見出し画像

「おかあさん」という言葉に秘められた想い。

最近は不思議なことに、自分が知らなかった歴史的事実に触れて「おぉ~~!」と反応していないと、何か物足りなく感じてしまう。

定期的な知的栄養補給というべきか、それとも禁断症状に近いものなのか。よくわからないが「歴史」は、私にとってそんな存在になってしまった。

こんな時に便利なのが、youtubeで見るNHKの番組「歴史秘話ヒストリア」。特に最近は「言語」に惹かれる。今日は「日本人なのに通じナイ?明治標準語ことはじめ」をみた。

そもそも、現在全国的に使っている日本語の標準語とは、いつ使われるようになったのだろう?


明治維新後、地方から首都東京に集まる人達は、それぞれの「お国」の言葉を話すので、お互いの疎通が難しかったという。そこで標準語をつくろうとした時、候補として「京ことば」か「薩摩語」か「江戸ことば」があったらしいが、江戸ことば一つとっても、男性か女性かで異なり、職業によっても言葉が異なったという。

例えば・・・

一般人:「私にもそれを下さい。」  

少年:「あたいにもそれをおくんな。」

少女:「私にもそれをちょうだいな。」 

書生:「僕にもそれをくれたまえ。」

職人:「わしにもそれをくれんねい。」

いやいや~外国人からしてみたら、「何だこりゃ?!」だろう。


そこで日本人初の言語学者、上田万年は東京の「山の手」の言葉を標準語として、新たに国語教育をしたそうだ。

中でも、徳富蘆花「不如帰」で初めて使われた「おかあさん」が、日本語を救う新しい言葉として使われるようになったという。

それは標準語として、促音の「おっかさん」よりは長音の「おかあさん」の方が、心が安らぎ、静かな音色で落ち着いた気持ちになるからだという。


最後に、上田万年が言った「言葉の極意」が、とても印象的だった。

言葉とは、人生のうちで最も幸せな時とでも言うべき、子どもの頃の思い出と深く結びついて成り立っていくものである。思い起こしてみるがいい。幼い頃、一日の遊びに疲れ果て、眠りにつこうとした時、母はどんなにやさしい声で子守唄をうたってくれたことか。


あぁ・・・本当に、日本語は美しい言語だと思う。

世界でも、これほど生ひ優る言葉はないかも知れないと、思ってしまう。



(上記の写真は、上田万年が翻訳したグリム童話「おおかみ」(オオカミと7匹の子ヤギ)。みなさん、着物着用してます。)

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡