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【試し読み】北村紗衣「まえがき 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」から抜粋(『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』より)

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楽しむ方法を見つける

 私は一年に百本くらい映画を映画館で見て、かつ百本くらい舞台も劇場で見ます。その全部について簡単な批評を書いて自分のブログにアップしています。また、一年に二六〇冊くらい本を読みます。

 おかしいですよね。いくらなんでも多すぎます。大学教員なので、昼は授業をしています。でも、私の仕事は単に出勤して授業時間に話すだけではありません。きちんと研究して、その成果を授業で学生に還元しなければなりません。そのために映画や舞台を見たり、本を読んだりするので、まあこういうのは仕事の一部としてやっています。

 でも、これだけたくさん見たり読んだりするのは、仕事だからというだけでは無理です。楽しくないと続けられません。私が年間百本ずつ映画と舞台を見る生活を続けられるのは、楽しむ方法があるからです。私の場合、その楽しむ方法が「批評」、とくに「フェミニスト批評」を用いた批評です。

 楽しむというのは、ただ見て「面白かったー」と言うことではありません。もちろん、最初はそこから始まります。何かを見て面白いとか、美しいと思うのはとてもステキなことで、それだけで価値がある体験です。問題は、それだけでは満足できなくなった時です。

 ただ「面白かったー」がなんとなく物足りなくなってきて、もう一歩、深く楽しんだり、調べたり、理解したいな……と思う時に必要なのが「批評」です。そもそも批評って何でしょうか? 作品から隠れた意味を引き出すことだとか、いや作品を価値付けすることだとか、批評の役割が何であるべきなのかについてはいろいろ議論があります。私は不真面目な批評家なので、批評を読んだ人が、読む前よりも対象とする作品や作者をもっと興味深いと思ってくれればそれでいいし、それが一番大事な批評の仕事だと思っています。楽しければ、何でもありです。

 作品が興味深く思えるというのは、作品が優れているというのとは違います。批評は、対象を優れていると褒める必要はありません。ものすごくひどい作品でも、いったい何が問題なのかなど、いろいろな論点があるはずです。批評というのは、そういう論点を明らかにするプロセスです。ひどい作品を見た後でそれに関する批評を読むと、「そうそう、そこがこういう理由でひどかったんだ!」と思うことがあると思います。批評を読んだ後でもその作品はひどいままですが、ちょっとだけ興味深くなりました。

 私の専門はウィリアム・シェイクスピアのフェミニスト批評です。フェミニスト批評では、あまり気付かないけれども実際にはテクストに隠れている性差別などを指摘することがよくあります。そういうことをすると、なんでわざわざけなすんだ、単純に楽しめばいいじゃないか、と言う人がいます。でも、私は深い意味を読み解くほうが楽しいからやっているのです。単純に楽しみたいという人は、それはそれでコンテンツの受容として正しいと思います。でも、別の方法で楽しみたい人もいるのです。

 読者の皆さんがこの本を読んだ後、対象とした作品や事柄をもっと知りたいと思ったり、すでに知っているものが対象だった場合は興味深さが増したと思ってくだされば、幸いです。批評を読んだ後、皆さんにとって対象がお砂糖マシマシで甘くなったり、スパイスでピリっと感じたり、あるいは何か化学反応が起こって大爆発したりとか、そんなような変化が起こるといいなと思っています。

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房)より

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