょう、と背もたれに体を預けてふんぞり返っている読者を「もしかしたらあり得るかもしれない」と信じさせ身を乗り出させる。それが小説の技術です。

 簡単にいうと、フィクションのなかに事実を混ぜて、その事実を糊のように使って、わたしたちの現実とつなぎ合わせる技術です。これはとても手間のかかる作業です。しかし、これをやらないと、信じてもらえない物語になり、読者の心を動かすことはできません。テーマパークで、マスコットキャラクターの着ぐるみの首がぽろりと落ちて人間の頭が覗いたり、立派な城の後ろに回ったらただの板に描いた絵だったりしたら、一気に気分が覚めてしまうのと同じで、小説の場合は信じられなくなった瞬間に読むのをやめてしまいます。逆に、どれだけ現実にはあり得ない設定だったとしても、そこに登場する人物の心理がリアルだったり、現実の科学理論や社会のルールをふまえていたりすれば、フィクションだということを忘れて世界にのめりこんでしまいます。


 たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』は猫が人間の言葉で考えて物語の語り手になっています。現実的にはそんなことはあり得ないので、ばかばかしいと本を閉じてしまいそうです。が、猫の目から見た人間の描写がリアルで面白いのです。彼らはわたしたちが知っている現実のルールと同じように暮らしているので、それを読んでいるわたしたちも、もし猫が人間を観察していたら……と想像してみることができるのです。
 巨大なモンスターが地球にやってくる話も、そんなモンスターは存在しないとわかっています。でも、モンスターと戦う人物たちの心理や行動や戦い方が、わたしたちにとって「あり得る」と思えたら、本当にモンスターがやってきたらどうしよう……と想像することができます。
 これは、こんな荒唐無稽な設定だけに限った話ではなく、すべての小説にあてはまります。小説を書くときにはこの世に存在しない人物を生み出しますから、そういう人がいるかもしれないと読者に思わせないと面白く読んでもらうことができません。その人物の考え方や行動を「あり得る」と納得できるからこそ、物語を読み進めることができるのです。


 平たくいえば、フィクションを信じさせる小説の技術とは、フィクションと現実をつなぐ文章描写です。その方法はとてもシンプルです。自分が思いついたフィクションが現実に起こったら何が起こるのかを徹底的に想像し、その答えを出すことです。

例1 一週間後に地球に巨大な隕石が降ってくる
 この場合、わたしなら世界のどの機関がどのような動きをするのかを想像します。科学者、政治家、宗教家、お金を持っている人たち、マスコミ、一般市民たちなどそれぞれの立場でどんなことを感じ、どのような行動を取るのかも考えます。大地震が起きたときや、他国と戦争をしたときなど、参考になる事実を探し、そのときに人々がどう行動したかも調べて参考にします。

例2 ひとりの男性が自殺を計画している
 男の年齢が重要です。学校に行っているのか、働いているのか。どんな部屋に何人で暮らしているのか、収入状況、恋人や友人の有無、家族とのつながり、仕事内容なども想像します。自殺を考える原因は何か、男がどのような性格なのかも知る必要があるでしょう。

 このようにして、フィクションの設定を、現実にあてはめた場合に何が起こるかを、ひとつひとつ想像していきます。これは、少ない手がかりから推理をし、現場に足を運んで聞き込みをする刑事や探偵のような作業です。有能な探偵なら、複数の観点から手がかりを集め推理を進めていくことでしょう。小説も同じで、熟練するほど、あらかじめ考えておかなければならないことを細かに想定できるようになりますが、初心者のうちは漏れが発生します。人に指摘されて初めて矛盾に気がついたり、考えもしなかった穴が発覚したりします。物語の世界を愛している素直な人ほど、このようなことが起こるかもしれません。

 素直な人は小説を書けないのかというと、そんなことはありません。わたしもかなり素直な(単純な)人間でしたが、疑り深い人やプロの編集者に矛盾点や考えが及んでいない点を指摘され続けてきたおかげで、腹黒くなり……いや、裏も表も考えられるようになりました。指摘されたときは「そんな細かいことどうでもいいじゃないか! それより中身を読んでよ!」と腹が立ちます。が、その指摘こそがあなたの財産になるのです。その都度、修正していくことができれば、作品が多くの人に届くものになるだけでなく、あなたも矛盾を発見する目を手に入れることができるようになります。口うるさく、何でも率直にいってくれる友人は大切にしましょう。ただし、心が折れないためにも何でもほめてくれて甘やかしてくれる友人もキープしておきましょう。

 小説にはリアリティが必要です。リアリティというのは想像力と観察力から生み出されます。延々と事実を詳しく列挙してもリアリティは生まれません。そのあたりのことは、想像力と観察力から人物は生まれるで詳しく解説したいと思います。
 ここでは、読者に信じてもらえるフィクションを書くのは、結構な重労働で、それが小説のクオリティを決めるのだということだけ覚えておいてください。

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