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日本登録第一号の45年前のレンジローバーはお寺のファーストカーだった

 十中八九、あのレンジローバーはもう存在していないだろうと思っていた。15年前に初めて見せてもらった時でさえ、すでに立派なビンテージカーだったのだから、きっと乗り続けられてはいないだろう。
 訪れてみて、仮にそのクルマが無かったとしても構わない。それでも、再び訪れてみたくなったのは、それが日本で最初に登録されたレンジローバーで、その来歴が実にレンジロバーらしいものだったからだ。
 箱根から御殿場の街を抜けて山中湖に向かう国道沿いに大乗寺という大きな寺がある。1469年に建立された浄土宗の古刹だ。ここの住職の神谷高義さん(67歳)が日本で最初に登録された初代レンジローバーに乗っていた。
 境内に入っていくと、隅で若い僧侶が掃除をしていた。以前にレンジローバーを見せてもらった礼を述べつつ、自己紹介をした。
「それはどういたしまして。これですか?」
 その僧侶は、傍の建物の壁にあるスイッチを押した。シャッターの扉が開くと、あのレンジローバーが収まっていた。
 まだ、乗り続けられていたのだ!
 感激した。
 おまけに、存在していても経年変化がだいぶ進んでいるのではないかと危惧していたのに、心なしか以前よりも輝いて見える。
「古いクルマには湿気が大敵なので、数年前にこのガレージを建て、除湿機を入れて24時間稼働させるようにしました」
 思い出してみれば、以前は屋根の下に停められていただけだった。
「父もいますから、呼んできますよ」
 彼は息子さんだったのだ。

 寺の建物から父である高義さんが現れた。
「これは、お久し振りです。レンジローバーはこの通り息子が手を掛けて、維持しているんですよ」
 レンジローバーの隣には、メルセデスベンツEクラスステーションワゴンとハーレー・ソフテイルが収まり、隣の屋根の下にはこちらもピカピカのスズキ・ジムニーとホンダ・アコードワゴンが停まっている。
「クルマが好きなので、いつもキレイにするようにしています」
 息子の成順さん(28歳)は、大学卒業後、他の寺に修行に出た後、生家である大乗寺に戻ってきた。ハーレーも彼のもので、バイクも好きだ。
「以前にカネコさんもお会いになった芹沢さんは昨年、93歳でお亡くなりなりました」
 芹沢さんとは、このレンジローバーの最初のオーナーである芹沢完一氏のことだ。高義さんは、1994年に芹沢氏から譲り受けた。芹沢氏は大乗寺の檀家の出身であり、古くから親族ぐるみの付き合いがあった。
 自身で興した製薬会社の社長として全国を飛び回る移動の足として、また狩猟を趣味としていた芹沢氏は、1960年代からランドローバーを2台乗り継いでいた。毎年12月から2月15日までの間は兵庫県や鹿児島などへ鹿や猪を撃ちに出掛けて行っていた。
 静岡から兵庫まで400km、鹿児島などは1500km離れている。高速道路はまだごく一部しか整備されていなかった時代なので、時間も掛かった。鹿児島から3人で交代しながら運転して、静岡まで24時間掛かったこともあった。
「都市部は道路も整備されていましたが、地方では舗装も進んでいませんでした。それまで乗っていた日産セドリックでは、雨でぬかるんだ国道を走り切れませんでした」
 全国の販売店を巡りながら獲物を追って山奥に分け入るのには、タフなランドローバーでなければならなかったのだ。芹沢氏にとってランドローバー以外のクルマは考えられなかった。


 しかし、ランドローバーにも弱点があった。それは舗装路であまりスピードを出せないことだった。
「名神高速道路が伸びた時に遠くまで走って、エンジンを焼き付かせてしまったことがありました。コーンズのメカニックにも、連続して90km/h出し続けるのは好ましくないと言われていましたが、アクセルペダルを床が抜けるほど踏み付けても90km/hは出ませんでしたけれどもね。ハハハハハハッ」
 だから、1971年のレンジローバーの発表は芹沢氏にとって朗報だった。“悪路走破性はランドローバーと同等以上で、舗装路では150km/hで巡航できる”と発表されていた。
「このクルマならば、仕留めて捌いた獲物の肉を腐らせることなく、新鮮なうちに自宅まで運ぶことができる」
 レンジローバーはV8エンジンを装備し、130馬力という最高出力は今日の標準からすると信じられないくらいに非力だった。しかし、ランドローバーの最高出力はもっと非力だったし、舗装路での遅さは身を以て体験していたから、否が応でもレンジローバーというクルマへの期待は高まった。
 さっそく、芹沢氏は当時のランドローバーの日本輸入総代理店であったコーンズに問い合わせたが、当面はレンジローバーを輸入販売する予定がないと回答された。
 諦め切れず、当時、アルファロメオなどの輸入販売を行っていた伊藤忠オートに打診したところ、新車は難しいが中古車ならば可能性ありという返事を受けた。
 結局、芹沢氏が購入できたのは、登録から4カ月しか経過していない、新車のような中古車だった。日本で登録する際に、陸運局に記録が残っていなかったことから、このクルマが日本上陸第一号車であることが証明された。
「このクルマに4カ月乗っていた人はゴールデンレトリバーを飼っていたようですね。金色の毛が車内に何本も落ちていましたよ」
 ロンドンで4カ月間だけレンジローバーと共に過ごした“持ち主”の氏名や住所が記された登録証や整備記録などは、今でも全部揃って神谷さんが保存している。


「芹沢さんがランドローバーを人に譲ったのを知っていたから、レンジローバーも“要らなくなったら、ちょうだいな”と言っておいたんですよ。それを憶えてくれていて、譲ってくれました」
 ある日、レンジローバーで高速道路を走行中にエンジンストップしてしまった。同乗していた会社の重役連中に乗り換えを勧められ、芹沢氏は思い入れたっぷりに入手したのにもかかわらず、呆気なく二代目レンジローバー・ヴァンデンプラに買い換えてしまったのだった。
 レンジローバーは神谷家のファーストカーとなった。まだ小さかった成順さんを筆頭とする3人の子供たちと夫婦でスキーや釣り、キャンプなどに出掛けた。乗馬やゴルフなどにも活用された。


「“山の整理”と言っていましたが、間伐の手伝いをするのにチェーンソーを載せて山の中まで乗って行ったりすることもありましたね」
 いたってシンプルな構造だからトラブルはあまり発生していないが、譲り受けてすぐの頃に、スターターリングの片減りを直し、ターミナルコードを交換したことがある。
 釣りに行った時にエンジンが掛からなくなり、セルモーターだけで動かして付近の民家の敷地で応急措置を施したこともあった。
 助手席に乗せてもらい、境内を出て、富士山を目指した。富士山には、途中までクルマで登っていける舗装道路が何本かあるのだ。
 車内はいたってシンプルだ。マニュアルトランスミッションの長いシフトレバーを前後させて、高義さんはレンジローバーを加速させていく。ホイールストロークが長いサスペンションなのだろう、乗り心地がとても柔らかい。
「ほら、こうやってブレーキを掛けてもノーズダイブをしないで止まるでしょう?」

 赤信号で止まりながら、高義さんは教えてくれた。確かに、普通のクルマのように車体が前のめりになりながら減速するのではなく、路面と平行の位置関係を保ちながら減速していっている。
「初めて運転した時に思いました。“ああ、このクルマは乗馬をしている人が設計したのではないのだろうか!?”と」
 馬が止まる時には、前のめりにはならない。減速しながら、最後は前足を突っ張るようにして馬体の姿勢を平行に保とうとする。なるほど、レンジローバーもその通りに動いている。
「フレームに接合されたオートレベライザーが、この働きを行っているんですね」
 クルマの手入れを怠らない成順さんだけあって、メカニズムにも精通している。
 富士山の中腹辺りまで登ってきて、林の中に乗り入れた。眼にも眩しい樹々の緑の中にレンジローバーを止めると、サハラダストと呼ばれる淡いベージュのボディカラーが実に良く調和している。時間が止まったようだ。
 4枚のドアやテールゲートを開け放って、改めて見せてもらう。レンジローバーだけでなく、最近の高級SUVの豪華な姿とは相容れない簡素な仕立てである。

 だが、窓ガラスとテールゲートを上下別々に開閉できたり、大きな窓ガラスとフラットに近いボディパネルや把握しやすい形状のフロントフェンダーなどによる良好な視界など、進化させつつ残している部分は多い。とても良く吟味された装備と設計が今日でも色褪せていない。
 それだけでなく、造形的な特徴も巧みに継承していて、レンジローバーらしさは現行モデルに引き継がれている。上手なモデルチェンジの見本である。
「フェンダーは溶接されているのではなく、このようにボディにリベットで固定されているんですよ。アウトドアでの整備性が考慮されているんですね。よく考えられていますね」
 このクルマは45年前に造られ、メカニズムや装備などからは年式相応の古さを感じる。しかし、SUVという言葉が生まれる以前からのオフロード4輪駆動車としての存在感の強さや、オンロードでも一級のパフォーマンスを示す万能性にはいささかの古さも感じられない。
 テールゲートに高義さんと成順さんが並んで腰掛けた。自然と二人は笑顔になる。


「こんなクルマを、イギリスではよく45年前に造ったなぁ。日本のモータリゼーションなんて、せいぜいこの50年くらいのものなのだから、スゴさが良くわかるな」
 高義さんは、レンジローバーを生み出したイギリスのクルマの歴史の奥深さに感心している。
 成順さんは、自分が生まれるはるか前に造られたクルマなのだから、現実感を持つことはできるのだろうか?
「存在しないことが考えられません。半世紀近く動き続けていることが驚きです。単なる移動ではなくて、このクルマは運転すること自体が目的になって、楽しいんです。大きな敬意を払っています」
 最近では、家族それぞれが自分のクルマを持つようになったこともあり、レンジローバーで出掛けることが減ってしまった。昨年などは、たった200kmしか走っていない。
「それでも持ち続けているのは、時々エンジンを掛けて、V8エンジンの音を聞くのもいいものですよ」
 レンジローバーは、もはや神谷家の一員となってしまったようなものだ。家族なのだから、僕が心配するまでもなく、これからもずっと彼らとともにあり続けることだろう。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)

文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com


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