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「レンタルなんもしない人」に見る場面緘黙のバリアフリー

「レンタルなんもしない人」さんの活動スタイルは、場面緘黙の人が人と関わりやすい仕組みとして見たときにも、とてもすぐれたデザインだと思います。

▼「なんもしないただ一人分の存在を貸し出す」話題の「レンタルなんもしない人」さんの記事。 ご自身の場面緘黙についても語られています。 

▼場面緘黙とは、園や学校など特定の場面で声が出なくなってしまう不安症状です。家では普通に話せる場合が多いです。大人の場面緘黙もあります。詳しく書かれた記事を貼っておきます。

「固定された人間関係」が苦手だったとおっしゃるレンタルさんの「レンタルなんもしない人」は、学校や会社、あるいは家庭など、「固定された人間関係」の在り方とは真逆のサービスです。

●一対一

●初対面

●その場限り

で、なんもしない自分を貸し出す。

レンタルさんのスタイルは、「いかに固定された人間関係を崩すか」という点に集約されています。

場面緘黙は、「固定された人間関係」の中、主に園、学校、会社、家庭などで現れやすい現象です。例えば、多くの場面緘黙の人は、自分と関係のない人であれば話せるという特徴があります。相手に、私は「話さ(せ)ない人」という先入観を持たれていないからです。学校などで、自分を「話さないキャラ」と認識しているであろうクラスメイトに対しては、強くその自分像を維持しようとし続けてしまいます。

それゆえ、初対面の人の方が話しやすいのです。また、場面緘黙の人は一対一が最も話しやすく、三人以上になると話しにくいという人が多いです。話すタイミングや会話のテンポなどを掴むのがむずかしいですし、緊張が高まりやすいのかもしれません。

その場限りの関係の人には、「話さ(せ)ない人」という先入観も持たれていないですし、今後の関係性の継続を意識しなくて良いため、話しやすいです。例えば、旅先など一期一会の機会では話せたりします。基本「私が話さ(せ)ないことを知っている人」とは、話せないことが大半です。「固定された人間関係」が続くことを意識すればするほど、話しにくくなります。例えば、私は店員としてお客さまと接するときは話せていました。場面緘黙でも話しやすい状況はひとりひとり変わってきますので、傾向としての話です。

また、レンタルさんのように、何もしないことを役割とし、お互いに了承しておけば、何もしなくても、あるいは何もできなくなってしまっても、変に思われないです。自ら会話のハードルをめちゃくちゃ下げておくことは、緊張やプレッシャーを緩和してくれると思います。

私は、人と居て場面緘黙が出てしまうと、話せず、何もできず、ぼーっと固まっているしかなくなってしまい、役立たずな自分を責めていました。その間、ずっと変に思われていないかと気になっていました。あるいは、何かしなきゃと思えば思うほど固まってしまう。

レンタルさんはそんな居たたまれなさを、価値や役割に反転させているように感じます。

●何もできない・自己否定、自責、受け身になってしまう

●何もしない・自己肯定、そのままでOK・「何もしない」をする=能動的

場面緘黙だと、人と関わることを完全に避けるか、発症や対人に耐えながら(怯えながら)無理に関わるかの二択に考えてしまいがちですが、どちらも結果は苦しいものです。ですが、レンタルさんのスタイルであれば、少し気楽に人と関わり続けられそうな気がします。

私は場面緘黙傾向であることで、集団社会や組織に属することの不安を抱えていますし、人と関わることを避けて、病んでしまったこともあります。

(感情)労働としての消耗、職場の人間関係による疲弊、雇われることの責任やプレッシャーなどは、場面緘黙でなくても苦しいものだと思います。私の場合、場面緘黙であることで、人の何倍も消耗してしまっていたと思います。それゆえ、長く続かないことも多い。ですが、レンタルさんのスタイルならば、激しい疲弊や消耗と引き換えでなくとも、継続的に人と関わっていくことができるかもしれません。未知の経験値を積むことができるし、人の役に立つことで、自尊感情や承認を得ることもできそうです。場面緘黙経験者である私から見た「レンタルなんもしない人」は、場面緘黙がありながらも人と関わり続けるための画期的な仕組みと受け取れます。

また、レンタルさんが匿名の存在やモブとして観察的に物事を体験されている様子は印象的です。(あえて設定した)交換可能な役割を徹底することが、逆にレンタルさんの人柄など、(なんもしないから普段は見えにくい)パーソナルな部分を自然と際立たせているように感じました。そして、全く交換可能ではない(=レンタルさんにしかできない)存在になっていっています。

●主人公なのに、モブ      モブなのに、主人公

レンタルさんは、「レンタルなんもしない人ムーブメント」の主人公でありながら、決して道の真ん中を歩こうとしない印象です。一連の流れをかなり客観視されているし、そういったスタンスが私的に最高です、笑

自分を出すのは困難だけれど、全く知られないのは寂しいという葛藤の中では、半分匿名的な存在でいたい。それは、私にとって販売の仕事が心地良かった理由のひとつでもあると思います。私の存在にフォーカスされたり、注目されたりすると話せなくなりがちなので、私自身が注目されないことを保証してくれる役割があると良いのかもしれないです。

場面緘黙からの自己防衛として「何もしない」役割を設定するという見方をさせてもらえば、「レンタルなんもしない人」は、場面緘黙の人が生きやすくなるヒントにもなり得る気がします。例えば、場面緘黙の人が人と関わりやすくなる仕組みとしてのコンセプトの立て方、サービスのデザインなどによる「社会モデル的な場面緘黙のバリアフリー」の実現可能性を感じさせられました。

そして、「何もしない」ことが、依頼主さんにとっての寄り添いや助け、支えになるという現実を見させてもらったことは、私にとって驚嘆と希望そのものでした。何もしないことに社会的価値が見出せる。レンタルさんがいなかったら見ることができなかったさまざまなニーズ、さまざまな切実さを知ることで、場面緘黙を超えてさまざまなことを考えさせられます。レンタルさんへの依頼には、今まで切り取られることのなかった現実が浮かび上がっており、とても興味深いのです。

レンタルさんは、ご自身の生きづらさの中にこそ、このサービスのニーズがあったのかもしれないと語られていました。きっと場面緘黙という枠からも離れたところで、ご自身の生きづらさを注視されてきたのだと思います。そして、言葉のセンス(レンタルなんもしない人のネーミング、最初は「動く置物」にしようと思ってたそう 言語感覚がすごい)や依頼への対応、Twitterでの発信などに滲み出るレンタルさんご自身の才能とパーソナリティ。そんな独自性によって、「何もしない」ことが普遍化され結実していると思いました。リアルタイムで「レンタルなんもしない人」という現象に触れられた幸運を感じます。

Twitterを舞台としていらっしゃることについても語りたいところですが、またにします。。。とにかく、レンタルさんへの興味が尽きません、笑

これからも、ご活躍を拝見させてもらいたいと思います。


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