彼はまだ「前年」に生きている

2020年になった。ちょうど、12月31日から、1月1日に変わると同時に、年数の数字が切り上がったわけだ。正月や初詣といった字句を飾られた1月1日は、ノスタルジーを見せながら、人々を、浅草や、伊勢に向かわせる。それぞれに、近代の日本ではなく、江戸以前にタイムスリップしたかのような、錯覚を抱きながら。ーーそう。これは錯覚なのだ。タイムスリップなど不可能だとか、興ざめな物理を言っているのではない。すでに、ノスタルジーを感じる「常識」において、大きな錯誤がある。

1月1日は、本当に、一年の始まりなのか。少なくとも、いま、あなたを取り囲む、集団において、その常識を共有できているのか。1月1日を、一年の始まりとして、当然に、全ての人、少なくとも、日本国にいる全ての人が、認識していると考えるのは、欺瞞である。一月一日を新年として祝う国は、アジア諸国において、そこまで多くない。すなわち、この日付を祝うのは、グレゴリオ暦を重要視する(すなわち、社会的な制度としてではなく)キリスト教圏、例えば、フィリピンと言った、ごくわずかな国にすぎない。

日本は、キリスト教圏ではなく、多神教国家であり、宗教的に寛容と信じている人は、この欺瞞に気づけない。旧暦、すなわち、太陰暦を重要と考える、中国、韓国、イスラーム圏において、正月は、一月も下旬からスタートするのである。今、日本において、グレゴリオ暦における新年を、日本にる全ての人が祝っていると思うことは、錯誤である。これは、クリスマスを当然、祝うものだと、ユダヤ教の人に「メリークリスマス」と言うくらい、気づきにくい、錯誤なのだ。

あなたのあるご近所さんは、まだ、2019(ただし、それぞれの文化における暦)に生きているのだ。あなたは、2020に生きているが、彼や彼女は、これからやってくる2020に向けて、買い出しを始めたばかりだ。太陰暦と太陽暦における、2020年の、ズレは、20日を超える。この、新年を共有できていないと言う感覚、「時」と言う、赤ちゃんですら認識可能な、感覚に、実は、30日近く、ズレがあると言う違和感を感じて欲しい。そして、この違和感を認識し、あなたの隣人の新年を、のぞいてみてほしい。当然のものとして押し付けるのでなく。


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