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私が学校の看護を始めたわけ#1

看護師としての人生歴

私は、40年ほど前に看護師になりました。
看護専門学校を卒業し、そのまま系列の病院に就職しました。

新卒で外科系の病棟に配属され夜勤も多く、昼夜逆転のように仕事をしました。毎日10件以上の手術があり、がんの終末期の方々もいらっしゃり、当時は約70人の患者さんを夜勤看護師は3人で看るような体制でした。
忙しかった・・・。

しかし、思い返してみると忙しい中でも「看護」の基礎をたたき込んでくれた場所でもあったと思います。
その時に必要だった技術は当然ですが、それぞれの患者さんについて
「なぜ、こういう症状になったのか?」
「なぜ、こういう結果になったのか?」
「なぜ、この事象を自分がこの判断をするにいたったか?」
「なぜ、こういう行動をしたのか?するのか?」
徹底して根拠をもって判断し、行動することを教えてもらったと思います。

当時は、何も分からない自分に落ち込み、本当に厳しく感じたものです。
しかし、今振り返るとその後の私の看護師としての考え方の原点になっていると思えます。

訪問看護との出会い

結婚を機に退職し、その後はクリニックでの仕事をしましたが、転居・3人の子どもの子育てなどで7年ほど看護の現場から離れていました。

3番目の子が保育園に行くようになったころに復職し、
当時あった保健所の難病訪問看護や、訪問看護ステーションで高齢者などの「訪問看護」の世界に入りました。
病棟やクリニックとは違う自宅での看護です。
私はすぐに訪問看護が大好きになりました。

忙しかった病棟では患者さんに、「ちょっとまっててね」「あとでね」と何度言ったことでしょう。座って、患者さんの話に耳を傾ける時間も気持ちの余裕もなかったと思います。

訪問看護は、お宅にお邪魔してご家族とのかかわりの中でその方のためのケアをします。それぞれに人生が見え、環境が違い、価値観が違い、困りごとも違うなか、その方に対してオンリーワンのケアができるのです。

病院のように医療物品が揃っているわけではありません。医療的には不便なことは多いのですが、生活の場で様々な工夫をしたり、医療者ではない地域の方たちとつながることができたり、協力し合ってその方の人生に寄り添える訪問看護では、治療するための医療だけではない、「看護」でできることの幅広さを実感できるところでした。

訪問看護を始めて10年ほどたった2007年に、重症心身障害児・者施設に勤務することになりました。2年間病棟で勤務したのち、成人通所に異動します。在宅で生活している18歳以上の重症心身障害者の方々が日々通う生活介護の場です。

医療的ケアのある子どもたちとの出会い

2012年から小児専門の在宅クリニック(往診診療をするクリニック)を併設する訪問看護ステーションの立ち上げから運営に関わりました。

その頃は、医療に命を救われた子どもたちは治療が終わるとNICUなどから在宅に帰るという流れがはじまった時期です。
医療依存度が高い状態で、社会生活をする子どもたちが在宅で生活し、社会参加していく時代になり始めたのです。

私は、訪問看護師として病院からの在宅移行や、在宅で生活をするためのお手伝いをしてきました。
様々な疾患や障がいのある子どもたちは、人工呼吸器や気管切開、経管栄養などの生きていくために不可欠な医療的ケアを複数必要としながら、在宅で生活することも増えました。

病院では、医師や看護師が行っていた医療的ケアを家族が全て行いながら生活をすることになります。
生活の中に医療的ケアがある子どもの子育てを組み込んでいく負担は家族にとって、とても大きなものです。

生きるため、生活するためには、社会の助けが必要です。
しかし、様々な障がいを持つ子どもや家族にとって、社会の支援体制はまだ整っていません。
支援体制が整うには「年」単位での時間を要しますが、
今困っている人たちがいると思うと、じっとしていられないのです。

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