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#6 あの頃のわたしたちは 超平和バスターズだった

その信号は1日にほんの数回だけ国道の流れを止めた

四方八方 いや十六方を山に囲まれた小さな集落に 平屋造りの小さな小学校があった その信号はそこに通う小学生のために設置されたものだ


その信号を渡ったら左に それがわたしの通学ルートだったが 帰りはいつも直進ルートを選んだ わざと遠回りした みんなと一緒に帰りたかったから


超平和バスターズと同じ構図が完成したのは小学校2年の時だ *ちなみに超平和バスターズとはアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の主人公たちのことである

保育園の頃 同級生は男子3人 女子4人だった これが保育園卒園時に男子1人が別の街に引っ越すことになって編成が変わる と思ったのだが小学校に上がると入れ替わるようにまた別の男子が加わって人数は変わらないことになった

そして小学校2年生 女子1人が県外へ転校 それを機にわたしたちは男子3人 女子3人 超平和バスターズと同じ構図を形成することになったのだ

もちろん構図が同じというだけで 作品のようなドラマは微塵もなかったわけだけど 先日 実写作品を見てあの頃の自分たちを思い出さずにはいられなかった

山の麓 静止画のように動きのない景色の中 清い川の流れだけが時を動かす そんな小さな集落で6人はともに育った 男子は黒 女子は赤と親同士で話し合って揃えてくれたランドセルを背負っていたあの頃  

いち早くメガネスタイルになった秀才系のSくん スポーツ万能だったTくん ムードメーカーであの花に出てくる仁太(じんたん)みたいなMくん 漫画やアニメが好きなYちゃん まつげが長くて美人のMちゃん わたしは当時だけでいえば勉強できる陽キャだったけど今はそのどちらでもない

これが浦小版 超平和バスターズだった *ここからは浦小版を浦小バスターズ 本家を超平和バスターズとする

浦小バスターズの遊び場は小学校の裏山や帰り道の空き地そして神社だった 実写版で本家の超平和バスターズも山の中と思われる場所に基地を構えており 基地周辺や花畑など 大人の干渉がない世界で活動している その子供だけの世界観は過去の自分たちに重なるところがあった 山へ行くことも空き地で道草することも神社に集うことも 大人は誰もダメと言わないし監視されることもない子供だけの世界だった

かといって大人たちがわたしたちに無関心だったわけじゃない 親に限らず地域で見守る制度は昔から確立されており おとなたちは時間が許す限りわたしたちにたくさんのものを見せてくれたし たくさんのことをさせてくれた わたしたちは大人を信頼していたし 大人たちもわたしたちを信じてくれていたのだろう その関係が浦小バスターズに文字通り伸び伸びした小学校時代を送らせてくれたのだと思う

全校生徒は年々減る一方で浦小バスターズ入学時は56人 卒業時は28人 現在は近隣の小学校に吸収される形で合併し 我々の本拠地である浦小は数年前に閉校となった 

浦小バスターズが事実上解散したのはわたしたちが中学2年の時だったと思う

中学校は我らが浦小の他にふたつの小学校も加わり同級生の数は11倍になった クラスも二組になって浦小バスターズは裏山に行くことも空き地に寄ることも神社に集まることもなくなった 通学路が変わったことはもちろん 部活もそれぞれに分かれ6人しかいなかった同級生が66人になったのだから新たな友人もできる 思春期を迎えた浦小バスターズが最後に6人で集まったのは おそらくMくんの引っ越しが決まった時だ 

ムードメーカーだったMくんはそれまで単身で関東で働いてたお父さんと暮らすことになってこの田舎を離れた

残った5人は高校もそれぞれ わたしはTくんと高校まで同じだったし中高6年のうち4年はクラスも同じだったけど言葉を交わすことはもうほとんどなかった 高校を卒業すると皆 あの静止画のような集落をでた

その後かろうじて成人式の日 中学の同級生の中でTくん、Sくん、Mちゃんとは再会 さらに仕事を辞める頃に奇跡的にSNSで繋がることができたMくんとも およそ10年ぶりに再会の機会があった

でも結局一度も6人で集まっていない 浦小バスターズはあの清い川の流れとともに 静かに大人になった 

忘れたわけじゃない あの校舎の木の香りも 山で摘んで食べた桑のみの味も なが靴でサッカーする時の雪の重さも みんなの誕生日も血液型もあの頃の夢も 今だって覚えてる

別に何って理由があってバラバラになったわけじゃないのに きっかけがあって話さなくなったわけじゃないのに 理由がないから きっかけがないから集まれないでいる  小学校を卒業するときにタイムカプセルを埋めなかったことを後悔した もし埋めていたら集まる理由になったのに ってそう思ってても招集かけられないのはあまりに大人になりすぎたせいだろう

20年も話していない彼らと会って何を話せばいいかもわからない もう浦小や空き地はないし 裏山や神社もあの頃みたいに大きくは見えないかもしれない でもだからこそあの頃のこと そして今のこと 話してみたいなとも思う


帰り道を分けるあの信号はもうない  あの信号は浦小閉校とともに撤去されたそうだ 静かなあの景色を通り抜ける国道 その流れを止めるものはもうない 


目を閉じて記憶の中であの押しボタンをゆっくりと押す もしも叶うならいつかまた浦小バスターズが再集結できますように その日を夢見て今日のところは信号を左に 一人で家路につくことにしよう  



 




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