見出し画像

無意識なまちおこしを目指すという矛盾

どうもどうも。久しぶり。

画像6

初期:ちょんぼりちょもすけ、ちょもすけぴ、ちょもちょも
中期:おちょなん、おちょなむ、おちょおちょ
現在:ぺんちん、ぽんちん、ぷんちん、ぺぺちちぽぽちち

初期中期と現在が合体して、ちょもすけぽんちん、おちょなむぺんちん、になったり、ありがとぺんちん、よろしくぽんちん、などという使い方もあります。

急に変なこと言い出して、おかしくなっちゃったのではないかと思いましたかね。違うのです。これらはみな僕の造語。やっぱりおかしいって?(笑)

僕の独り言として生まれたもので(なんとなく好きな響きのある言葉を連呼する癖があるのです)、保育園で子どもたちと戯れる時にも発してるのです。みんな喜んでくれるのですよ。ちなみに妻にもうつり、つい口にしてしまうことがあるようです(笑)

画像2

画像6

と、かん先生の特異な癖の話はこの辺で・・・

菊池さんは忙しそうなので、こちらから追撃のお手紙と参りますぞ。

僕はOBCホームページの記事も書いているけど(かなりやっつけ)、基本的に活動の報告として写真を貼って、それについて淡々とコメントしていくというスタイルです。なので、こういう形で、自分の思っていることなどを文章にして書く場所ができたことに何だかウキウキしているような感覚があるのです。(恥ずかしさもあるけれど・・・)
これを始めたことがキッカケで、実は少しだけ思慮深いところもあるんだぞということを示していきますね(笑)

画像3

まちおこしモンスターフェス2019終わっちゃったね、とか前回さらっと書きましたが、そもそも、まちおこしモンスターって何だよって話です。これは、菊池さんもご存知の通り、OBCと一緒にまちおこしをしてくれる子ども達のこと。子どもってワーワーキャーキャー言ってモンスターみたい〜って意図では、全くないのです。

画像4

まちおこしをしているという自覚がなく、ただ笑ったり泣いたり、踊ったり立ち止まったり・・・、そのままのリアルな姿が、存在そのものがまちおこしになっているということ。もちろん子ども達は自分が町を盛り上げているんだ、自分たちが町の未来なんだー、なんて微塵も思っていない訳で・・・。無意識のうちにまちおこしをしてしまっているのですね。
(保護者のみなさんにもこれは言えるかも。子どもの楽しむ姿や成長を楽しみにしている方がほとんどだと思います。保護者のみなさんの協力がないとOBCライブ成り立たないのに。)

画像5

画像8

無意識」という言葉・状態。僕は個人的にすんごくこだわりがあったんだっけなーって思い出しました。この文通コンテンツを始めることで。

僕は、若かりし頃、(優しい人間になりたい)という漠然とした思いがあったのです。それはもう中二病のごとく(笑)

でも、ある日、ふと気が付きました。

本当に優しい人って、自分が優しいことをしていることにも気がつかないような人なのでは?

じゃあ、まずは、自分で自覚して行う優しいことは控えよう、という残念な選択をとってしまい・・・
このことについては、いろいろ黒歴史なので控えたいと思います(笑)

その後、迂用曲折あって保育士を目指すことに。しかし、保育の学校に通っていた訳でもないし、とりあえず、色々専門の本を読んでみるかーと、テキトーに読み漁っていたある日、ズキューンと胸に響くよりもすごい、ジャシッ‼︎ってはまる感じのヤツに出会いました。
日本の保育の父と言われている倉橋惣三氏の著書に書いてあったこと。すんごくハマったとか言いつつ、どの本のどこに書かれていたかも忘れてしまっているのですが・・・(笑)しかも、その著者にとっても、保育においてこれはぜひ覚えておくべきとかそういうものではなく、ふと思いついただけのことである、みたいな前書きがあったようなことなのです。
どんなことが書かれていたかザックリと要約すると・・・

泣いている子どもがいると、自然と集まる子ども達。頭を撫でてあげる子、大丈夫?と声をかけてあげる子、中には自分まで泣き出しそうになっている子までいる。
保育者「なんて素晴らしいことでしょう。みんな偉いね。優しいね」(こういう良い行動は、今後も続けていってもらいたい。褒めて伸ばそう。)
でも、それを言ったら、次から褒められるためにやっちゃうじゃない。子どもが誰からも評価を求めていないところでみせる優しさには、とてつもない美しさがある。褒めたい気持ちをグッとこらえてそっと見守ろうぜ。
純粋な無意識の善を、大人のエゴで汚すなよ。

確かこんな感じだったかな?元の文献探すの面倒だったからテイストだけ伝われば(笑)
本当に優しい人は自分が優しいことに気がつかないって論理にもハマるんじゃないかなってね。

大人になるにつれて、多かれ少なかれ意識して優しいことをするようになっていくと思うけど(それを悪いとは全く思いません)、どうしても、無意識ってところに惹かれてしまうのだよね。なんか純度が高いというか。

画像9

画像9

だから、まちおこしにおいても、無意識な子どもたちとその保護者のみなさんをリスペクトしている訳ですね。純度の高いまちおこししてんなー、かっこいいなーって。
※考えて考えて苦しみながらも考え抜く美しさってのも、もちろんあると思いますよ。菊池さんのように。

菊池さんもご存知の通り、OBCは活動を始めた頃から、言語化された理念みたいなものは特になく、後からこじつけ、とまではいかないけど、一応現在謳ってるような文言を発見していきました。東京最西端から最先端のまちおこしとか、子ども達は奥多摩の未来そのものとか。

どんな活動においても理念とか理由とかって後からこじつけられるよね。例えば、冒頭に書いたイカれた言葉たち、ぺんちんやぽんちんだって、「子ども達にとって心地のよい、または、注意を引く発音や響きを考察しながら、保育に活かそうとしている」・・・とか(笑)


斜に構えてるって訳じゃないのだけど、何のためにやっているの?って聞かれるのがどうも苦手です。いくらでも、何かこじつけで話すこともできるんだけどさ。


「〇〇のために」って言葉を自分から使うことにどうも抵抗があるのだよね。奥多摩のために、小河内のために、子ども達のために・・・

画像10

自分達が純粋にやりたくてやってること、楽しくて仕方がないからやっていることに、「〇〇のために」って名目をつけるのが偽善的に思えてしまうような感覚、純度が落ちるって感じ?

でも、自分達が楽しいと思うことをやってるだけです!って爽やかに言うのもなんか違うかな。

まちおこしってカテゴリーや枠を利用して、好きなことを楽しくできてるって感じなのかな。

うーん、ひねくれてるのかなぁ?


もちろん、結果的になにかしらのためになっていたら嬉しいし、誰かにそう言ってもらえるのも、ありがたく思っています。

でも、まちおこしをしていることを多くの人に伝えるためにはやっぱり何かしらのメッセージを自分から発信する必要もあります。「〇〇のために」という言葉も使ってOBCについて説明することもあったかも知れません。特に、駆け出しの頃は、団体名も怪しかったってこともあり耳障りのいいことを言ってしまっていた時期もあったかな。

無意識でいたいけど、ちゃんと伝えなくちゃいけない・・・。(無意識でいたいと思う時点で意識してるのだけどね)

だから、菊池さんがメンバーになってくれて本当によかった。

菊池さんは、OBCの言葉にしなくても共有されている関係性について、言語化するという挑戦をしてくれましたよね。自分でもこれを読んで、なるほどなーってしっくりきたし。OBC理解度が相当高い(笑)
でも、今度はさらに深いですよ。無意識の中で繰り広げられるまちおこし、無意識を目指すという矛盾・・・
より険しい思考の旅に出てもらいたいと思います(笑)

とりあえず僕は、無意識にまちおこしをしてくれている人々を大切にするよ。

あぁ、それにしても今回はだいぶイタい文章を書いてしまったなぁ。

さて、

画像11

もうすぐ、TAMGAWABrewだし、気を取り直してやっていきますかね。

しかし、二子玉川は遠過ぎて子どもが集まらないと思うから、OBC大ピンチです。

ダンサーよろしくね!!元気いっぱい踊りましょう!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?