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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㊲(最終回)

④男性の髭
 スペイン人の身長は日本人とあまり変わらなく、肌の色も濃いので、黄色人種と比較してもあまり違和感がないように思う。そして若い女性は美しく、精一杯、その魅力をアピールしている。
 一方、男性の多くは髭をはやしている。学生を除いて、約8-9割がひげを生やしている。高齢になると無精髭というレベルになるが・・・。髭というと、顎とか鼻の下など、顔の一部分に髭を蓄えているというイメージだが、スペインの男性、特に若い男性のそれは、顎から頬にかけて1-2cm程度の薄い帯状になっている。毎朝、鏡の前で最低でも30分は自分の顔を眺め整えているのではないだろうかと思う程、完璧である。
 その目的は、女性に自分の魅力をアピールするためである。一般的に、髭を伸ばすのは毎日髭を剃らなくてもいいという不精感覚もあるのではないかと思う(これは私の偏見かも?)が、スペイン男性の髭にはそのような批判は失礼である。ゴルフ場の芝生のように常に手入れをしている。
 日本でも、顎髭(あごひげ)を蓄えている若い男性がいるが、それとは違うレベルである。つくづく、スペインの男に生まれなくて良かったと思った。

 以前に、帽子を被らないということを書いたが、髭と同じ理由からではないだろうか。自分の個性を前面に出してアピールするので、帽子も被らないのである。あれだけ暑いにもかかわらず、である。コロナがこれまで収まっても、マスクをなかなか取らず、顔を隠し続ける日本人とは全く異なる心情である。
 また、これと同じことが家の外観にも現れているような気がした。スペインの家は外観を花や色で飾っている。家も顔なのである。あの、迷惑な「親切心」も同じ心情から来ていのかもしれない。

⑤物価が安いスペイン
 最近になって、日本円が安くなったとよく言われるが、私は2019年にカナダに行った時に、既にそのことを感じていた。一時は1$=150円の円安になった。最近では、少しマシになったが基本的にはあまり変わらない。対ユーロもほぼ同じで有る。この時、私は140円で計算していた。
 ただ、スペインにいると円安はあまり感じなかった。それはスペインの物価が安かったからである。だから、スペインは米国や独、仏などお金持ちの国の人たちが、長期間の休暇を楽しみに来る国なのである。実際、国内を歩いてみても、産業が盛況であるとは言い難い。基盤になる農業は土地が痩せていて脆弱だし、工業も大規模なものは見なかった。大都市の道路沿いには、物乞いや大道芸人が多かった。

 そういう国が豊かになるための方策が、「大航海時代」を生み出したのではないだろうか。自国に交換するほどのものがなければ、他のところから持って(奪って)来るのである。大航海時代とは、言葉はきれいだが、文明が低い国を軍隊の力で支配し、そこから金目のものを奪って来るシステムのことである。
 そのきっかけになったのが、レコンキスタ(国土回復運動)だったのではないだろうか。イスラム勢力をイベリア半島から駆逐する事で、直接海に乗り出すことが可能になったのである。海の向こうには、大きな富があることを彼らは知っていた。
 「征服者」のことを「コンキスタドール」というが、南米のインカ帝国を征服したピサロ(1470頃-1541)は、スペインで最も貧しいと言われるエストレマドウラ州の出身である。アステカ王国を支配したコルテス(1485-1547)も、またその近くの出身であった。「貧しさ」が、彼らを海へと駆り立てたのである。インカ帝国を征服したピサロの軍隊は200人に満たなかった。インカ帝国は文字と鉄を持たない文明であった。
 ポルトガル人が日本に持ってきた品物はカステラではなく、中国産の絹織物(生糸)であった。彼らは、それを日本の銀と交換したのである。彼らは中国と日本の中継貿易で利益を得たのだ。(10,766歩)

 (37)パリ
 翌朝(9/22)、昨日の市場の前を通ってカタルーニヤ広場Plaça de Catalunyaまで歩き、そこから空港行きのシャトルバスに乗った。バスは座席が高い位置にあるので、観光ができる。バルセロナ空港で、マイレージで日本までのチケットを受け取り、15:15発でパリに向かい、再びCDGに戻って来た。
 ここでも、ホテル行きのシャトルバスの停留所を探すのに時間がかかったが、数人に尋ねて、やっと探し当てた。だいぶ慣れて来たようだ。
 パリでは観光はなく、郊外のホテルで1泊しただけ。それまで体調を崩すことはなかったのに、最後になって、お腹の調子が悪くなって絶食状態になった。バルセロナの空港レストランで食べたボカデージョ(パンにハムを挟んだもの)がどうも原因のようだ。食べた時に違和感を覚えたので、注意するべきだった。そのため、パリでは全く食事ができなかった。
 翌日、再びバスで空港に向かう。車内でこれから日本に行くというイスラエルのテルアビブ在住の年輩カメラマンと会った。何と、これから「奥の細道」を歩くという。こういうディープな外国人がいるのだ。
 幸い、12:50発のAF機では機内食を食べることができた。帰路は偏西風に乗って飛んだので、高度からアジア大陸内陸部の夜景を見ることができた。機内の映画にも飽き、用もないのに席を離れて機内を歩き、身体の屈伸などをし、退屈を紛らわした。

(9/24)
 8:45に関空KIXに到着後、入国の際にコロナに関する調査があり、係の人にMySOSがインストールできなかったと文句を言ったが、彼らに言っても仕方がない。レンタルのWiFiルーターを返却した。
 途中、妻の実家に立ち寄り、昼食をいただき、熱いシャワーを浴びることができた。新幹線で博多に向かい、駅で「ごぼう天うどん」を食べると、家に帰って来たと実感した。40日間の旅の安全が守られたことを感謝した。

 以上で2022年の分は終了である。
引き続き、翌2023年の約10日間の記録をお届けする。

たくさんのスタンプが押されたクレデンシャル
100km以上を歩いた証明書
現地で買った敷物
そして、巡礼の印である帆立貝(下から)

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