私たちはどう生きるか

私たちは、
何があれば生きられるのか
何があれば生きていると感じられるのか

知識、お金、人脈、最先端ICTなど
知っといた方が良さそうであり、必要そうなものが溢れる都会において、
私たちが本当に知りたいことは、“〇〇そう“ではなく、
「私たちはどう生きるか」なのではないだろうか。

“現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の一年分“
と言われるぐらい情報が溢れる世の中で、本当に自信を持って
確実に間違いないと思える情報をいくつ持っているだろうか。

言い換えれば、
信じられる手触りのある“世界“にどれくらい出会っているだろうか。

都市部で生活をしていて感じるのは、常にふわふわ浮いている情報を必死で掴んで、
何が“本当“なのかを、またふわついたネット上で精査しに行く。

それがITリテラシーとして大切なのは間違いないが、大本の情報源がどこまで真実を語る情報かは分からない。
どこまでいっても、二次情報である。

二次情報を繋ぎ合わせることで、私たちは大きく発展し拡張してきた。
二次情報がダメということではなく、二次情報だけで日常を捉えてしまうと、
“生きがい“、“生きている感“が薄まり、
どこか自分の人生が他人事のように感じてしまうことがあるのではないだろうか。

そしてそんな日常に退屈し、刺激のある興奮(ドーパミン)を求める。

常に興奮を消費し続けることで、都市部での情報の津波に自分自身が飲まれていることから目を背け、なんとか意識を保っている人は少なくないと感じる。
それは、刺激を受けるだけでなく、刺激を与える形でも表出し、誹謗中傷として誰かを傷つける事もある。

そんな方々に求められることは、二次情報過多の世界から適切な距離を取りながら、一方で離れすぎず、一次情報をしっかりと増やしていくことなのではないか。

その為にも、関東に残る自然という一次情報を問い直していくのは面白いと思う。

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