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映画「ひろしま」の感想を。

録画しておいた映画「ひろしま」を見る。被曝から8年後に多くの広島市民も参加してつくられた作品。
原爆投下後の絶望的な惨状をただただ見る。川まで逃れてきた先生と生徒が君が代を歌いながら、そのまま力尽きて流されていく。倒壊した建物の下敷きになった子どもたちがそれぞれの思いを口にする。奥さんを助けられなかった遠藤さん。ずっと探してた子どもを見つけたときにはもう亡くなっていて。疎開していた子どもたち(兄妹)が帰ってきたときにはすでに遠藤さんは原爆症で病院に。やっと再会できたと思ったら、妹は病の父を受け入れられず、外に飛び出してそのまま行方不明に。そうなんの希望もない。
月日は流れて、警察予備隊募集のポスターが貼られる町、一人残った遠藤家の兄は好きな女の子に結婚の話をするけれど、被曝しているその子にそんな夢を見させるようなことは言わないで、と言われてしまう。
そういうこと。ずっーと残ってしまうもの。そうあれから7年たった今、被曝したのだからずっと残るのは当たり前だけどみち子みたいに急にひどくなって亡くなってしまう人もいる。でも被曝してない人たちからは原爆症による倦怠感とかを茶化されてしまう。月日が立つこと。忘れられてしまうこと。たった7年でも。
そう7年たっても浮浪児たちがピカドンの瓦礫を観光客に売っているのが現実で。
終戦後の孤児たちの生きる術に痛ましくも人間ってすごいって思ってしまう。新しくやってきた子に教える。「ユー ジェントルマン パパママ ピカドン ハングリー」
そうやって米兵に言うんだね。そうか、そうやってもらったチョコレートとかを焼け残った遠藤家の門柱に供えてたんだ。

感情に任せるばかりじゃいけないかもしれないけれど、やっぱり思ってしまう、ただ。こんなのはもう嫌だ。それだけ。

名古屋シネマスコーレで現在上映中です。

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