名越護氏の田代安定(日本苧麻興業意見)

台湾の田代安定の考え

鹿児島市の南日本新聞社に勤務され定年退職された一九四二年生の名越護氏が『南島植物学、民俗学の泰斗 田代安定』(南方新社、二〇一七年)をまとめた。

 田代安定は一九一七(大正六)年七月、『日本苧麻興業意見』(二一八頁)という著作を出版している。苧麻(ちょま)とはからむし、あるいはラミーのことです。そのため、名越氏はからむしのことを説明するために、奥会津の昭和村のからむし収穫写真を掲示し説明している。

 私は「日本の古本屋」というウェブサイト経由で、二〇〇七年一二月に鹿児島市中央町のあづさ書店西駅店から、この『日本苧麻興業意見』を一二,二四〇円で購入した。この本には田代安定の名刺が挟んであり、それは鹿児島高等農林学校谷口教授宛進呈。

 献本者の田代安定の名刺の住所は「台北古亭村庄五百十一番地 五十二番戸 南門通配電所南隣」となっている。

印刷は台北撫台街二丁目一四六番戸の台北印刷株式会社(遠藤祐太)。日本の発行所は、東京市京橋区築地二丁目二十一番地の國光印刷株式会社。

田代安定(一八五七年生~一九二八(昭和三年))は、生蕃人(台湾先住民)の苧麻栽培について、調査し記述している。そのことを名越氏は、次のようにまとめている。

 山地原住民は、狩猟や原始的農業に従事していますが、農業においては古来の先人の知恵を受け継ぎ、老練家ぞろいです。山を焼いて、その灰を肥料にする伝統農法(いわゆる焼き畑農法)で「苧麻」を栽培して、糸紡ぎから染色、織りまで祖先から受け継いだ手法を伝えています。苧麻織物ができないと一人前の女性といえないともいわれています。これらの織物で製作した装身具は、彼らの貴重な「物々交換物」になっています。

 田代安定は、彼らに苧麻栽培指導についてきびしい注文をする日本人を批判しています。これは山地原住民の種族ごとの特長をよく承知する田代ならではのことです。種族ごとに多少の差があるものの、一般的に彼らは頭脳緻密にして良智良能で、多大の経験を積み、手先が器用で勤勉多芸な集団です。その上、恥辱を知り義理を重んじます。そのため、日本人の指導者は生産増強策を強調するのではなく、彼らのやり方には口出しせず見守り、「彼らの熟長せる慣例のままに一任し、みだりに不完全なる、つまりその手法がいかに非経済的であろうとも、改良的な干渉を加えるべきでない」と警告しています(一三二頁)。

 田代安定は台湾日日新報で一九一六(大正五)七月三日付~十一月七日付で八十一回にわたり連載記事を寄稿している。そのなかで、

「その剥皮(はくひ)採糸法でも(中略)原住民のやり方は単純原始的な不経済な方法であるが、他民族の様式に干渉的に教えることを避け、欧州式剥皮機械の使用奨励など強いるべきではない。原住民の伝承法に口出しせず、そのやり方に敬意を払いなさい」と、”郷に入れば郷に従って”見守ること、と強調しています(一三二頁)。