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若者はクルマから離れるのではなく、一体化する

ロータス・セブン シリーズ3
LOTUS Seven Series 3(1968年型)

 日本では、もうずいぶん前から「若者のクルマ離れ」が指摘されている。
 昔は、男も女も18歳になればほぼ全員が運転免許を取得し、全員と言わないまでもかなりの割合の若者が安い中古車などを購入してクルマを持つことが当たり前と考えられていた。
 地方は今でもその通りだ。移動手段を自分で確保しなければ生活できないからだ。しかし、都市部においてはその限りではない。公共交通機関の充実は続いている反面、クルマを所有する負担は大きくなっている。
 スマートフォンやPCなどを購入し、さらにその通信費などを毎月支払っていたら、普通の若者には都市部ではクルマなど持つことはできない。というか、クルマを持つ合理的な理由が見付からない。
 負担は昔よりも増大しているのに、所有しないとできないことは減っているのだから、当然のことだと思う。
 しかし、そうした場合の“クルマ”とは、単なる移動手段のことを指している。移動手段としてのクルマが必要になったら、その時はレンタカーやカーシェアリングを利用すればいい。現に、若者たちはそうしている。
 そうではなく、クルマにはもう一つの側面がある。自分で手入れをしたり、カスタマイズする楽しみは所有しないと不可能だし、なによりも運転する喜びはとても大きい。運転は移動のための“手段”ではなく、“目的”なのだと考えれば若者がクルマを所有する理由になり得る。
 自動運転のクルマをシェアリングし合う未来になったとしても、そうした楽しみや喜び、つまり趣味や嗜好としてのクルマの存在はなくならないだろう。むしろ、純化し、深化していくはずだ。


 それを実践している若者に会った。作佐部 匠さん(25歳)は一昨年、1968年型のロータス7を買った。初めて持つ自分のクルマだ。
 子供の頃からクルマは好きで、学生時代は父親の友人が貸してくれていたユーノス(マツダ)・ロードスターに乗っていた。
 父親も1960年代製のTVRヴィクセンというイギリスのスポーツカーに乗るほどのクルマ好きだ。
「運転免許を取って、初めて運転したのが父親が持っていたBMW・M3でした。若葉マーク(1年以内のビギナーに義務付けられている若葉の形と色のステッカー)を貼って」
 他にも、MG BやジャガーEタイプやミニなども運転したことがある。
「ミニは、クルマ好きの曾祖父さんが乗っていたんです」
 クルマ好きになるべくしてなったような家庭環境で育ったわけだ。
 美術大学を卒業して、現在はデザイン会社にグラフィックデザイナーとして勤務している。鎌倉の自宅には、家族と一緒に住んでいる。


 自分で最初に所有するクルマについては考えがあった。
「ええ。人生で最初に所有するクルマはブッ飛んだクルマに乗りたいって決めていました」
“ブッ飛んだ”とは、刺激的なことや過激なことを意味するが、ロータス・セブンはまさにその表現がピッタリのクルマだ。
 セブンは見ての通りのシンプルな構造だ。パイプフレームにサスペンションやエンジン、シートなどを取り付け、ドアすらない。フロントウインドの代わりにも小さなスクリーンしか付いていない。本当に、運転するためだけに存在しているクルマだ。
 もちろん、電子制御デバイスの類は皆無で、エアコンや運転支援デバイスなどもない。セブンには様々なバリエーションが存在しているが、フォードの1.6リッター4気筒エンジン(通称ケントユニット)とフォード・シエラ用5速MTを搭載したこのシリーズ3は重量が560kgしかない。だから、速い。
 車高が低く、ダイレクトに風を受け、路面からの衝撃も直に伝わってくる。“ブッ飛んでいる”ことは間違いない。
 作佐部さんはこの個体のことを以前から知っていた。父親がヴィクセンを購入した東京のカーショップでフルレストアされている姿を見ていたからだ。
 完成した後に助手席に乗せてもらって、ショップ店長の運転で走ったことが決定的となった。
「勢いよくガンガン走って、強烈でした。“これはもうクルマじゃない”って思いました。まるで、自転車にエンジンを取り付けたような速さがありました」
 ちょうどその頃、作佐部さんは家を出て一人暮らしを始めようかと考えていた。日本でアパートを借りるには、礼金や敷金など一時的にかなりの額をデポジットとして支払わなければならない場合がほとんどだ。引越し業者への支払いも発生するし、電化製品や家具なども必要になってくる。
「悩みました。一人暮らしを始めるか、それともこのクルマを買うか」
 両方は手に入らない。どちらかを選ばなければならない。
「一人暮らしはまたいつか始めることができるけれども、このクルマを買い損ねたら、二度と手に入らないと思って、決めました」
 クルマの代金が430万円で、その他に税金や保険代金などを含めると500万円近い出費となった。
「6年ローンなんですよ」
 文字を読むだけだと長いローン期間を嘆じているように受け取れるが、本人を前にして聞くと、目論見通りに“ブッ飛んだ”クルマを手に入れることができて満悦の表情だった。
「買うことに迷いはありませんでしたが、買って正解でした」


 横浜にある会社へは電車通勤しているから、セブンに乗るのはもっぱら週末と休日だ。
「40km/hで走っても、ダイレクトに反応が返ってきて、運転が楽しい」
 真夏の昼間の渋滞と真冬の夜の寒さは地獄の苦しみだけれども、それ以外ならば買い物にも使っている。
 海沿いの国道134号を走るのは最高に気持ち良いし、西に足を伸ばせば箱根のワインディングロードも待っている。
「箱根を越えてその先の山中湖まで往復するとちょうど200km走れます」
 鎌倉から山中湖往復だったら、アップダウンを伴ったコーナーの連続だ。これ以上ないくらいセブンを十二分に満喫できるルートだ。
「ただ、デフから異音が出るのが気になるっています。袖ヶ浦フォレストフリーウェイを走って以来なので、無理はしないようにしています」
 構造がシンプルだから、メカニズムのコンディションがすぐに現れてくる。運転もそれに合わせながら行わなければならない。
「プラグを被らせないようにアクセルワークを行う必要があります」
 このクルマのエンジンへの燃料供給は現代では常識的な電子制御式のインジェクションではなく、原始的なキャブレターによって行われている。右足の踏み方次第でガソリンが濃く送り込まれてしまい、それがスパークプラグを濡らし、燃焼を妨げてしまう。そのことを“被らせる”と呼んでいる。
「このクルマを買って、初めて店から運転して帰ってくる途中の自宅近くでプラグを被らせて、エンジンが停まってしまったことがあります」
 運転だけでなく、その時の気温や湿度などにも影響を受ける。この日は冷え込む日だったので、作佐部さんは僕らが来る前にプラグをエンジンから外し、自宅のストーブで温めておいてくれた。そうすると、燃焼が安定してエンジンが停止することもなくなる。
「そういった“儀式”をマスターして扱うと、クルマもそれに応えて調子良く走ってくれるところが愛おしいですね」
 キャブレターについては現在は完調とは言えないようで、アイドリングが整わないこともある。
「キャブレターのセッティングも、これからマスターしていきたいですね」
 テールライトが、ひとつのライトでブレーキライトとターンシグナルとテールライトの三つを兼ねているタイプであることがこだわりの点で、さらにこれをLED化することを計画している。
 ロータスのフォーミュラーカー用ステアリングホイールやレーシングカー用ホイールのレプリカホイールが装着されていることも自慢のポイントだ。
「オリジナル至上主義ではありません。外見はオリジナルでも機能は現代流といった感じで進めていきたいです」


 購入して1年半で9000km走った。
「距離計は故障していますが、エンジンオイルの交換を減りと汚れで3000km毎に行なっていて、3回行ったので9000km走ったことは間違いないです」
 セブンで1年半で9000kmはなかなかのハイペースだ。さすがは25歳!
「同世代のクラシックカー仲間がもっと欲しいですね」
 昨年の春の休日に、仲間と箱根に走りに行った時、仲間の運転するMG Bが停まってしまった。
「みんなで協力しながら解決して帰ってきたのが楽しかった。仲間と一緒ならばトラブルも楽しみになります。クラシックカーの喜びと楽しみをシェアする仲間を増やしたいですね」
 特別にクラシックカーに興味のない同世代の友人を乗せて走ったら、みんな一様に驚いたという。
「こんな刺激は生まれて初めて。ディズニーランドに何回も行くのよりも、この同乗の方がスゴかった」
 そうだろう。クルマ好きが乗っても刺激的なのだから、興味がない人が乗ったら卒倒してもおかしくない。
 作佐部さんは望み通りのセブンを手に入れて、クラシックカーのある暮らしを謳歌し始めた。しかし、問題もあるのだと真剣な表情で話し始めた。
「次に乗りたいクルマがないんですよ。僕にとってセブンは絶対的な存在で、世の中のクルマはセブンかセブン以外にしか分けられません。ポルシェやフェラーリにも全く興味が湧きません。今後、湧いてくるとも思えないんです」
 贅沢な悩みだけれども、作佐部さんは非常に的確にセブンというクルマを本質を突いている。最もプリミティブであるが故に、自動車というものが本来的に有している魅力を最もダイレクトに突き付けてくるのがロータス・セブンというクルマだ。最近の若者はクルマ離れどころか、クルマと一体化しているのだった。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久 text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com


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