「科学的手法」という言葉に騙されないために (2)

今回は前回に引き続いて、「科学的手法」という言葉に騙されないために必要となる基礎知識を解説します。さて前回の最後に以下のような例題を出しました。

STE Inc.は、カリフォルアニア州にある会社です。社内の研究所には300人以上のサイエンティストが働いています。この会社に新しいCEOが雇われました。これからの経営計画を立てるために、CEOはコンサルタントを雇い、なぜ社内でサイエンティストには業績が高い人と低い人がいるのかを明らかにするように依頼します。CEOはこの分析結果を今後、人材の採用や報酬制度に役立てたいと考えています。
コンサルタントは、今年第一四半期に高い業績で目標を達成することができたサイエンティスト10人にインタビューをしました。このインタビューの結果、コンサルタントは、高い業績をあげたサイエンティストは、内発的な動機付けが強い (例: 仕事に強い関心を持っている、勤務時間外も仕事に関係のあることに時間を割いている)、と結論付けました。

4つの妥当性

この結論が信じられるかどうかを考えることを、科学のプロセスにおいては、「妥当性の検証」と呼びます。ある研究の結論が妥当であるかどうかは、一般的に「内的妥当性」、「外的妥当性」、「構成概念妥当性」、「信頼性」の4つに分けて判断をします。

「内的妥当性」とは提示されている因果関係がきちんと検証されているかどうかを判断する指標です。「外的妥当性」とは提示されている因果関係がどの範囲・前提とする条件まで成り立っているかどうかを判断する指標です。「構成概念妥当性」とは実際に測定されたものが、提示されている因果関係の原因及び結果と如何に一致しているかを判断する指標です。「信頼性」というのは測定したデータが本当に適切に取得されているかどうかを判断する指標です。少し難しくなってきたので具体例で示しながら、このコンサルタントによる調査の疑わしい点について検証してみましょう。

このコンサルタントの調査でまず最初に疑うべきは、インタビューの対象者の選択です。対象者は全員高い業績をあげた人となっています。本来業績の良し悪しの原因を探りたいのですから、高い業績の人と低い業績の人を比較しなくてはなりません。比較対象のグループのことを「コントロールグループ」と呼びますが、このコントロールグループがこの調査では存在していません。いくら成功した人だけを調査しても、因果関係を探ることはできないのです。ちなみにこういったインタビュー対象者(サンプル)が偏って抽出されている状態のことを「セレクション・バイアス」と呼びます。「内的妥当性」の観点からはこの結論は妥当であるとは言えない、ということになります。

次に疑問に持つべきは、「今年第一四半期」に業績の高い人をあげたというサンプルの選択の仕方です。第一四半期に高い業績をあげた人は、別の四半期に高い業績をあげることができるのでしょうか。もしかしたら研究分野によっては、夏よりも冬の方がパフォーマンスが高くなるといった季節性があるかも知れません。もしくは、過去に高い業績をあげたことが、10年後に当てはまるでしょうか。10人の研究者の研究分野が示されていませんが、研究のパフォーマンスには当然研究分野ごとの特殊性も影響していると考えられます。研究分野の成熟度によってもパフォーマンスが変わってくることも考えられます。このように、得られた結果がどの程度「一般化」できるの指標が「外的妥当性」です。サンプル数が多いほど、色々な前提条件なども考慮することができますから、「外的妥当性」が高い、ということができます。この調査は、「外的妥当性」の観点からは、その応用可能性に疑問符がつきます。

この調査では、「内発的な動機付けが強い」ということを「サイエンティストの業績の高さ」の原因としています。この「内発的な動機付けが強い」、「サイエンティストの業績の高さ」など、因果関係を説明するものを「構成概念」と呼びます。しかしこのケースの場合、「内発的な動機付けの高さ」は直接測定することはできません。実際には、インタビューで「仕事に強い関心を持っている」、「勤務時間外も仕事に関係のあることに時間を割いている」といった答えをサイエンティストから引き出しています。しかしながら、「仕事に強い関心を持っている」という測定された結果は、本当に「内発的動機が強い」ということを示しているのでしょうか。このように、測定したものと構成概念にきちんとしたつながりがあるかどうか、という指標が「構成概念妥当性」です。この調査では、「構成概念妥当性」の観点からは、妥当であるとは言い切ることができません。

この調査では、調査手法としてインタビューを用いています。インタビューというのは、基本的に定性データです。「仕事に強い関心を持っている」という返答が得られた場合、「強い」というのはどの程度なのか、これは結局のところ返答者であるサイエンティストの主観となってしまいます。更に、CEOに雇われたコンサルタントからのインタビューであれば、自分をより良く見せたいと思って、事実とは違う答え、もしくは実態以上の返答をするかも知れません。このように、集めたデータはどこまで信頼できるのか、という指標が「信頼性」です。この調査では、インタビューだけでは、「信頼性」が高いとは言えない、という結論になります。

以上、4つの妥当性を評価する指標を用いて、この調査結果を検証してみました。これだけ多くの疑問符がつくような研究というのは、「科学的手法」の結論としては妥当とは言えない、という結論になるでしょう。

ところで、多くの研究というのは、どの程度この4つの妥当性を示しているのでしょうか。この4つをパーフェクトに満たしているような研究結果に出会うことは実はとても稀なのです。研究手法を学びたての大学院生に、ある学会誌に既に再録されている論文の評価をしてもらうと、ここで述べたような多様な課題を指摘してきます。さて、なぜ論文のレビューアー(論文を採択するかどうかを判断する人)よりも、研究手法を学び立ての大学院生の方が、評価が厳しくなるのでしょう。それは学会誌に再録されるかどうかの判断というのは、もう少し曖昧なプロセスだからです。研究というのは新しい領域の知見を明らかにしていくプロセスです。それぞれの研究領域にはそれぞれの成熟度があります。新しい研究領域であれば、先行研究もほとんど存在しないので、多少4つの妥当性に課題があっても再録する。一方で既に沢山の先行研究が存在する領域であれば、4つの妥当性の高さ、つまり先行研究と同じ結論であったとしても、研究手法の厳密性が評価される、ということになります。

経営学は科学なのか?

私は、経営学の博士です。良く日本の実務家や他の分野の研究者から、「経営学は科学なのか?」という質問をいただきます。これは恐らく、日本の経営学は、定性研究、特に「ケース・スタディ法」に頼った研究が多いからであろうと思います。

実は上記の事例と4つの妥当性の話は「ケース・スタディ法」の科学的手法の問題点を端的に表しています。「ケース・スタディ法」、いわゆる「科学的手法」の4つの妥当性で評価するとどうしても低くなってしまうのです。そのことをもって、「経営学は科学なのか?」と疑問に持つ人が多いのだろうと思います。

この質問については二つの答えがあるように思います。第一に、現在米国の経営学の主流は、定性研究ではなく、定量研究です。ここで述べられたような「科学的手法」を用いた研究が主流です。その意味では日本の経営学が特殊とも言えます。

もう一つの答えは、「ケース・スタディ法」も科学の営みの中でとても大切な役割を担っている、ということです。インタビューからは、科学的に妥当な結論は導き出せないにしても、今後定量的に分析可能な仮説を提示することができます。上記の例においても、インタビューの結果から「高い業績をあげたサイエンティストは、内発的な動機付けが強い」という興味深い仮説が出されています。「ケース・スタディ法」による研究というのは、科学全体の営みの中で、「仮説構築型」の研究と位置付けることができると思います。「仮説」というのは、「現象を説明するための因果関係の提示」であり、検証を重ねていくことで、「理論」となります。この仮説を組み立てるというプロセスにおいては、定量分析よりも定性分析の方が優れている側面が多々あります。

ちなみに、「ケース・スタディ」から「仮説」を組み立てるというのはとても難しい作業です。私は個人的には、そのような「仮説」を組み立てることのできる研究者は、とても高い能力をもっていると思います。日本の経営学は、「ケース・スタディ法」の研究者に偏っている傾向はあると想いますが、この仮説を導出するという意味において、とても能力の高い研究者が集積しているように思います。やはり、研究者にとって一番大事な能力で最も難しいのは、説明力のある「仮説」を組み立てることですから。

社会科学における「科学的思考法」

ところで、この「科学的思考」に基づいた研究が少ないというのは、経営学単独の課題ではないようにも思います。日本全体において、この「科学的思考法」が欠けていると感じることが多々あります。

米国の博士課程のコースワークでとても優れていると思うのは、この「科学的思考」をしっかり学ばせることだと思います。この「科学的思考法」を学んでいる人同士は共通言語が形成され、色々な議論のときのコミュニケーション・コストが大幅に下がります。ちなみに、実は日本ではいわゆる「理系」と呼ばれる学部を出た学生でも、この基礎を学んでいない人が少なくないのではないか、と感じることがあります。特にエンジニアリングを専門とした人は少ないかも。

日本で「科学的手法」というと「理系」の人が学ぶ人であって、「文系」の人が学ぶものではない、と考える風潮があるように思います。でもここで紹介したのは、「文系」の学問分野での研究手法の話です。確かにここで述べたような研究手法というのは、「自然科学」を中心とするいわゆる理系分野からスタートしたことは事実です。でも「社会科学」も「自然科学」から手法を学んで発展してきました。もし今「自然科学」と「社会科学」を分ける、唯一の指標があるとしたら、それは研究対象の違いだけだと思います。同じ研究手法を持ちながらも見ている現象が違う、すなわち「自然科学」は「自然物」を研究対象としており、「社会科学」は人「人工物」(人間が作ったもの)を対象にしている、ということです。

私はカリフォルニア大学サンディエゴ校 (UC San Diego)にて博士課程を過ごしており、ここでのトレーニングが研究者としての土台となっています。UC San Diegoというのは、もともと自然科学分野からスタートした大学で、今でも「サイエンス」中心のキャンパスです。その発展の中で、社会科学の学部も設立されていく訳ですが、社会科学も「サイエンス」であることが求められ続けてきました。そんな場にいたので、「自然科学」と「社会科学」について学ぶ機会も考えさせられる機会も、また異分野と交流することも多々ありました。「自然科学」と「社会科学」の研究者同士の会話でも、研究手法が共通なので、やっている分野は違っても、お互いの研究を理解できる土壌があったことを実感します。

実務家の間でも、この「科学的思考」のトレーニングの不足は大きな課題であると思います。ここで述べたような、ある仮説を妥当であるかどうかを判断する能力をもっているかどうかは、例えば政策形成のプロセスにおいて、大きな影響を生み出します。また企業においての経営判断でも、この思考力はとても重要です。ちなみに、なぜ「ビジネススクール」は専門学校にはならず、「大学」であることが重要なのか、という理由もここにあると私は考えています。実務家の方から見たら、「実務経験のない学者から学べることなんで何があるのか?」と思ってMBAに通っている方も少なからずいると思います。でもMBAにとって、とても大事な能力の一つは、ビジネススクール在学中にこの「科学的思考」を養うことで、自分自身の意思決定能力を上げていくことです。そして、それを教えられるのは、実務家ではなくて、きちんとトレーニングを受けている学者なのだろうと思います。

最後に、UC San Diegoのある教授の授業で言われた一言をご紹介したいと思います。この教授はネットワーク分析を専門とする研究者で、政治学部と医学部を兼務している、というとても学際的なバックグラウンドを持っています。

今まで、社会科学は研究手法について、自然科学から色々と学んできた。でももっと、社会科学の研究者が研究手法を開発して、自然科学の研究者から、「その手法を使わせて」と言われるようになっていかないといけないんだ。

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牧 兼充

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