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京急の街「日ノ出町」「黄金町」|複雑に絡み合う街の歴史を前に、写真を語ることについて考えてみる

あるテーマを書こうとしても、なかなか進まない。
みなさんは、そんな経験、ないだろうか?

久しぶりにnoteを書く。
我ながらしっかりとシリーズ化して連載が続いていた「京急の街」。それが、1ヶ月以上も止まってしまった。

止まっていた理由は「日ノ出町」と「黄金町」を書こうとしたから。
そして書けないから。

でも、この「書けない」気持ちをしっかりと書くことが、「写真を撮るとはどういうことか」を語ることにもなると思ったので、今このnoteを執筆している。

日ノ出町、黄金町とは

日ノ出町駅は京急本線の駅、KK39で品川から25分、黄金町はKK40で26分。
どちらも各駅しか止まらないので横浜で乗り換える。日ノ出町と黄金町はどちらも高架駅で、距離も近い。

日ノ出町、黄金町。

どちらもいい名前だ。
輝かしい、希望に満ちた、フロンティア的なものを感じさせるネーミングである。

しかしこの街の歴史は深く暗い部分が多いとされる。

・太平洋戦争の空襲による被害
・アメリカ軍の占領とそのおこぼれから生じる商売や文化
・スラム街の形成
・高架下売春宿、ちょんの間、ヘルス店、トルコ風呂などさまざまな変遷をたどる風俗店
・ヤクザ
・一時期は200名のヘロイン中毒者が街を闊歩したという麻薬密売
・労働者外国人の流入と地元住民の混じり合い
・京急や市の整備施策などによる住民の立ち退き
・度重なる神奈川県警察による浄化作戦
・芸術の街としての再生計画

などなどなどなど。。。

それぞれがかなり色濃くいろんなものが塗り重ねられている。
他の街からするといろいろ塗り重ねられすぎだし、それぞれの色が濃すぎる、という印象だ。

しかもこのカオスの周りを見れば、みなとみらいや横浜中華街などの観光地、区役所や裁判所などの官公庁、石川町方面に行けば横浜山手の高級住宅地に囲まれている。

黒澤明の「天国と地獄」、柳美里の「ゴールドラッシュ」など、社会の闇をえぐるような物語の舞台となっていることも納得である。

調べれば調べるほど、世界が広がっていく

みなさんご存知の通り僕は街の写真を撮って、文章を載せてnoteを書いている。

黄金町、日ノ出町を書こうとすると、どの写真を選んで、なにから書き始めればいいかわからなくなってしまう。
自分の写真に写っているものが何なのか、その背景に何があるのか、もはや見当がつかないことさえある。

どうせ文章を書くのであれば、それが何なのか、その背景にはどういったものか、表したい。でもこの街のそれはとてもわかりにくい。複雑過ぎるというか、紐解き始めるとキリがない感じがするのだ。

歴史を調べれば調べるほど、いろんな情報がでてくる。でもそれを知った時点で自分の写真の浅はかさを憂い、同時に「もっとここを撮りたい」という欲がでてくる。

このループが永遠と続くのだ。
どこまで行っても終わらない。

街の歴史を語るうえで、多くのものがすでにその姿を消している。
それでもかすかにその残骸が残っていたり、街の雰囲気にその名残を感じさせるものがあったりすることもある。

そうやって度々訪れ、写真を撮っていくと、まとまりきらない。
ほぼ1駅1記事で連載していた「京急の街」シリーズの企画には収まりきらない。

むしろ「黄金町、日ノ出町」は一つのシリーズにしたほうがよいのかもしれない。
この街についての本や映画があるように。

でも僕が体験として語れるのは自分の写真のみであるということ

もはや「街」と広い括りで語ろうとすると無理な話である。
テーマが壮大過ぎる割に、僕の写真は一部分もいいところだ。

でも僕は自分の写真についてしか語れない。
というかそれがこのnoteであり、「京急の街」シリーズなのだな、と改めて気付かされた。

そんなわけで僕が撮影していて印象的だった2枚について語りたい。

これはたぶんお店と住居が入り混じって入っている建物である。
それぞれ違う建物だ。

僕はこれらの建物を撮ったときに、カオスの中に暮らす人々の様子をリアルに感じた。

1枚目の写真。他の古い建物もそうなのだが、たぶん多くの日本人の住んでいるマンションなどとは違う点がある。

窓の外に目の細かい鉄格子があるのだ。

大学生時代にアメリカに行ったときのことを思い出す。
サンフランシスコのある治安の悪い地区に行ったときのこと。海外ではそういう場所に行くと当たり前だが、同じように鉄格子が窓やドアの前にある。それだけで物騒な感じというか、自分を守らなければいけないのだ、と身が引き締まる感覚だった。たぶん、多くのみなさんは、自宅の窓に鉄格子を設置して防犯対策をする必要はないのではないだろうか。

一方で2枚目の写真。
ここはマンションの一室でお店をやっているのであろう。暗くてなかなか入りにくいのが正直なところだけれど、建物の隙間から日光が入り、その日光を最大限楽しめるように、と言わんばかりに、美しく植物が配置されている。マンションでこんなにガーデニングに凝っている人はそうそういない。

どちらも古いマンションであり、長くここに住んだり、商売をやっているのだろうと思う。徐々に姿を変える街の中で、「自分の空間はせめて」というか、安全を確保したり、その中での安らぎを作ったり、というこだわりが感じられる。

この空間に立ったときの感覚がすこしでも伝われば、と思う。

この場に立つと、緊張感や美しさがいかに強烈で、その他の地域にないものであるか。

良い悪いではない。むしろ、そんなのないほうが良いのだよ、という考えが全うなのかもしれない。

ただ、この複雑に絡まりあった過去が事実存在しつつ、明るい未来が描きづらいこの世の中で、それら紐解いて自分なりに工夫をする手がかりがこの場所にはあるような気もしている。

だから僕は京急の街を、日ノ出町や黄金町を、撮り続ける。





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