見出し画像

"伝説のライヴ -How The West Was Won-"より

2018年にリリースされたLed Zeppelin "HOW THE WEST WAS WON "のニュー・エディションは『伝説のライブ』という邦題では褒めたりないほどの傑作だ。ラウドネス・ウォーの反省と、熱心なブートレグの出来をペイジが加味して、最高のリマスターが施されている。

再生ボタンを押した瞬間から、そこにロックン・ロールが顕現する。ロックン・ロールという、不確かで定義が曖昧なものを、「感じる」という体験は、まさにこのバンドの偉大さを表す。

エルヴィス以前にも、音楽としてのロックン・ロールは存在していた。それにもかかわらず、エルヴィスが「キング」てあるとか「ロックン・ロールの開祖」と讃えられ続けるのは、音楽としてのロックン・ロールだけではなく、思想、精神哲学的なそれをも体現したからにほかならない。

その思想、精神哲学的なロックン・ロールというのは、一般に言われるように、反骨精神だけで語れるようなものではない。

まずもって、ロックン・ロールというのは、それを自負する人それぞれのこころのなかにある。自身にとって許容し難い「当たり前」であるとか、「常識」にぶつかったとき、それでもなお自分の意志を貫くことによって、それは見える形でロックン・ロールとして現れる。

だから、自分にとっての「かっこいい」を貫きスタイルを確立するのはロックン・ロール的であると言える。

これまで、ロック・スピリットと才能を持ち、バンドという形式でやってきたアーティストは星の数ほどいる。

しかしながら、複数人が絡み合うことで個人以上の熱量を放出してしまうようなパワーを持った、「バンドである意味」を最大限に発揮したロックバンドというのは、それこそ、レッド・ツェッペリン以外にいないのではないだろうか。

どんなに偉大なバンドにもある、例えばビートルズで言うところの、ジョンとポール以外のメンバーにつきまとう、「あの感じ」が、ツェッペリンには感じられないのだ。

アルバムに話を戻すと、今作で展開される莫大なエネルギーには、単にロックンロールであるとか音楽であるとかのくくりを遥かに超えて、もはやアニミズム的な色合いすら感じられる。。

この、「儀式」が我々に何をもたらすかといえば、「西洋的な文化観、人間観」からの脱却であり、原始の胎動を思い起こす「偉大なる回帰」ではないだろうか。そしてそれは、「黒人的」なルーツを持ったロックン・ロールにとっては極めて自然な帰結であり、音楽としてのロックン・ロールの理想像なのかもしれない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

7

doukin

酒とバラの日々を気取っても、実情は半ば世捨て人。白黒映画の彼にあこがれ、タイプライター代わりのキーボードに向かう。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。