【試し読み】大前粟生「こっくりさん」(『私と鰐と妹の部屋』より)

大前粟生「こっくりさん」

 こっくりさんと暮らして七十年になる。小学五年生のとき、私は図書委員だった。放課後、図書室の貸し出しカウンターのなかに座って、いつもうとうとしていた。視界が目のかたちに開いては、狭まり、目のかたちに開いては狭まりしていた。そのなかで、こっくりさんをしている女の子たちがいた。こっくりさんは親よりもっと上の世代の遊びだった。五十音表と十円玉を用意して、みんなで十円玉の上に指を乗せる。それからこっくりさんに質問をすると、十円玉が動いて、あ、とか、い、とか、う、とかを指し示して答えを教えてくれる。十円玉はプレイヤーが動かしているのではなく、召喚されたこっくりさんが動かしているのだ。自分たちの恋愛やユーチューバーのことを聞いて女の子たちは騒いでいた。うるさかったけど、私は眠ってしまった。
 目を覚ましたとき、女の子たちはいなかった。家に帰ったのだと思う。どうしてか窓が開いていて、まるでひどい嵐が去ったあとみたいに、目に映らないところにだれかが置きっぱなしにした本が風で激しくめくれる音が聞こえる。カーテンが翻る度に夕陽からやってきたピンク色の光が図書室を引っ搔くように照らし、その光の範囲以外は暗かった。私はイラっとした。図書室を荒らして帰るなよ、ちゃんと片付けてけよ。歯ぎしりをする。両目からどろっとした熱い目やにが流れ落ちてくる。頰を、顎を伝い、鎖骨の窪みに溜まりそうになる。きたない。泣きそうで、私は寝起きだった。すごくイライラしながら図書室をきれいにしていった。その途中に、見覚えのない開架があった。そこだけ棚や床の木材がちがう。そこだけ埃まみれだった。これ以上掃除したくなかった。見ないふりをして、もう帰ろうと思って踵を返したとき、後ろから声がした。振り返ると、なにもいなかった。「だれかいるの」と私はいった。「いるよ」と声がする。でも姿は見えない。「私ね」と声はつづけた。「こっくりさんなんだけど、さっき、女の子たちに呼ばれてたんだけど、その子ら途中で飽きて適当に帰っちゃったから、ちょっといま大変な状況なんだわ。なんかすごい体がふわふわしてる」「わあ大変」「体が安定してないんだわ。なんか、依り代になるものがあったりしたらうれしいんだけど」私は図書室の長机の端に置かれていたくまのプーさんのぬいぐるみを取りにいって、また戻ってきた。「じゃあ、これに入ったりできる?」
 こっくりさんはプーさんのぬいぐるみのなかに入った。助かる~、とこっくりさんはいった。私は、くまのプーさんが大好きだった。しかも、喋るだなんて! 私はこのぬいぐるみのことがずっと気になっていた。ぬいぐるみって高いので、小五の私の財力では買えなかった。これ、ほしいと思っていた。でも学校の備品かもしれなくて遠慮していた。でも、今回は事情が事情だ。私はこっくり‐プーさんをかばんに無理やり詰めて家に持ち帰った。こっくりさんもまんざらではないみたいだった。ときどき、こっくりさんがひとりでプーさんのまねをしているのを私はこっそり見ている。私たちはいいコンビだった。
 こっくりさんのことを友だちに紹介するとみんなおもしろがってくれた。だって、だれも本気ではこっくり‐プーさんのことを信じていないから。こっくりさんが話しても、そういう喋るぬいぐるみなのだとみんなは思った。私とこっくりさんは後でみんなのことを呪った。
 家族もだ。私がこっくりさんを食卓に着かせると苦笑いする。私たちを馬鹿にしてる。
 大学入学を機に、私たちはふたり暮らしをはじめた。その頃にはこっくりさんはプーさんの体によく馴染み、歩いたり料理を作ったりできるようになっていた。朝に弱い私のために、私よりも早起きして私を起こしてくれる。私のためにドラマを録画しておいてくれる。私は試しに、こっくりさんのことをお姉ちゃんと呼んでみた。「え、なに。なんで」とこっくりさんはいう。「だめだったかな」私ははにかんだ。「私ずっとお姉ちゃんがほしかったんだ。これから、こっくりさんのことお姉ちゃんって呼んでいい?」私ははにかむのがすごく上手だったし、実際問題、こっくりさんも私が妹だったらうれしいのだろう。「うん。まぁ、別にいいけどね」と彼女はいった。
 就職や転職や、その他の節目の度に、私はこっくりさんをした。私はどうしたらいいのか、こっくりさんに聞く。五十音表の上の十円玉に、私とこっくり‐プーさんの指を置く。質問をする。十円玉が動く。姉のプーさん指の方が大きいから、姉が動かしているにちがいない。「いま動かしたでしょ」と私はいう。「なんのことですか~」と姉はいう。ふたりで笑っている。いま、私たちはそのうちやってくるはずの私の死のあとの、葬儀プランやお墓のタイプの相談をこっくりさんでしている。本当に長いこと使われてきて、何度も大きな修繕を施し、片腕や片耳のない、つぎはぎだらけになったプーさんのぬいぐるみが涙で濡れている。私が死んだら、土葬がいい。姉もいっしょに埋めてほしい。姉のプラスチックの部分や私の骨は長いこと存在を残すだろう。ずっといっしょだ、うれしいなって思うし、そうだ、私の心臓が止まったら彼女にこの体を渡してもいいかもしれない。

大前粟生『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房)より


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