第1回 残像に目移りを──ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』におけるスローモーションの技法(矢倉喬士)

本日より新連載「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」が始まります。青木耕平、加藤有佳織、佐々木楓、里内克巳、日野原慶、藤井光、矢倉喬士、吉田恭子8名のアメリカ文学者のみなさんに交代で執筆していただきます。どうぞ、お楽しみに。(編集部より)
------------------------------------------------------------------------------------

超低速の映像が開く世界

 ある男がスクリーンを眺めている。場所はニューヨークの美術館にある展示室、明かりといえばぼんやりとしたスクリーンの光だけ。ほとんど暗闇と言っていい。上映されているのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『サイコ』を24時間の長さに引き延ばした《24時間サイコ》だ。美術館で一人、男は超低速の映画を眺め続けている。ドン・デリーロが2010年に発表した小説『ポイント・オメガ』はこのような場面から始まる。

 《24時間サイコ》は実在する美術作品だ。スコットランド出身のアーティスト、ダグラス・ゴードンが1993年に制作し、デリーロ自身もこの作品を見るために複数回にわたって美術館に通うほど感銘を受け、3度目の鑑賞時にはこれについて書こうと決心したとインタビューで述べている (Alter, "Don DeLillo Deconstructed")。ほとんど何も起こっていないのではないかと思われるほどにスピードを落とされ、無音で流される映像は、通常速度において目には映ったとしても意識にのぼることのなかったものたちへと鑑賞者の目を向かわせる。それは「普段の思い込み、仮定や推測や当たり前のことの向こう側にある深み」(13) へと鑑賞者を誘い、確かに存在していたにもかかわらず見過ごされていたのものたちへの目移りを可能にしている。オリジナルの映画が備えていた殺人事件にまつわる恐怖や緊張は「時間のなかに溶け込んで」しまい、『サイコ』の有名なシャワーシーンでは人が殺されていることよりもむしろ、水滴がどのように弾けるか、シャワーのカーテンリングは幾つあるかといった要素の方が気にかかるようになる。ここでは映画の主要登場人物やその精神的駆け引きは後景に退き、水滴やカーテンリングによる「悲惨な死の上の偶然の詩」が出現する。この超スローモーションの映像に対峙する者は目と言葉を開発しなおし、新たな世界を獲得していくことになる (13-17)。

 この《24時間サイコ》について批評家のピーター・ヴァーミューレンは、映画のタイトルにもなっている「サイコ」(つまり、人の精神やそれにまつわるフロイト精神分析的読解)から映像が解放されたのだと評している (Vermeulen 71)。映像を超低速かつ無音にすることで『サイコ』は「サイコ」から解放され、鑑賞者が映画-内-存在との関係を結び直すことが可能になっている。また、《24時間サイコ》の映像が両面のスクリーンで流され、右利きの人物は裏側のスクリーンでは左利きになっていることも重要だ (10-11)。デリーロがスロー映像中の「左利き」を注視させるのは『アンダーワールド』以来二度目であり、彼にとって映像の速度を変更したり反転させたり繰り返したりすることは、様々な意味におけるマイノリティを認識に浮かび上がらせる手法なのだ。

ゆっくり、じっくり、慎重にやるとダメになる?

 映像に変更を加えることでおよそ認識不可能であったものを認識可能にする手法はドン・デリーロが好んで描いてきたものだが、彼の作品はゆっくりとした速度で物事を観察する方がより良い認識を得られると主張するわけでもない。というのも、ゆっくりとした速度で注意深く何かを鑑賞するからこそ新たに何かを見逃せるようになるという問題が描かれているからだ。『ポイント・オメガ』の匿名の男はゆっくりと注意深く映像を隅々まで眺め、通常速度では気にも留めなかったカーテンリングに注目するものの、リングの正確な個数を把握できずに不安に駆られるようになった挙句、もう一度映像を確認したいと切望するようになる (16)。匿名の男はリングの数を4個か5個だったかと思案し、翌日には6個まで数えているが、読者が『サイコ』のシャワーシーンをスロー再生してみればこの匿名の男が数えたのとは異なる個数のリングを発見できるだろう。このような文脈では、映像を遅くしたがゆえに通常速度ではありえなかった迂闊な見逃しが新たに可能になったのであり、男がカーテンリングの個数を記憶にしっかりと留められるほど十分に映像は遅くなかったことになる。《24時間サイコ》の再生速度ですら速すぎたのかもしれないのだ。

 さらに、デリーロが美術作品や映像に対してゆっくりとした深い洞察力を発揮する人物を描くとき、それらの人物はストーカーじみており、他人に恐怖を与えかねない存在として描かれていることが多い。『ポイント・オメガ』の匿名の男や、短編「バーダー=マインホフ」、「痩骨の人」に登場する男たちがそれにあたる。極めつきに、超低速の《24時間サイコ》は忍耐力テストやある種の罰として利用できるだろうとまで書かれている (133)。これが想起させるのは、「対テロ戦争」の一環としてグアンタナモ湾収容所で行われた音楽による捕虜拷問事件だ。捕虜にヘッドフォンを装着させて同じ曲を繰り返し爆音で聞かせ続けることは、尋問テクニックの一つとして採用されていた。使われていたのはレッド・ホット・チリペッパー、メタリカ、ドラウニング・プール、エミネムらの楽曲に加えて、子ども向け番組『セサミ・ストリート』のテーマや『バーニー&フレンズ』の「I Love You」のような楽曲も含まれており、音楽であれば何でも拷問音楽としての役目を果たしたようだ (Nelson, “Red Hot Chili Peppers Music ‘Used to Torture Terror Suspects’”)。このような爆音リピート再生による拷問音楽と同様に、超低速の《24時間サイコ》も拷問映像として使用できるのではないか。さらには、作者の意図や想定された鑑賞態度を離れて、およそ全てのアートは拷問に使えるのではないかとも考えさせられる。デリーロの作品においては、ゆっくりと粘り強く集中して何かを観察することがより良い知覚をもたらしたり、倫理的に優れているなどと安易には結論できない。加速主義に減速主義を対置した際に出現する迂闊さ、信頼できなさ、いかがわしさが描かれているからだ。

砂漠でドキュメンタリー映像制作、変化していく役割

 さて、小説『ポイント・オメガ』は、名もなき男が『24時間サイコ』という映像作品を見つめる「匿名の人物 I」という章で始まり、若手映画監督がイラク戦争開戦に部分的に責任を負ったと目される知識人のインタビューを試みる場面がそれに続き、また名もなき男が『24時間サイコ』を見つめる「匿名の人物 II」という章が配置され、全体が3つのパートから構成されている。二つ目に配された、映画監督ジム・フィンリーによる映画制作のパートに注目してみよう。

 カリフォルニア州アンザボレゴ砂漠の別荘にて、イラク戦争を正当化するための知恵を提供したとされる知識人リチャード・エルスターは、若手映画監督のジム・フィンリーに長回しドキュメンタリー映画制作のためのインタビューを受けることになる。戦争に関与した知識人へのロングインタビューからドキュメンタリー映画を制作するジムの試みは、多くの批評家たちが指摘するように、エロール・モリス監督による2003年の映画『フォッグ・オブ・ウォー──マクナマラ元米国防長官の独白』をモデルにしていると思われる (渡辺 315; Cowart 46; Kakutani "Make War. Make Talk. Make It All Unreal.")。この『フォッグ・オブ・ウォー』の中で、元米国防長官ロバート・マクナマラは、彼が関わった第二次世界大戦やベトナム戦争について涙ながらに反省の弁を述べたかと思えば、東京大空襲でいかに効率よく敵国民を焼き殺したかを嬉々として報告するなど、複数の役を素早く演じ分ける俳優のようなパフォーマンスを見せている。『ポイント・オメガ』において米国防衛任務を担った知識人リチャード・エルスターもまた複数の役を演じ分ける俳優のようである。傲慢な態度で保守派的見地からイラク戦争を正当化したかと思えば、学術誌にアメリカの戦争犯罪を仄めかす論文を発表するなど左翼的な振る舞いを見せ、さらには人間中心主義を離れて地質学的時間や宇宙的規模の問題を熟慮する一面を披露することもある。その後娘のジェシーが忽然と姿を消して行方不明になると、娘の行方を案じる父親としての役割が中心的になる。

 演じる役割が変わっていくという意味では、インタビューを行うために砂漠へとやってきたはずの映画監督ジム・フィンリーの役割もまた作中で大きく変化していく。当初インタビューをする側であった彼はジェシーが行方不明になると保安官からインタビューを受ける側に回り、戦争に関わった知識人の罪を糾弾する立場だったはずが共犯者であるかのごとく感じるようになる。作品の後半では『ポイント・オメガ』における重要な問いは、「イラク戦争とは何であったか」ではなく、「一人の女性はどこへ消えたか」にすりかわっており、イラクに存在すると言われた大量破壊兵器よりも砂漠で見つかった一本のナイフの方が関心の中心を占めるようになる。イラク戦争よりも一人の女性、大量破壊兵器よりも一本のナイフ。これは、シャワーシーンで起こる殺人よりもカーテンリングという細部への目移りを促した《24時間サイコ》のスローモーションの技法と通じている。

 大きな問いに性急に答えを出すのではなく、細部の残像に目移りすること。これは、イラクやアフガニスタンでの戦死者よりもアメリカ国内のシカゴの方が年間死者数が多いという「シャイラク(シカゴとイラクを組み合わせた造語)」の問題に目移りすることであり、映画『スノーデン』で繰り返されたように、現代の対テロ戦争の戦場はイラクやアフガニスタンではなくありとあらゆる場所、すなわち今ここでありうるという問題に目移りすることでもある。大きな問いに潜む予期せぬ細部へと関心を移すことで問い自体を変化させてしまうデリーロの作品は、それに対峙する者によって異なる姿を見せるだろう。ぜひ実際に『ポイント・オメガ』を読んでみてほしい。

著者が出演したイベント「ドン・デリーロ ナイトin福岡」(本のあるところ ajiro)の様子。2月8日に開催された。対談相手は日野原慶さん。

主要参考文献

ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』、都甲幸治訳、水声社、2018年。
渡辺克昭「時の砂漠──惑星思考の『ポイント・オメガ』」、『異相の時空間──アメリカ文学とユートピア』、大井浩二監修、相本資子・勝井伸子・宮澤是・井上稔浩編著、英宝社、2011年。
Alter, Alexandra. "Don DeLillo Deconstructed." The Wall Street Journal. 29 Jan, 2010.
Cowart, David. “The Lady Vanishes: Don DeLillo’s Point Omega.” Contemporary Literature 53, 1 (2012): 31-50.
Gander, Catherine. “The Art of Being Out of Time in Don DeLillo’s Point Omega.” Don DeLillo: Contemporary Critical Perspectives. Ed. Katherine Da Cunha Lewin and Kiron Ward. Bloomsbury, 2019. 127-42.
Kakutani, Michiko. "Make War. Make Talk. Make It All Unreal." The New York Times. 1 Feb, 2010.
McCrum, Robert. “Don DeLillo: ‘I’m Not Trying to Manipulate Reality’ ─ This Is What I See and Hear.” The Guardian, 8 August, 2010.
Morris, Errol. The Fog of War. Sony Pictures Classics, 2003.
Nelson, Sara C. “Red Hot Chili Peppers Music ‘Used to Torture Terror Suspects’.” Huffington Post UK. 4 Oct, 2014.
Stone, Oliver. Snowden. Open Road Film. 2016.
Vermeulen, Pieter. “Don DeLillo’s Point Omega, the Anthropocene, and the Scales of Literature.” The Future of the Present: New Directions in (American) Literature. Ed. Danuta Fjellestad and David Watson. Routledge, 2017.
Yagura, Takashi. “Plunging into Pensiveness: Ghosts of Velocity in Don DeLillo’s Fiction.” Ph. D. diss. Osaka University, 2016.

今回の執筆者

矢倉喬士(やぐら・たかし)
西南学院大学で現代アメリカ文学を研究。ドン・デリーロの作品を中心的に扱った博士論文を執筆後、小説、映画、グラフィック・ノベル、Netflixドラマなどを対象に現代アメリカを多角的に考察している。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

35

書肆侃侃房

現代アメリカ文学ポップコーン大盛

現代アメリカ文学について執筆者が交代で更新します。青木耕平、加藤有佳織、佐々木楓、里内克巳、日野原慶、藤井光、矢倉喬士、吉田恭子の8名での連載です。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。