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1年前から変わったこと(オレンジ編)

みなさん、こんにちは。完熟オレンジことミドリーです。

マンゴーさんからの呼びかけで完熟4のリレーエッセイに参加させていただいて、はや1年! 光陰矢の如しとしか言えないミドリーであります。

1年前から変わったことといえば・・・。
むむむ。2018年6月から2019年6月。
この1年は、自分史の中でも稀に見る激動期でした。

何より大きな出来事といえば、昨年の夏に母を亡くしたことです。
いつも元気な母でしたが、体調を崩したと言って病院に行ったところ、余命1ヶ月のガンを宣告され、お医者様の見立て通り29日後に帰らぬ人となりました。

母との最後の1カ月、私は岡山の病院にパソコンとプリンターを持ち込んで仕事をしていました。親孝行らしいことをしたことのない私の、せめてもの親孝行でした。あの日々のことを文章にできるほどには、まだまだ心の整理はついておらず、私の筆力も追いついてくれません。

ただ、その時期、私の状況を受け入れて仕事を続けさせてくださったクライアントの皆様と、私をフォローしてくれた会社メンバー、外部パートナーのみなさん、親戚、友人たちには今も感謝の気持ちでいっぱいです。まさに、前回のリレーエッセイ「女性のゆらぎと仕事の関係」で書いたように「ゆらぎの中に留まることを、仕事が許してくれなかった。そのことに救われた」のでした。

私の場合は仕事だった。それが家族であったり、子どもであったり、趣味であったり。人それぞれに違いはありますが、ゆらぐことを許してくれない何かを持っていることはとてもありがたいことなんだなと、実感した1年でした。

さらに、私はとても恵まれていました。母が病気とは露知らず、入院前に岡山のメンバーを増員していたことで、「仲間がいてくれる心強さ」を何より感じました。また、私よりも母をよく知る母の友人たちと繋がり、様々なサポートをしてくれたことなど。母が私のためにすべて計らってくれていたのではと思わざるを得ません。

さて、今回の本題にはいります。


1年前から変わったこと。

それは、私が、会う人ごとに


「人生あっという間。
いつどうなるかわからないから、
好きなことだけしよー」

と、必要以上に力説するようになったことでしょうか。

はい。もともと、こういう死生観を持ってはおりました。

なんてったって好きな武将は織田信長ですので、小学生のころから、大河ドラマや小説、マンガで、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という敦盛の一節で舞う信長さまに萌え萌えしておりましたし、「好きなこと」なんて、そうそうみつかるわけじゃないんだから、みつけたらとことん好きなことやったらいいじゃん!というね。

自分が好きな事やっていれば、他の人が何をしていても気にならないので、「ごきげんの輪」が広がっていいんじゃない?とも思うから。(ただし、無責任に逃げ出す、人をだますとかはナシよ。当たり前)

それにしてもこの1年間で、この思いにどんどん拍車がかかっているのです。

極端に言うと「ミドリーさん、相談が」「はい。どうぞ」「会社辞めてアメリカに・・」「行ったらいい!」「彼のこんなところが嫌・・」「別れたらいい!」「好きな人がいて、デー・・」「誘ったらいい!」って、即決しすぎぃ。グレーゾーン残そうよっ、てね。

誰かに背中を押してもらいたいと思っている人にとっては、私の力説がいいタイミングになることもあったかもしれませんが、とんだ勘違いなところに大なたを振るっているとも言えます。被害にあった方、ほんと申し訳ない。あいそうな方、華麗にスルーしてください。

はてさて、1年間続いた完熟4のリレーエッセイ。三日坊主の私でもなんとか1年間完走することができたのは、ライチさん言うところの完熟4メンバーによる「美しき相互監視システム」の発動あってこそ。


今後どうなりますかは、次回マンゴーリーダーからの報告をご覧くださいませ。おほほほほ。


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