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わたしをつくったもの(漫画編)

というテキストを川村マユ見さんがnoteでアップされていたのでツラツラ思い出し書きしてみます。

音楽とか、小説とか、映画とか、テレビドラマとか、イラストだとか、幅が広がりすぎちゃうので、とりあえず今回は漫画だけ。

初めて買った漫画は確か『キャンディキャンディ』の何巻か?まだ幼少の頃です。

従姉妹のお姉ちゃんが8歳年上と6歳年上だったので、ここで、少女漫画のいわゆる「24年組」に目覚めます。萩尾望都先生とか竹宮恵子先生とか大和和紀先生とか…。近所の大学生のお姉さんからも里中満智子先生とか貰っちゃったりして耳年増な小学校低学年を過ごします。

自分ではこの頃有吉京子先生の『SWAN』に夢中になり、小学校中学年の頃の自由帳はバレエのポーズのイラストをバカスカ量産します。ガラかめもベルばらもハイカラさんもデイモスの花嫁も多分出会いは小学校低学年から中学年。これはこれで私の血肉になったと思います。

いよいよ小学校高学年。

ここが結構運命のフォッサマグナじゃないでしょうか。だいたい少女漫画界では11歳位に出会った作品に最も影響を受け、漫画家を目指す人は少なからずその頃の何かを引きずることになるでしょう。とわたしが勝手に言っています。

この頃私は雑誌「花とゆめ」に出会います。低学年の頃、ちらと単行本で立ち読みして夢中になった『ガラスの仮面』が絶賛連載中だったので、周りには1人も花ゆめ読者がいなかったのもあって(借りられないから)買うことにしたんだと思います。そこで『パタリロ』やら『ブルーソネット』やら『アクマくん』やら、LaLaに飛んで『綿の国星』やら『エイリアン通り』やら『日出づる処の天子』などに出会います。いわゆる「35年組」です(大島弓子先生、山岸涼子先生はむしろ24年組だけど)。この後出てくる佐々木倫子先生や、川原泉先生、清水玲子先生はデビュー作からリアルタイムで見つめていた作家さん達です。友達を通して他の雑誌でご活躍の吉野朔実先生や秋里和国先生や川原由美子先生や渡辺多恵子先生など、同時代にすごい数の少女漫画家が綺羅星のごとく量産されていたのです。11歳の多感な時期に出会うとゲージツが爆発して、またその年代の漫画家が団塊ジュニアのように爆誕するのなら、次は「46年組」じゃないですか?うおお!私の世代!キターーー!と勝手に思い込んでましたが、いっこうにデビューしませんで、普通に就職してしまいました。

同人誌までやる子は身近に居なかったので、こっそりと漫画情報誌「ぱふ」なんか買って、イラストを投稿したりしながら、サークルを探していました。その中であるサークルに入ったのが中1の頃…。コミケデビューが中2という、まさに厨二全開、オタクへの階段を一歩一歩上がっておりました。まだコミケが晴海やTRCでやってた頃ですよ。知らないでしょー?

そして、人様のサークルで活動するのも一旦終止符をうち、自分でサークル代表をやることにしたのは高校1年の頃でした。中学の時、文化祭で有志で文芸同人誌を出した時の仲間をかき集めて(全員違う高校でしたが、全員進学校でした。私以外はみんな頭良いお友達ばっかり……)、初めは5人位で始めたのですが、コミケなどで本を売ったりするうちにちょっとメンバーが増えてそうこうするうちに大学受験がやってきてあっという間に空中分解しました。

その頃の同人誌はまだ少し余ってます。ふふ。黒歴史ってやつです。

その高校生の頃、即売会で購入された方にお手紙を頂いて、それで「あなたの絵は……に似てますね」というので知った漫画家さんがいたのですが、出会いは逆ですが、その後この方の影響は計り知れないかも。

その漫画家さんとは、

須藤真澄先生

です。教えてもらって買った、東京三世社から出ていた『電気ブラン』の衝撃。あの世界観。それからあっという間にすどーさんの漫画を集めまくりました。大学に入ってから、すどーさんを知る同級生の男の子と仲良くなって(彼氏とかではない)、その子は好きすぎてふゅーじょんぷろだくとという出版社に就職して、ずっとすどーさんに会った自慢をしてきやがりましたが、とうとう私は会うことはなかったです。すどーさんの手書きのハガキならもらったことあるけど……(*´ω`*)あれはタカラモノ。

そんなわけで、私は24年組と35年組と須藤真澄先生からできていますね。

あーざっくり。明日も仕事だからもう寝ます。

#わたしをつくったもの
#ひろがりすぎちゃうので少女漫画に限定しました
#80年代的な




ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。