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連載小説 ジョー・ナポリタンの栄光無き人生 第二回

ジョーの出番は誰かが塁に出た時にやって来た。監督が審判に代走を告げる。ジョーはダグアウトから跳ねるように出てくる。リズミカルに左右のつま先で地面を叩き、スパイクに付いた土を落とす。そして、ぐっと前傾すると、交代を告げられた選手のいる塁まで一目散に走るのだ。まるで風のように。
ジョーは交代する選手と目すら合わせない。これはあとで語ることになるかもしれないが、ジョーはチームにおいて一匹狼、あるいはのけ者だった。誰もジョーと仲良く会話しないし、ましてディナーを共にしようなどとはしなかった。それはお互い様で、ジョーの方でもそんなものは必要としていなかったけれど。
塁上に立つ。マウンドの上、ピッチャーは振り返り、ジョーの姿を確認する。間違いなくジョーはその塁の上にいる。腰に手を当て、ピッチャーの様子を見ている。ピッチャの様子は、まるでジョーがそこにいることを確認するかのようだ。手品師が手渡すコインに何の仕掛けもないことを確認し、それを返すみたいに。
ピッチャーはセットポジションに入る。キャッチャーが息を吐く。ピッチャーと目配せをする。二人は当然知っている。いや、彼らだけではない。球場にいる誰もがそれから起こることを知っている。
ジョーは重心を落とし、一歩二歩塁から離れる。
「三歩半だ」ジョーはそう言っていた。「きっかり三歩半、それ以上でも、それ以下でもない。その一歩一歩もいつも一定でなけりゃいけない。コンパスで測るみたいに。あまり離れ過ぎても、帰塁することばかりに頭が行ってしまう。むやみに離れれば良いってもんじゃない。かと言って、ベースに近過ぎるのも良くない」
「なぜ?」
「そりゃ、次のベースに近い方が良いに決まってるし、なによりビビってると思われてナメられる。それはさけなきゃならん」
ジョーは寡黙な男だったが、話題が盗塁のこととなるとたちまち饒舌になった。バッティングや守備のことになると黙り込んだのは言うまでもないだろう。語るとしても、それは言い訳か、弁解以外にはなかった。
ピッチャーはプレートから足を外し、ジョーのいる塁に向けて牽制をする。それも、一度と言わず、二度も三度も。ジョーはそのたびに面倒そうに帰塁する。まばらな観客からマウンドに向けてブーイングが投げつけられる。
観念したような様子でセットポジションに入ると、ピッチャーはキャッチャーに向けて投球をした。
ジョーがスタートを切る。
その瞬間、時間が止まった。

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