ショートショート「朝飯前」

彼は勤勉だったし、また献身的だったので、組織の中での信頼も篤く、当然彼のボスも彼を高く評価したので、彼は瞬く間に出世をして幹部に抜擢された。
ギャングの。
もちろんその過程で、多くの悪事に手を染め、修羅場を潜り抜け、死線を乗り越えてきた。彼はタフな男だったし、頭も切れた。幹部になってみると、彼の美質、といってもギャングとしての美質なわけで、残忍さや狡猾さ邪悪なカリスマ性などなわけだが、それらがより一層強烈な光を放つようになった。組織内では紛れもない実力者と認識されたし、他の組織の者どもは彼の名前を聞くだけで震え上がった。
しかし、不思議なもので、こうなってみると、それまで彼を重用していたボスが彼を疎み始めた。彼が組織を乗っ取ろうと企てるのではないかという猜疑心にかられたのだ。
彼にはそんなつもりは一切なかった。彼はボスに認められたい一心だったのだ。そのために身体を張り、恐怖に打ち克ってきたのだ。彼の忠誠心は誰よりも強かった。
そんなある日、ボスから彼に電話があった。敵対する組織のアジトが見付かった、それを叩きのめしてほしい、という指令だった。
「朝飯前ですよ」彼は言った。ボスからの直々の指令は彼を喜ばせた。またボスのために働き、ボスに喜んでもらいたい、と彼は思った。その気持ちの中には、自分を疎んでいるボスに、また自分を認めてもらいたい、というものもあった。同時に、一抹の不安が、彼の頭をよぎった。もしかしたら罠が仕掛けられているかもしれない。自分を取り巻く状況、ボスが自分をどう思っているか彼には痛いほでわかっていたので、ボスが敵対する組織と結託し、自分を陥れることがないとは言い切れない、と彼は思ったのだ。
しかし、ボスの命令は絶対だ。それは組織の規律としてはもちろんのこと、彼自身の中の規律として。彼は疑心暗鬼にかられる自分を叱咤した。ボスが自分を嵌めようとするはずがない、と自分自身に言い聞かせた。
決行の朝、彼はボスの部屋に立ち寄った。ノックをしても返事は無かった。不在なのかもしれない、何しろ早朝だ。しかし、彼にはわかっていた。ボスはそこにいる。
「あなたを誰よりも慕っています」彼は扉に向かって言った。「あなたを愛していると言ってもいいくらいに」
彼は手下を引き連れ、アジトと目される廃墟へ向かった。近づくにつれ、不穏な空気を彼の肌は感じた。百戦錬磨の彼には、それがわかった。
目指すアジトを目前にしたところで、彼は一羽の美しい鳥を目にした。手下たちは誰一人気にもとめていなかったが、彼はその鳥に目を奪われた。彼は思った。あれはなんという鳥だろう。仕事を終え、帰ったら図鑑で調べて見よう。この仕事の報告をボスにする時、鳥について触れるのもいいかもしれない。彼は自嘲気味に笑い、愛用の拳銃を懐から出した。ずっしりとしたその重さを手に感じた。
「朝飯前さ」彼は呟いた。

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