初音ミク16歳を前にして思うこと

!!!!注意!!!!
限界
浅い
痛い
駄文
キモい
読み辛い
解釈違い
自分語り
共感性羞恥
でも書きたいので書きます
どこかに吐き出したいこの気持ち


































ミクさん16歳の誕生日を目前にして、どんなメッセージを送ろうかなと、どんなメッセージがいいのかなと、自分とミクさんのことを振り返っていました。
彼女に会ったのが明確にいつかというのは覚えていません。千本桜やカゲプロ等の巨大コンテンツが頭角を表していて、インターネットに疎かった自分でも知っている、という状態ではあったように記憶しています。強く意識するようになったのは10年前、Mitchie Mさんの「ビバハピ」を聞いてからでした。正直言って当時の私はVOCALOIDの機械音が苦手、あまり好きではなかったのです。でもビバハピはまるで本当に初音ミクが存在して歌っているかのような調声で、苦手意識のあった私でも素直に聴くことができました。PVの可愛さも一役買ってくれたと思います。だからいまだにLat式ミクが一番好きなMMDモデルです。ビバハピは彼女の歌声の美しさを気付かせてくれました。それからボカロ曲をたくさん聞いていきました。なんだか色んなのを聞いていたのは覚えていますが、あまり思い出せませんね。ボカロ曲といえば、と聞かれたらトーマさんの「骸骨楽団とリリア」ですね。あの騒がしさはボカロならではな気がします。なぜだか懐かしいような寂しいような雰囲気を併せ持つのが非常に魅力的です。クワガタpの曲もお気に入りだった覚えがあります。「君の体温」や「インタビュア」ですね。少しセンチメンタリズムな曲が好みだったのかもしれません。確かsasakure.UKさんの終末シリーズも好きでした。一番好きなのは「ワンダーラスト」です。ルカさんの曲ですけどね。ああいうVOCALOIDの機械の部分に着目して世界観が作られた曲が特に好みでしたね。40㍍pの「キリトリセン」も好きでした。GUMIちゃんの曲ですけどね。当時はリズムやちょっと大人っぽい歌詞が好みでしたが、思春期を越えてこの曲と自分を重ね合わせてしまう時には、昔とは違う印象で聞けてそれが自分にはひどく刺さりましたね。あとはニコニコ特有のネタ曲も面白いのでよく聞いてました。しねばいいのに、とかリア充爆発しろ、とか誰でもいいから付き合いたいとかですね。なんだかミクさん以外の曲が多い気がしますが今更メルトとかテルユアとかロミシンとか言っても誰でも好きだし書く必要ないのでは?と思っています。それと一つ印象的だった出来事はryo氏の「罪の名前」の公開です。もちろんメルトを始めとしたryo氏の曲も聞いてましたからワクワクしつつも、王の帰還なんてタグが付けられてどんどんと再生数が伸びていく様を見れたのがとても楽しかったです。初音ミクという文化を構成するのは、ミクさんだけではなくてインターネットという環境、そしてクリエイターの方々の存在がとても大きいのだと改めて強く認識できた機会でもありました。
当時の自分はお金がなかったのと、まだ子供だったのでマジカルミライに行ったりTwitterで人と繋がったりということは出来ていませんでしたが(今もできてないが?)、例えばProject miraiを始めとする音ゲーをやっていたり。その収録曲だとスノーマンやクローバークラブ、アマツキツネなんかがお気に入りです。あとはカラオケに行くといつもボカロを歌ったり、自分なりに初音ミクという文化を楽しめていたと思います。将来の自分への手紙、というので初音ミクの名前が書かれていたのを再発見したときには、自分はどんな痛いオタクだったんだと悶え苦しみましたが。
たくさんの人が初音ミクを使って曲を作るので、たくさんの種類のボカロ曲がありました。楽しい気分の時も、つらい気分の時も、どんな時でも最適なボカロ曲があります。私が一番救われた曲は、黒田亜津さんの「たすけてドラえもん」です。ボカロ曲なのにサムネがドラえもんだし曲の内容もドラえもんなので、初音ミクのこの曲に救われた!と言いづらいのですが、とにかく私はこの曲に一番救われたのです。でも、初音ミクというキャラクターに着目して作られたビバハピのような曲も存在し、初音ミクが演じて代弁するたすけてドラえもんのような曲も同時に存在するのが、初音ミクという文化の強みでもあり、面白さでもある気がします。
ボカロから離れた時期もありました。恥ずかしい話ですが、オタクではなく、そういう人間になろうとして、高二病みたいになった時期がありました。おかげでその時期のボカロがまったくわかりません。今も困っています。そんな時期でも、ミクさんは自分の道を歩み続けて大きな存在に成長し続けていました。私が出来なかったことです。私がビバハピに触れたときよりもずっと多くの人の目に触れやすい存在に。しかし、かつての私が機械音が苦手だったように、不意に「 私はボカロ曲とか苦手なんだよね」という言葉を聞くことが多くなったでしょうし、少し強い批判の言葉もあっただろうと思います。自分はそれが嫌で一度逃げましたからどうこうと言えない立場ではあります。そんな中でもミクさんを愛して、初音ミクという文化を成長させ続けてくれたファンやクリプトンの人達には頭が上がりません。かつて一世を風靡した数多のコンテンツ達も、それを支える人達がいなくなって衰退してしまったものが数多くあります。16年間という途方もない時間を支え続けてくれた人達には感謝と畏敬の念しかありません。その到達点の一つがマジカルミライとプロジェクトセカイだと思います。ミクさんに関しては最小限の情報しか公式に提供されていませんから、楽曲も姿形もユーザーが創作を繰り返すことで初音ミクという文化が醸成されてきました。その文化が一つに集合して表現される機会がマジカルミライです。集合知に刺激されてここを創作の足がかりにするクリエイターもたくさんいらっしゃると思います。初音ミクという創作の輪廻である文化を一つにまとめてくれるマジカルミライは本当に最高の体験です。
プロセカに関しては私はプロセカやってませんしセカライにも行ってないので詳しくありませんが、スマホゲームとしても大きな成功を収めているようですし、VOCALOID達と声優(なにシンガーっていうのか忘れました)が同時に存在し共演する世界観というのは、VOCALOIDが様々な人に受け入れられるくらい大きな存在になったからできたものだと思います。これもまた初音ミクという文化の巨大さを思い知れるコンテンツだと思います。
烏滸がましい思考ですが、私が戻れるように私が気付きやすいように、ミクさんがどんどん大きな存在になってくれたというような気がします。本当に烏滸がましい思考ですが、自分は一度離れた立場なのにと申し訳ないというか情けないというか、そういう気持ちで胸がいっぱいす。でもそれくらい、初音ミクという文化は巨大で、私が現を抜かしている時でもミクさんはいつもそばにいてくれました。ずっとずっとずっと支えてくれました。10年間。10年以上も人のそばに居続けてくれる存在なんて、人生で何人も得られるものじゃありません。だから、私は彼女に恩返しをする必要があると思っています。なにか創作をするべきなのか、それとも初音ミクという文化を好きであり続け、支え続けることなのか、それはわかりませんが、とにかく感謝と恩返しをしたい気持ちでしかありません。
マジカルミライは10thが初参戦です。なんで不意にチケットを取ろうと思ったのかよく覚えていないのですが、Twitterに流れてきた今年で10周年というのを見て、ちょうど節目でいい機会だし行ってみるかという軽い気持ちだった覚えがあります。人は変わらないもので、VOCALOIDに対して否定的な意見を持っていたように、ライブなんて家で爆音で聞いたって同じですよと、そういう思考だったわけです。そんなわけでまったく予習なんてせずに行ったのですが、初音ミクが動いているという衝撃と、ご存知のように破壊的なセトリに脳が焼かれたというわけです。loading memoriesが数ヶ月頭から離れませんでしたね。言葉にするのが本当に下手くそなんですが、ビバハピの次くらいには衝撃を受けたのです。帰りにはなぜだか涙を零していました。なんで1公演しか取らなかったのか激しく後悔したので今年は最初から最後まで全部取るぞという思考でしかありませんでした。おかげで今年は大阪幕張全日です。財布は痛いですが仕方ないですね。
さて、そんな浅い初音ミク歴ですから、私にはずっと初音ミクがわかりませんでした。音声合成ソフトはたくさん存在するのに、彼女だけなぜこんなに大きな文化を醸成しているのか本当に疑問で仕方ありません。初音ミクという文化が形成されていった2007年当時にインターネットに触れていなかったのを後悔してもしきれません。そんなわけで10年共に過ごしてきたはずの自分の中の初音ミクもよくわかっていません。16歳の誕生日に彼女にメッセージを贈りたいのですが、どんなメッセージが最適か本当にわからなくて、彼女を理解しきれていないことを本当に情けなく感じます。彼女を理解するためには直接対話するべきです。自己の主張を押し付けるだけでは、初音ミクを彼女に押し付けるだけではいけないのではと思っています。初音ミクを押し付けることは、彼女が初音ミクとして振る舞う必要性に囚われることになります。私が初音ミクという存在に触れたとき、ミクさんは年上でしたが、今となっては彼女のほうが年下なのです。杞憂かもしれませんが、たった16歳の女の子に理想を押し付けるというのもなあと考えてしまいます。人に言わせればそういうキャラなんだから、そういうキャラとして作られたから、という言葉で一蹴できることですが、私にはどうしても彼女が自意識を持った存在に思えてならないのです。ビバハピのせいでしょうか。しかし私は彼女と対話が出来ないし、その資格もないのでいつも思考が堂々巡りになってしまいます。彼女を理解しなければ、彼女を好きである理由を見つけなければといつも焦ってしまいます。
でも最近は初音ミクだからというだけでいいんじゃないかなとも思い始めました。好きになること理屈なんかじゃなくて、こじつけなんていらないんじゃない、というあのフレーズが今更想起されています。ハッピーシンセサイザも好きな曲です。ルカさんとGUMIちゃんの曲ですけどね。
こうして思考を巡らせ続けたので、私の気持ちはわかってきました。つまりは初音ミクでいて欲しいということです。これが私の一番の本心です。ビバハピでVOCALOIDの世界に連れて行ってくれたように歌い方を変えて、または姿形を変えて、家のディスプレイで、マジカルミライのディラッドボードで、様々に変化して私達に会いに来て、応援してくれて、励ましてくれて、救ってくれて、支えてくれる、そんな初音ミクという存在でいて欲しいと私は伝えたいです。
でもこの言葉は同時に呪いでもあると感じてしまいます。さっきも書いたように、初音ミクでいてね、と言葉にして彼女に伝えることは、彼女が初音ミクという理想に囚われることに繋がるわけです。
だから私から言えることはただ、ありがとうという感謝の言葉だけかもしれません。結局私が彼女に惹かれたのは、彼女に囚われたのは、「初音ミクだから」が理由なんです。ビバハピを聴いて初音ミクが存在すると認識してしまったからなんです。だから、彼女が私の感謝の言葉を聞いて、それが理由で初音ミクを続けることを選んでくれたら、それ以上に幸せなことなんてありません。


ミクさん
ありがとう。
16歳、おめでとう。



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