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ネコとニワトリとオオカミとヒツジと

 イソップの昔話にこんな話がある。

  猫と雄鶏おんどり
 ネコがニワトリをつかまえた。このまま食べるのではなく、何か理由をつけて食べてやろうと思ってこう言った。
「おまえはまだ暗いうちからコケコッコーとさわいで眠りをさまたげるから、人間にとって迷惑だ」
 ニワトリが答えた。
「人間が仕事に遅れず行くために起こしてあげているんです。人間の役に立っているのですよ」
「おまえは小屋の中で、姉や妹、それに母親にまで乗りかかってえっちをしている。卑猥ひわい卑猥ひわいだ、不謹慎ふきんしんだ。自然のおきてにそむ行為こういだ」
「それはメスのニワトリがたくさん卵を産むための行為こういです。飼い主の人間のためにやっていることなんです」
 もう言うことのなくなったネコはこう言った。
「おまえがいくら言い訳を次々しようと、おれがおまえを食べることをやめると思うなよ」
 そして、ネコはニワトリを食べてしまったとさ。

 悪人に対しては、いくらまともな意見を言ったとしても、悪人は悪事を働くもの。 


こんな話もある。

  おおかみ仔羊こひつじ
 子どものヒツジがたった一人で川で水を飲んでいた。
 それを見つけたオオカミは、よし、いちゃもんをつけて食べてやろうと思って、川上に立って言った。
「おまえが水を飲んでいるから、川の水がにごって、おれが飲めなくなったぞ」
と、いいがかりをつけた。
 それを聞いた子どものヒツジは、
「ぼくは、鼻先だけで水を飲んでいるから、水が汚れることはないよ。それに、ぼくのいるのは川下だから、あなたのいる川上に水は流れないよ」
と答えた。
 それを聞いたオオカミはこう言った。
「おまえは、去年、おれの親父おやじの悪口を言ったぞ」
「一年前には、ぼくはまだ生まれていないよ」
とヒツジは答えた。
「おまえがどんな言い訳をしようが、おれはおまえを食べたいんだ」
と、オオカミは子どものヒツジにおそいかかったとさ。

 いくら正しい言葉を投げかけても、悪人の前ではなんの役にも立たない。 


 イソップの生きていた時代にも、言葉たくみに相手をだます詐欺師さぎしが多かったのだろう。
 言葉のある人間は、言葉によって生きている。言葉によって助かることもあれば、言葉によってだまし、だまされることもある。
 悪に負けず、言葉を大切にしたい。
 



 タイトル画像は、江戸時代の画家、伊藤若冲じゃくちゅうの絵の模写。
 鶏をはじめ、動物の絵が多くある作家。
 若冲じゃくちゅうは動物のさまざまなしぐさを絵にした。
 イソップは、人間のさまざまな姿を、動物にたくして物語をつくっている。

 

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