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想像力と観察力から人物は生まれる

 登場人物を書くのに必要なのは想像力といいましたが、もう一つ重要なのは観察力です。これは普段の生活で必要な力です。


 わたしはいつも、許されるのなら相手の年齢や職業を知っておしゃべりをしたいと思っています。どんな年齢でどんな職業の人がどんな暮らしをしているのか、どんな見方をしているのか、そのすべてが小説を書くときの参考になるからです。自分のなかに座標軸があって、そこにサンプルを置いていく感じです。いろいろな人に出会えば出会うほど、その座標はくっきりとわかりやすくなってきます。また、自分の経験が増えれば増えるほど、今まで見えなかったことが見えてきます。


 たとえば二十代のときはわからなかったことも、十年後、二十年後に二十代の人を見ると、当時は自分ではわからなかったことが見えてきます。三十歳の人が二十歳の人を見たらどんな感じがするか。自分の実感をもって、世の中を観察すると、誰がどういう気持ちでそんなふうに振る舞っているのかが見えてきます。


 座標が精密になってくると、解像度が上がります。さまざまなパターンの人物を生み出せるようになります。そして、ちょっとだけ世の中を生きやすくなります。


 小説を書くのに取材をすることがあるかと、ときどき聞かれます。取材はするにこしたことはありませんが、小説の取材は相手の善意によって支えられているということを知っておいてほしいのです。


 雑誌やテレビの取材でお店や何らかの活動をしている人物を取材するのなら、知名度が上がるとか宣伝になるとか、何かしらいいことがあるかもしれませんが、小説の取材対象にされても、取材対象にいいことはあまりありません。というのも、小説では良いことばかり書くわけではないからです。どちらかというと、裏事情やほかの人に見せない顔こそが小説の題材になるわけです。わたしがもし小説を書くために取材をさせてと頼まれたら、よほどその人の書く小説が好きか、その人に恩義があったり親しい関係でなければ引き受けたくはないなあと思います。


 もちろん、取材できるにこしたことはないのです。それはもう人と人との関係です。自分の書く小説に世の中のほとんどの人は興味がないのだという謙虚な気持ちで、誠実に真摯に取材対象に向き合い、自分の都合だけでなく相手にとってのメリットも提示したり、作品が目指すところなどをしっかり伝え、取材を受けてもいいと思ってもらうことです。そして、いろいろな考え方があると思いますが、わたしの場合は、取材をさせてもらった以上、作品ができあがって読んでもらったときに嫌な気持ちにならないものを目指しています。


 しかし小説は予定どおりには進まないものです。


 以前、陶芸家の話を書くために登り窯で信楽焼を作っている作家さんをブログで見つけて取材させてもらいました。とても興味深い話を聞かせていただき、登り窯に興味をもってもらって嬉しいといってくれたのです。しかし、その後、主人公のキャラクターや書きたい物語を検討していくうちに、石で窯を組んで薪をくべて煙をもくもく出しながら焼成する登り窯と正反対の、マンションにも置けるタイプの小型の電気窯で作陶する方がよいという結論になり、そういう物語ができました。


 取材したおかげでその結論にたどりついたので、取材自体はとても実りのあるものでしたが、取材させていただいた方には申し訳なかったです。


 ときには許可なく勝手に参考にする場合もあります。もちろんその場合は、特定の個人の例だとわからないように大きく設定を変えたり、要素や傾向だけ抽出して参考にしたり、複数の事例を混ぜたり、自分ならどうするかと想像する材料にしたりします。そのまま使ったりはしません。こんなことはノンフィクションでは許されませんが、フィクションだからこそできるのです。


 しかし、事実は小説より奇なり。世の中の出来事や実在の人物を「そのまま」使いたい誘惑にかられることもあります。というのも、それが手っ取り早く楽に効果を上げることができるからです。たとえば、センセーショナルな事件が起きたとき、その事件をそのまま使えば詳しく描写しなくても読者の理解は早く、作者は楽をしてインパクトを与えることができるでしょう。しかしその楽(=手抜き)の裏側に、実在の被害者や遺族がいるわけです。衝撃を与えるための小道具として事件を利用されたと知ったら傷つくでしょう。わたしが当事者でも怒ります。真剣に向き合うなら話は別です。関係者が読んでも「読んでよかった」と思ってもらえるよう、とことん想像力を尽くして寄り添って書く。その覚悟があるなら挑んでもよいでしょう。


 でもそこまでの覚悟がない場合、伝えたいことは本当にその設定じゃないと伝えられないのか、それとも単に、一から作るのが大変だから手抜きをして事実にのっかっているだけなのか、自分の心にしっかり問いかけてみてください。


 実在の人物を小説に書くときも同じです。その人が読んだらどう思うか。もし不快になったり傷ついたりするだろうと思うなら、その人だとわからない設定に変えることも検討する必要があるでしょう。

 これは単に誰かを傷つけないという問題だけではありません。実在のすでにあるものを安易に流用した場合、想像力は働かなくなるという創作上のデメリットも生じます。どうしても使いたいとしがみついている限り、ほかの可能性を考えませんので、視野は狭くなります。ほかにもっと良い設定はないかと考えたときに初めて想像力が働きます。苦労して思いついた新しい設定は、あなたの伝えたいことをさらに深く伝えられるものになっているはずです。そして、そのような試行錯誤の積み重ねで、フィクションをつむぐ力や小説を書く力が身についていきます。負荷をかけないと筋肉がつかないように、うんうんうなって苦労しないと、想像力は鍛えられることはないのです。


 現実の人物や事実を安易に流用せず、想像力を使ってリアルな人物を書くためにも、日頃からなるべくたくさんの人物や出来事に触れて、よく観察・分析し、原型がわからないくらいに消化して、自分の土壌を豊かにしていきましょう。

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