第7回 竜の風と共に去りぬ──ル=グウィン遺稿『ゲド戦記』真の最終章“Firelight”を読む(青木耕平)

 はじめまして、青木耕平です。私は小説が好きだという人に出会うとすぐ興奮して「最も好きな作品は何ですか? 一番好きな作家は誰ですか?」と尋ねてしまうのですが、先日とある作家のインタビューを読んでいたところ、このようにたしなめられました。

“最も好きな〇〇は?”といった質問をするのはやめなさい。なぜって、尋ねられた人は咄嗟に思いつかず、家に帰ってから“〇〇を挙げるのを忘れてた!”って自分に蹴りをいれる羽目になるんだから。

 この発言者こそが、私が“最も敬愛するアメリカ作家”アーシュラ・K・ル=グウィンです。彼女の代表作『ゲド戦記』のファンという人は多いでしょうし、ル=グウィンが昨年1月に逝去したことで、もう新作が読めないと、今も悲しみに暮れている方も多いのではないでしょうか?

 そんな方に、嬉しいニュースです。未邦訳ゆえ日本語読者にはまだ届いていませんが、ル=グウィンは生前最期に『ゲド戦記』最後の短編“Firelight”を書き、私たちに遺してくれました。

       アーシュラ・K・ル=グウィン、2014年。Photo by Jack Liu

 “Firelight”──「炉火の明り」を意味します──は、ゲド戦記を愛する読者に届けられた、美しく、儚く、完璧な最終章です。私、青木耕平のポップコーン連載は、この“Firelight”を紹介することから始めたいと思います。

「私の竜は、もっと美しい」 

 2006年、スタジオ・ジブリによるアニメーション映画『ゲド戦記』を観たル=グウィンは、自らの公式HP上で宮崎吾朗監督に対してこんなメッセージを送りました。
「優雅に羽を畳む吾朗の竜は、称賛に値します」
ただし、この賛辞には以下の前置きがありました。
「私のアースシーの竜は、もっと美しいと思うけれど──」

 ゲド戦記(原題アースシー)第一巻は、1968年に出版されました。その出版50周年を記念して、作者ル=グウィン自らイラストレーターに細かく注文を出し、彼女の望んだ通りに美しい竜のイラストに彩られた、『ザ・ブックス・オブ・アースシー イラスト付き完全版』が、昨年10月に出版されました。

       The Books of Earthsea: The Complete Illustrated Edition

 単行本全六冊が一冊に収められた、1000頁を超える、厚く重く巨大な(なんと2.3キロ!)、それでいて大変に美しい書籍です。“完全版”と名付けられているように、既存の単行本だけではなく、アースシー世界を舞台とした短編全て、講演録、ル=グウィン自らが新たに書き下ろした長い序文、各巻へのあとがきも収録されています。しかし、この完全版最大の目玉は、なんと言っても最後の短編“Firelight”が収録されていることでした。

「私はこの夢を夢見ることをやめてはいない」

 現在の視点から読み直せば、「アースシー」という原題が『ゲド戦記』と日本語に訳されてしまったのは不自然というだけでなく不当なことのように思えます。とりわけ第四巻以降、物語の中心はゲドから他の人物に移り、テルーやテハヌーといった女性たちが戦争を調停するため大活躍するというのに。しかし、これには仕方のない理由がありました。1973年に第三巻『さいはての島へ』が刊行された時、ル=グウィンは同年のエッセイのなかで、「三部作は完結した」と宣言し、当時、世界中の誰もがそれを信じたのです──ただ一人、その作者を除いて。完結宣言の続くセンテンスで、ル=グウィンはこう語っていました。

物語は完結した。だが、これは夢であり、私はいまだにこの夢を夢見ることをやめてはいない。

 そして17年後、ル=グウィンは「今でもまだ私は夢見ることをやめていない」と突如宣言、第四巻『テハヌー:アースシー最後の書』が発表されました。副題に「最後の書」とつけたにもかかわらず、それから11年後の2001年、ル=グウィンはまたまた前言を翻し、短編集『アースシーの物語』を、そしてついに完結編である第六巻『もう一つの風』を立て続けに発表し、読者を驚かせました。

 2014年に雑誌のスピンオフ企画として過去のアースシー世界を舞台にした「オドゥレンの娘」(こちらも未邦訳。『完全版』に収録されている)が書かれましたが、もうアースシー世界の時計の針が進むことはないと、誰もが思っていました。
 そして2018年1月22日、ル=グウィンは永眠しました。

 そんななか逝去から半年後、文芸誌『パリ・レヴュー』225号に、“Firelight”が掲載されたのです。

       The Paris Review no.225

 “Firelight”は、第六巻の“その後”を描いた掌編です。つまり、私たち読者の「今度こそアースシーは完結したのだ」という三度目の思い込みは、“Firelight”によって、またまたまた覆されたのです。

 50年続いた長大なアースシーの物語を締めくくる真のフィナーレ、その中心に作者が選んだのは、第四巻の主人公テナーでも、第五巻のドラゴンフライでも、最終巻のレバンネンやテハヌーでもなく、ゲドまさにその人でした。

(ここから先は“Firelight”の内容に踏み込みますので、「ネタバレを読みたくない!」という方はここでNoteを閉じてください。次回の私の記事は「ショーン・ペンよ、ペンを置け(仮)」です、お楽しみに!)

“Firelight”

 わずか9頁という短さですが、“Firelight”は今までル=グウィンが著した中で最も濃密なテクストの一つです。以下に冒頭3センテンスを訳出します。

彼は遠い昔セリドーの岸に捨てたルックファーのことを考えていた。船体はもうほとんど残っていないだろう、1枚か2枚の板は砂の下に埋もれたり、西の海に流木として漂っていたりするのかもしれないが。眠りへと落ちていきながら、彼はカラスノエンドウとともにその小さな船で西の海ではなく東の方角へ、ファートーリーを越え、アーキペラゴの外へと漕ぎ出したことを思い出し始めた。

 簡単に解説をします。最初のセンテンス、「セリドー」とは “さいはての島”を意味し、「ルックファー」は邦訳では“はてみ丸”と訳された船の名です。第三巻で、ゲドとレバンネン王子はルックファーに乗ってセリドーに赴くので、この人称代名詞「彼」はゲドもしくはレバンネンのどちらか、ということになります。そして次のセンテンスで、時がかなり経ったことを、船が朽ちていく様を通して描いています。続くセンテンスに登場する「カラスノエンドウ」は第一巻に登場するゲドの友人であり、ここで「彼」がゲドであると断定できる仕掛けになっていますが、過去の冒険の記憶を思い出しているゲドはどうやら「眠りに落ちる」寸前です──このように、冒頭わずか三センテンスだけで、読者は過去のアースシーの物語全体を思い出すよう仕向けられると同時に、時間が大分経過しており、どうやらゲドの意識はクリアではないことが明示されます。実に見事な書き出しです。

 ただ、どうでしょうか、アースシーシリーズの読者ならば、その見事さ云々以前に、この冒頭部だけで胸が高鳴って仕方がないのではないでしょうか? 私たちはアースシーをゲドと共に旅しました。カラスノエンドウの優しさに救われ、影と抱き合い、暗闇の巫女テナーを解放し、ルックファーに乗ってレバンネンと“さいはての島”で死の門を封じ、ルックファーを捨て、太古の竜カレシンに運ばれて、魔法の力を失い、テナーとともに生き、テハヌーが竜となって飛び去る様を見届けてきました。アースシーでのゲドの冒険の行程は、そのまま読者である私たちの歳月です。

 そんなゲドの人生最後の旅が、“Firelight”で描かれます。

 頁が進むと、ゲドは、炉火の前で横たわっていることがわかります。猫がやってきて、彼の足元で丸くなります。そして、台所ではテナーが、ゲドのために食事を作っています。「ふた口だけでも食べなきゃダメ」と差し出しますが、ゲドはひと口も食べることが出来ません。二人の会話と仕草から、ゲドはどうやら近頃テナーに介護をしてもらっていることが明らかとなり、今夜はさらに微熱まであります。彼の意識は混濁し、眠りへと落ちていき、闇が彼を襲い、囚われた暗闇の中で彼は動けず、息がつけず、石牢に押し潰され、ついに彼は起きることが出来なくなってしまいます──

 眩しい朝の日差しに照らされ目が覚めると、ゲドは大洋の真ん中で、自分がルックファーに乗っていることに気づきます。

 ルックファーは朽ちておらず、ゲドはまだ若く、彼の口からは魔法の言葉が出てきます。強く吹け、と彼が命ずると、風はルックファーを西へと力強く進めます。すると、西の水平線の彼方から竜が飛来し、彼を歓迎し、太古の言葉でこう呼びかけました。

わたしのよろこび! ときはなたれた
おそれるものなど なにもない

 それを聞いたゲドは笑い出します。以下、それに続く物語のラストシーンの一部を訳出します。

「でも、あるじゃないか!」と彼は飛び去った竜に向かって叫び返した。そう、実際たしかにあったのだ。黒い山々があちらに。しかしこの輝ける瞬間、彼は一切の恐怖を感じることなく、やって来るであろうものを受け入れ、それに出会うのが待てないほどだった。風に命じ、帆がそれを受ける。ルックファーが西へと走ると、波は白く泡立ち、島々が遠く過ぎ去っていく。彼は進み続けるつもりだ、今回は、“もう一つの風”へと漕ぎ出だすまで。

 少しだけ解説をします。“黒い山々”は第三巻『さいはての島』における黄泉の国に聳えていることから死の世界を意味します。最終第六巻で、保護して育てた最愛の娘テハヌーは竜となり、“もう一つの風”に乗って西に飛び立ちました。「わたしのよろこび! ときはなたれた」とは、娘テハヌーを思いながらテナーが口ずさんだ、アースシー世界に伝わる“竜の歌”です。その結末部でゲドは「次にテハヌーに会う時、あの子は西の海から飛んでくる」と予言していました。

 その地上の天命を全うし終える日に、それまでの人生が走馬灯のように思い出され、最後に再び竜=テハヌーと出会い、ゲドは“あちら側”へと旅立つ──“Firelight”は、そのような物語として読者に差し出されています。

最後のインタビュー

 今年2月に、ル=グウィン最後のインタビュー集が刊行されました。

       Ursura K. Le Guin The Last Interview 

 最後のインタビューは2015年から数回に渡り定期的に自宅で行われました。その時のル=グウィンの様子を、インタビュアーは以下のように記しています。

私たちはそれぞれアームチェアに深く腰掛け、暖炉の近くに座った。黒と白の毛の猫が、いつも横柄にまとわりついてきた。そして夫のチャールズは、いつも家の中にいながらにして、決してインタビュー中は姿を表さなかった。「夫はシャイなの」と彼女は言った。

 炉火、懐っこい猫、配慮する優しいパートナー。“Firelight”のなかのゲドは、最晩年のル=グウィンそのものです。2016年2月の時点で、ル=グウィンは「アースシーはすでに完結し、続編はない」と断言しています。それから数カ月後の2016年夏に、ル=グウィンは持病の心雑音を悪化させ入院しました。その時すでに85歳であった彼女が、残された人生の時間を意識したことは想像に難くありません。そのような中で“Firelight”は執筆されたのでしょう。

 ル=グウィンは、エッセイやインタビューでホルヘ・ルイス・ボルヘスそして『ドン・キホーテ』に言及することを好みました。“Firelight”を読み、今私は、その理由が少しだけわかったような気がします。『ドン・キホーテ』をお読みになった方は、ぜひそのラストシーンを思い出してください。作者セルバンテスはその長い物語の幕に、ドン・キホーテに安らかな死を与えます。理由は、「彼はわたしの愛する主人公だから」
 以下、ボルヘスの書いた卓抜なドン・キホーテ論を引用します。

夢みた者と夢みられた者にとって、この物語の核は、騎士道本の非現実的な世界と17世紀の平凡な日常の世界という、2つの世界の対立だった。文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるのだ。
         ──ボルヘス「セルバンテスとドン・キホーテの寓話」

 アースシーの四巻以降をル=グウィンは自ら「第二の三部作」と呼び、男性性の神話を解体した、と述べました。その神話の解体の素晴らしさゆえに、ゲドが主人公を降りてからのアースシーは、現代アメリカ文学の最も重要なフェミニズム文学の一つとなりました。でももちろん、常にゲドはアースシーの物語の中で、ル=グウィンの心の中で、生きていました。そんなル=グウィンが自らの死を見つめた時、ゲドにも最後の旅立ちを与えることとしたと考えるのは、感傷的にすぎるでしょうか?

 ル=グウィンは言語を使ってフィクションを創り、ゲドは言葉を使って魔法を操り、そうして二人は、作者と登場人物は、夢見たものと夢見られたものは、その始めに神話を創生し、神話を解体し、人生の終わりに、ともに旅立ちました──文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるかのように。“Firelight”は、以下の言葉とともに幕を閉じます。

竜は真実を語ったのだ、恐れるものなど何もない。

 竜の風に乗った2つの偉大な魂に、乾杯。

今回の執筆者

青木耕平(あおき・こうへい)
首都大学東京他非常勤講師。1990年代のアメリカ小説/文化を研究対象としている。主な論文にB.E.エリス『アメリカン・サイコ』論、デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』論、デニス・ジョンソン『煙の樹』論がある。現在はアーシュラ K. ル=グウィン『ゲド戦記』「第二の三部作」に関する論考を執筆中。

追記(2019年4月2日)

“Firelight”がいつどのように執筆されたのか、その詳細は明らかにされていない。出版社に問い合わせたところ、「ル=グウィンの遺族により遺稿として持ち込まれたという以上の情報はない」との返信だった。そのうち刊行されるであろう伝記の登場を待ちたい。そして日本の出版社さん、どこかぜひ”Firelight”を翻訳出版しましょう。よろしくおねがいします!

追記の追記(2019年4月4日)

 本noteをアップした後に、ル=グウィンの実子であり、著作権を管理しているTheodore Downes-LeGuin氏より回答があった。掲載を許可してくれた氏に深く感謝する。

  ──“Firelight”はいつ書かれたのでしょうか?
  「彼女が草稿を私に送ってきたのは2017年初頭でした(She sent me
   the manuscript in early 2017)」
  ──“Firelight”の発表経緯はどのようなものでしょう?
  「アーシュラ本人が、“Firelight”の発表は自身の死後にすると決めたの
   です(Ursula decided to defer publication of FIRELIGHT till after she
   died)」)

 なんて偉大な作家だろう。

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現代アメリカ文学について執筆者が交代で更新します。青木耕平、加藤有佳織、佐々木楓、里内克巳、日野原慶、藤井光、矢倉喬士、吉田恭子の8名での連載です。
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