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30歳、15年ぶりのディズニーシー。

海に行った。
東京ディズニーシーという名の海に行った。
前回が中学3年だったので、15年振りに詣でたことになる。
(ディズニーランドも最後に行ったのが中2とかなので、ディズニーリゾート自体が15年振りであった)

15年も行っていないとディズニーが嫌いかと思われるかも知れないが、決してそんなことはなく、なんなら一時期は運営会社のオリエンタルランドのプレスリリースとかを定期的にチェックして新規開発の動向を追っていた。そのため、単純に行く機会がなかったいうか、高校入学以来関わる人にディズニーに行きたいと言い出す人がいなかったが故ということになる。

そんな15年ぶりのディズニーシーで感じたことを記録したい。


記憶より、全てが小さい

朝、入園してまず感じたのは『全体的に小っさ!』ということだった。
ゲートから抜けて火山が見える海まで続くお土産屋さんが並んだ道とか、記憶では歩いて10分くらいかかったような記憶があったけれど、実際に歩いてみると一瞬だった。
お出迎えしてくれているキャラクターたちも記憶より遥かに小柄だったし華奢だった。
陳腐だけれど、選挙で久しぶりに小学校の体育館に入った時にバスケットゴールを低く感じるような、そういう感覚を覚えた。
最後の記憶が中3なので体格は今とそこまで大きく変わるわけでは無いはずなのだけれど、何故なのだろうか。


ソアリンはタワー・オブ・テラーの(数学的な)裏

午前中、タワー・オブ・テラーに乗った。
タワー・オブ・テラーは中3年に行った時にも乗ったので、ストーリーも何となく覚えていた。
ストーリーとしては、ハイタワー三世という傍若無人な大富豪が、世界各地から宝物や美術品を強奪してこのホテルに蒐集していたが、その中の一つであるシリキ・ウトゥンドゥという呪いの偶像を蔑ろにした祟りでエレベーターが落下し行方不明になっていた。僕らは、そのホテルの見学ツアーに参加しているという設定。
並んでいる時からそれっぽいストーリーを空気で感じさせて、案内されたステンドグラスのあるハイタワー三世の書斎?的な部屋で、シリキ・ウトゥンドゥの祟りの一部始終を見せられる。(あの偶像がどうやって消えるのか未だに仕組みがわからない。)その後、僕たちは業務用エレベーターに乗って最上階に向かおうとすると、シリキの祟りでエレベーターが暴走!恐怖!って感じになる。
ただのフリーフォール系の絶叫マシンに対して、ここまでストーリーを作り込むのはさすがディズニーだな〜と改めて感じた。

そして、午後は個人的にめちゃくちゃ期待していたソアリンに乗った。追加で2,000円払って並ぶ時間を短縮できるチケットを買ったので、180分待ちの人を尻目にスーっと建物内に入ることが出来た。
ソアリンのストーリーは、カメリア・ファルコという空を飛んで世界中を旅した女性科学者?探検家?の生誕100周年イベントとして、空にまつわるいろいろな過去の研究や発明の展示会に僕たちは参加しているという設定で、ハイライトとして彼女が発明して世界中を旅した乗り物であるドリームフライヤーを実際に体験してみるというものだった。

このソアリンのアトラクション全体の構成が、午前中に乗ったタワー・オブ・テラーの要素を全部裏返したような形で面白かった。

どちらのアトラクションも、ハイタワー三世とカメリア・ファルコというどちらも現世にはいない人物をフィーチャーし、彼らを偲ぶように縁のある展示品を見ながら待ち時間を過ごす。
本番のアトラクション前に世界観を説明されるフェーズでは、彼らを象った本来動かないはずのステンドグラスや肖像画が動き出し、彼らに起きた一部始終を目撃する。(タワー・オブ・テラーではシリキ・ウトゥンドゥの偶像が、ソアリンではアレッタという鷹の彫刻が動き始めるのも構造として酷似している。)
その後、メインのアトラクションに搭乗して終了。

流れは非常に酷似しているのに、登場人物の善悪の描かれ方の違いによって乗り物自体の体験が『絶叫!』と『感動!』と全く異なるものになるのもすごく面白かった。それ故に、ソアリンを体験し終わった後に思わず『タワー・オブ・テラーの裏じゃん!』と一緒に来た人たちに語ってしまった。
どちらも所謂ディズニーキャラクターに頼ったアトラクションではないので、意識的にかなり丁寧な世界観作りがされた結果なのかもしれない。

アトラクションの構造的な感想ばかりを書いてしまったけれど、ソアリン自体はテクノロジーの集大成とストーリーが相俟って唯一無二の感覚になるものだった。(個人的には特にドリームフライヤーが舞い上がった瞬間に重力の方向が全然分からなくなって凄!っとなった)

いつかディズニーのアトラクションの図面と、その体験を増強するテクノロジーを解説する書籍とか出ないかな〜と思ってしまった。

みんなに充足感を与えていて、すげ〜

平日の割にめちゃくちゃ混んでいるパークで、漂着した『ホライズンベイ・レストラン』というお店で昼食を食べることにした。
ここはいわゆる学食や社員食堂形式で、食べたい料理をピックアップして会計し、空いている席に座るシステム。僕はスパイシーチキンのグリル焼き的なものとパンを食べたのだけれど、失礼ながら想像よりも全然美味しくて驚いた。

そして、食事よりも印象的だったのは、テーブルごと食事をしているそれぞれの来場者の様子だった。僕らのように男女混合のグループもあれば、女の子2人組(意外と多い!)、3世代家族、小さい赤ちゃんを連れた親子、アジア系インバウンドファミリー、カップル・・・(そして本当にこういう切り分けが良く無いと自覚しつつも)それぞれのグループも陽キャから陰キャっぽい人たちまで本当に様々だった。
ファミレスの客構成と何か違いがあるのかと問われると大きくは違わないのだが、それぞれのグループから発される雰囲気が『今、満ち足りている』という感じのもので、しかもそれぞれよグループが何かギュッと一体感が強い感じがして、普段見る風景とは大きく違ったものだった。
シンプルにディズニーリゾートって多様な人を受け入れていて、こんなに大勢の人々が楽しそうに時を過ごしている場を作っているのって凄いなと感じた。

僕は、親から愛されていたのだった

ディズニーの夜は感傷的になってしまうのは何故だろう。
太陽が落ちて、最低限の照明が作る風景があまりにドラマチックだからだろうか。

今回5人で来ていたのだが、お土産を買う段階になって一旦それぞれ別行動をすることになった。
僕はそこまで買いたいものもの無いので、海の周りをブラブラとしていたが、海に面したホテルの客室からスマホのライトで手を振る?人が大勢いることに気づいた。
近くにいた小さな男の子も、そのライトに気づいたようで、お父さんに『あれ、なんだろ〜』と話しかけていた。
お父さんは『きっと、みんなにバイバイしてくれてるんだね。〇〇もやってみる?』と自分のスマホのライトをつけて、その男の子に手渡していた。

その光景が、何故かめちゃくちゃ胸にきた。
悲しいとか、今家族がいない寂しさとかいうネガディブなものではなく、あぁこうやって父親に寄り添ってもらっていた時期が自分にもあったのだなということが思い出されたのだった。

実家には、ベビーカーに乗った僕と母と父の3人がイッツ・ア・スモールワールドの前で撮った写真が飾ってあり、その写真を強烈に思い出した。
当然、その時に行ったディズニーランドの記憶なんて僕自身には全く無いのだけれど、当時僕とほぼ変わらない年齢の父と母は、わざわざベビーカーを押してまで埼玉からこのテーマパークまで僕を連れてきてくれていたという事実が妙にズシンと来たのだった。


今年はディズニーリゾートの40周年とのことだった。
一般的に1世代=30年というため、幼少期にディズニーランドを経験した人たちが親になるには十分な時間が経っている。
自分自身に子どもが生まれて家族でディズニーに来ることは現状なかなか想像がつかないけれど、それぞれの人生に強く印象づけられた瞬間が生み出されるテーマパークが(いくら強力なキャラクターコンテンツがあるとはいえ)ひとつの企業が創り上げて40年経ってもここまで賑わっていることは、ちょっと凄すぎるなと尊敬の念を抱いてしまった。


アリエルとジニーの抱き枕が同じ構図で売られていて、その対比が面白かったので比較してみた。

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