ショートショート「Golden Days」

昼過ぎに起床する習慣が身に付いてこのかた、この世はぼく抜きでは齟齬が生じるに違いないはずだったが、なんのことはない、歯車ひとつ、いや、その歯車の歯がひとつ欠けたくらいでは問題などなかったのだ。別に涙なんて出ない。
軽い気持ちで押したそれがドミノの最初であり、ぼくの軽い気持ちが破局を惹き起こしてしまった、という夢を見た日、ぼくは解雇された。
解雇された理由については語りたくない。世の中は不条理に満ちたものかもしれないが、間違いなく理にかなったこともたくさんある。まあ、つまりそういうことだ。
ぼくに同情するような人間はほとんどいなかった。全くいなかったと言ってもいいかもしれない。ぼくは人付き合いのいい人間ではなかったから、友人と呼べる人間なんていなかった。交わした会話は業務連絡か天気についてくらいだ。
そのお陰というのはおかしいかもしれないが、給料のほとんどは生活費を除いて丸々貯蓄にまわっていたので、失職したところで明日明後日に食うに困るということもなかった。塞翁が馬とはよく言ったものだ。
こうして、ぼくは日がな働かずにぶらぶらと暮らすことになった。近所付き合いだって希薄だから、大の大人が真っ昼間からそんな具合で、と後ろ指指されても気にならない。まあ、いいことだと胸を張れることではあるまいが。
やめていた煙草をまた吸い出した。食事は腹が空いたら食べる。別に拘束される時間もないわけで、自分の欲求の赴くままに生活してもなんの支障も来さない。なんとも気ままである。もちろん、頭の片隅では、こんなこといつまでも、長くは続かない、とはっきり明瞭にわかっている。じきに仕事を探して、毎日あくせく働かなければなるまい。言ってもそれほど潤沢な貯蓄があるわけではないのだ。当座は困らないが、何かアクシデントがあれば一気に吹き飛び兼ねない。
そう、あくせく、速度に違いはあれ、誰もが走っている。ぼくのような状況になると、つまり立ち止まっているような状態になると、それがわかる。立ち止まっているから見える景色があるのだ。もちろん、走っているから見える世界もあり、誰もが走っているのならば、その走っている時に見える世界こそが正しいものなのに違いない。
ある日、元同僚に誘われて酒を飲みに行くことになった。別に仲の良い人間ではなかったが、どうやらぼくのことを心配してくれていたようだ。
「最近どうしてるんだよ?」
「まあ、ね」
「まあ?」
「毎日ぶらぶらしてるよ。充電期間さ」
「羨ましいな」
「冗談だろ?」
「いや、本心さ」と彼は笑った。
「そっちは?」
「みんなお前がいなくなって寂しがってるよ」
「みんなって?」
彼はまた笑った。良い奴だ。本心からそう思った。
勘定は彼が持ってくれた。払うと言っても耳を貸してくれなかった。
「誰か一人抜けたところで、なんの問題もない」
「そうかもな」
「なんだか馬鹿馬鹿しくなる」
「それが人生さ」
「ありがとう」
彼は笑った。
翌朝、ぼくは早起きをした。久し振りに飲んだせいか、頭がひどく重かった。ぼくは深くため息をついて、大きく伸びた。押し入れを引っ掻き回して、学生の頃に使っていたトレーニングウェアを探し出した。それを着て、ぼくは朝の街へ走りに出た。

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兼藤伊太郎

For Beautiful Human Life

つたない創作ですが、よろしければどうぞ。
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