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呪縛「花の写真を撮ること」

花を撮る、ということは気が進まない。

もとフラワーデザイナーとして、花に対しては人一倍なにかしらの想いは持っているはずなのに、写真となると撮る気がしない。

それは父の呪縛でもある。

父は生涯を通して花を撮り続けた写真家であった。

なんとなく撮れてしまうことが、またもどかしい

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父が花を撮っていたからこそ、僕は撮りたくない。

カメラ自体、父がやっていたという理由で、長らく手を付けて来なかった。

どうせ2番煎じ。

父は別に対して有名な人ではないけれど、アートやデザイン、音楽など、表現に携わる親を持つ子はきっとある程度みんな悩むだろうと思う、この人生の課題。

僕にとっての花の写真。小さい頃から家には父が撮った写真が額に入って飾られていて、それらを撮っている姿もずっと見てきて、どうやったらどんなのが撮れるか、とか、こんな感じがいい感じだ、というのが、大体わかっている。

だから、普段は花の写真なんて撮らなくても、マクロレンズさえ持って出かければ、「ある程度」までのいい感じは簡単に撮れてしまう。

これがまた、なんともムカつく。

父が死んだので花を撮って見たものの。

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今年6月。その父が死んだ。

残ったカメラは僕もらった。

ここ3年位でカメラを手にしてしまった僕にとって、父の死は、ちょっとした呪縛からの開放でもあった。

とはいえ、本質的には開放されていないことを自分が一番良く知っているのだけれど。。。

それで、先日友達のフォトウォークに誘われてバラを撮りに行ってみたのが今回載せているやつら。

ある程度、良い感じになっている。

というか、普段僕がスナップやポートレートを頑張って撮っているよりも、全然こっちのほうがうまくとれちゃっている。

またそれも「ある程度」なのだけれども。。。

永遠に続く、この呪縛。。。


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