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日本神話の中の巨人~国引き神話幻想

 日本の昔話の中の巨人といえば、だいだらぼっちがいる。日本各地に伝承があり、でいだらぼっち、だいだらぼう、でーらぼう、など、いろいろな呼び名があり、山や湖を作ったと伝えられる。
 日本の神話の中ではどうかとみると、「古事記」「日本書紀」の中央の神話ではなく、地方の「出雲風土記」(島根県)に国引きくにびきをしたといわれるヤツカミズオミズヌノミコト(八束水臣津野命)がいる。
 「出雲国は狭いので、よそから国を引っ張ってきて大きくしよう」と言って、本当に国を引っ張ってきた。国を引っ張るのだから、これは巨人だろう、というわけだ。
 でも、考えてみよう。山を移動させた、湖を作った、という想像はできるけれど、目に見えない遠くの土地から、その土地を引っ張るなんて古代の人に想像ができるだろうか。海の向こうの土地を引っ張るなんて、どれだけの大きさを考えるのだろう。山を動かすだいだらぼっちの大きさ程度では、海の向こうの土地を引っ張ることは不可能だろう。
 では本当に不可能か、いや、それでも巨人でなくても土地を動かすことはできる。

 国引きのくいからできたといわれる、伯耆ほうきの国(鳥取県)の大山だいせん(標高1,729m)に登れば、出雲の国が箱庭のように見える。島根半島も、地図帳を見ているように、全体の形が見える。ナスカの地上絵を空中から見ている気分になる。この大きさの風景なら、国を引っ張ってくることもできそうに思える。
 風景の中に巨人が入っていくのではなく、山頂から手を伸ばして、箱庭をいじるのだ。VRの世界にいるように、小さな風景を普通の大きさの人間(神)が触っていく。神の力で箱庭の地面に切れ目を入れる。ケーキを切るように、切れ目を入れ、それをフォークで引っ張るのだ。
 切れ目を入れた箱庭の土地をつなで引っ張る。
 古代の人が、そういうイメージをもったのではないだろうか。巨人のイメージではなく、人の大きさの神の仕業だと考えたのではないのだろうか。

 ヤツカミズオミズヌノミコトは、中央の神話では、スサノオノミコトとオオクニヌシノミコトの系譜けいふの途中に入れられている。実際は古事記のヒーローであるスサノオと、地方神であるオミズヌノミコトにつながりはないだろうが、なにはともあれ、当時の人々は、ヤツカミズオミズヌノミコトを巨人とは思っていなかっただろう。スサノオとオオクニヌシの間に国を引っ張れるほどの巨人がいたら、どうやって子孫ができるんだ。普通の大きさの神に違いない。
 古事記の神話でも、イザナギとイザナミが国生みをするが、淡路島なんかを生み出すって、どれだけの巨人だろう。当時の人々は、いや、今の我々も、イザナギ、イザナミを巨人だなんて思っていないだろう。
 黄泉よみの国にイザナミを訪ねたイザナギは、洞窟のような地下道を走って逃げた。国を生める巨人が通れる地下道って、どれだけ巨大なものを想像するのだろう。二人の神に、巨人というイメージはなかったのだろう。

 国を引っ張るなんて、現実にはできないのに、なぜこんな話ができたのだろうか。

 これは、出雲が古代に交流していた国のことを示しているのだろう。交流があったことを国引きで示しているのではないか。
 越前、越中、越後のこしの国と思われる土地を引っ張っているが、これは実際に日本海を通って交流していたのだろう。出雲にも古志こしという地名がある。
 こしの国どころか、朝鮮半島と思われる新羅しらぎの国も引っ張っている。
 こしだけでなく、新羅しらぎという国が海の向こうにあることを、当時の出雲の人々は知っていた。
 出雲が古代、巨大な勢力をもっていたことは、古墳の副葬品をみるまでもないだろう。出雲の荒神谷こうじんだに遺跡からは、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土している。
 出雲は今の島根県のことだが、鳥取県の大山も国引き神話に出てくる。大山のあたりも古代の「出雲」と考えられていたのだろう。鳥取県の遺跡からの出土品も豊富なことが知られている。鳥取県の大山だいせんふもと妻木晩田むきばんだ遺跡からは、竪穴住居約460棟、掘立柱建物約510棟が発見されている。古代出雲は巨大な勢力をもっていた。
 そんな出雲勢が大和朝廷にあっさり国譲りをしているように、出雲は、軍事力で他地方を征服したというよりは、海の道をつかって交流をして栄えていたのだろう。
 他国の知識を持っている海の民と、大山に登った人々がイメージしたものが、国引き神話となったのではないだろうか。

 日本神話の中の神は、けして巨人ではなく、普通の大きさの人を想像していたのだろう。 
 そんなことをとりとめもなく考える一人の時間。



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