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展示を終えて・前編

舞台芸術創造機関SAI
15周年記念企画展示
「死の表象と再生術」
全日程終了しました。

御来場.御声援
誠にありがとうござました。

〝説明が必要なものは芸術として優れていない〟

という話が席巻する世論において、当企画では
「説明必要がある方法」
「来場しないと体験出来ない」
「ネットによる状況確認だけでは理解出来ない」

という手法で実施しました。

今回の企画展はまったくと言っていいぐらい2019年現在の時流と逆らったやり方です。ですが私はそれで良いと思い今回は実施しました。それには活動初期の精神性や興業との折り合いも強く関係がありました。

これまでの一連の記事は「説明必要なものの補助輪」として連日書いてきたものです。補助輪はあくまで補助輪なので、本輪は現場です。展示を踏まえてあらためて読み返していただくと発見もあるでしょう。でも読まれなくたっていいのですよ。

この一連の記事は読まなかった/読まれなかった場合は、もとからこういうものを「面倒くさくて読まない」という人をシャットアウトしたい意図です。そういう人はそもそも僕たちの表現に興味がないか、そもそも俳優や演者を別の視点で見ている人たちになる可能性が高いので、そういう人も出来たらごめんなさいってしたいのです。もちろん興業としてはそれではいけないと思っていますし、多様なニーズには応じたい気持ちはあります。でも今回は僕とSAIとの時間についてをカタチにしたかったから、それが必要無い/興味無い人には届かなくて良いという思いがありました。タイトルもビジュアルも人を選ぶものにした理由も全てそうです。

少しだけ、展示を終えた振り返りを記します。

1週目の「回顧展」は家族葬としての意義が強く、僕の内面もとても沈み暗くなっていました。初日に「暗黒御伽噺-C-」を上演し、作品の持つメッセージと展示空間がリンクした奇跡があり、そこから日毎のパフォーマンスを得て、来場者との交流を経て、自分の中での気持ちを整理していく事が出来た節があります。

元メンバーの本田良・田辺辰樹との対談でも、初期5年についてを今記憶がはっきりしているうちに話合えた事は、僕やSAIにとっても救いになりました。あの5年がなければ今のSAIはないのですからその活動を共に駆け抜けてくれた、いわば戦友たちとの振り返りはこれからの自分たちへの最大のエールにもなったように思います。

1週目の最終日に小林機械とも話したのですが(昔別の名前で小林はSAIにいたので)、活動中期こその当時というのは初期の頃の精神性とか振り返りとかは殆どなくて、メンバーにそういう意味でSAIの意義や歴史を伝えられなかったんだなという事にも気づきました。
「初期を塗り替える・乗り越える」事に躍起になっていて振り返る事はしなかったのだなと。

回顧展の最中でかつてのメンバーと過ごせた時間は僕自身にも良い影響を与え、それから後期展示へと向かう事になりました。

次回へ続く。

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