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基本の大切さ、誤字の大失敗

「あっ」、と思った時にはもう遅い。
そんな経験を皆さんも沢山お持ちのことと思う。
「なぜこんなことをしでかしてしまったのか」という、極めてイージーで、しかし取り返しのつかないミスを、私もいろいろと過去に犯してしまった記憶がある。
少年野球の試合では平凡なフライを思い切りバンザイ。
自分のせいでサヨナラ負けを喫した。
さらに学生の頃には、組んでいたバンドでの最後の東京でのライブ、出順はトリであったのにもかかわらず、緊張を解きほぐそうと酒を飲み過ぎ、泥酔。
そもそも緊張に対して酒で対処しようというのが間違いのもと、まともに叩けず全曲ツービートで通す羽目になり、散々なライブをしたこともあった。

今回は、それどころではない。
穴があったら入りたいどころか、切腹したい気分だ。
迷惑をかけた方にも謝っても謝りきれない。
自分の醜態をここに打ち明けて、皆様は私のようにならないで欲しい、そう願って、また後悔しても仕切れない自分へも向けて、記事としたい。

私は全く異なる定職につきながら、ライターとしての仕事を頂いてその仕事もしている。
これは、文章を読むことが好きで、文章に関わる仕事にどうしても携わりたくて、チャレンジしたのがきっかけだ。
日中働いて、夜中書く、そんな生活を続けて一年。
チャンスに恵まれて、スポーツの取材に携わらせて頂けるようになった。

問題の発覚は先日、あるスポーツの大会終了後、神経症的に何度も見直してようやく当日中の記事を入稿し、安心しきっていた矢先の出来事だった。
公開された記事を、喜びを噛み締めつつ何度も読み返したのであるが、入稿前の時点でも、この段階でも、その都度読み返しているもののなぜ気づかなかったのかと、今でも自分を愚かに思う。
さらに言えば、選手名の誤りの指摘があり(これも本来ならば気づくべきだ)その時に全て読み返していても気づいたはずだ。読み返していたが全く気づけていなかった。
そもそも自分はきちんとそのものを見ているのか、読んでいるのかと疑問に思うほどの間違いだ。
いや、結果から考えれば読んでいるつもりになっているだけで読んでいたとは言いがたい、ということを認識することが必要だ。
間違いの指摘は、翌日主催者側からあった。
訂正の連絡だ。
メディアとしては、冠名、選手名、リザルト、は絶対に間違えてはならない。
間違った情報を伝えるようなことがあっては、誰も信用して読むことができなくなってしまう。

その訂正箇所とは、何とスポンサーの名前であり大会名、しかも記事タイトルになっている箇所だ。
問題の箇所を目にして生まれて初めて背筋が凍るような思いをした。

そこには「ADIDAS」と書かれるはずのものが、大きな文字で

「ADAIDAS」

と書かれているではないか!
逆に、どうやったらこれを見落とすんだ!
自問自答するが、見落としたという事実はなくならない。
完全なタイプミスで、一番気づかなければおかしい場所に大きな文字で致命的なミスが発見され、すぐ代表の方が修正、謝罪、の対応を取ってくださった。
私は謝っても謝りきれず、申し訳ない気持ちで一杯になったが、取り返しはつかない。
「切り替えていこう」
とおっしゃっていただいた代表の方には本当に申し訳ない気持ちと、感謝しても仕切れない気持ちだ。
そして自分自身には、深い後悔と、どうしたら改善できるかを必死に考えさせられた。
当たり前の話であるが、なんども読み返すことは当然として、自分だけでなく他人にもチェックして貰う必要があるし、世の中にはチェックツールという便利なものもある。
限りなくエラーを0にする工夫が必要だ。
こんなことを書いたら、私のレベルの低さを周知するだけで、もう仕事は来ないかもしれない。
けれども、私のミスは取り返しがつかないし、私のミスであることを認識することは私にとっても大事なことだ。

皆様は、こんなことをする人はいないかもしれないが、改めて反面教師として、もしくは今失敗をして落ち込んでいる人がいれば、自分よりもっと大失敗をしている人もいるんだなと思って落ち込んだ心を慰撫しても良いし、何かしら読んで頂いて引っかかりのある記事になればと思い、自分の失敗を発信することに決めた。

「文章は、何度も何度も声を出して読み返そう」

自分自身へ。



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