「結婚」第1話

あらすじ
同棲しているひゅーいから曖昧なプロポーズをされた君子は真意が分からず困惑している。
君子はカフェで友人のあいに相談するが、自分の気持ちさえ上手く話せない。
帰り道、自販機の隙間に置かれたマネキンを見つけ、君子は自分とひゅーいの暗示のように感じる。
後にマネキンはあいが置いたことが判明するが、君子はあいの行動を肯定することで多様な生き方を知る。
その後、ひゅーいが歩道の草むらから女の子を拾い、それをゆきと名付けて三人で暮らし始める。ゆきは結婚し親になる自信のないカップルが「結婚」を練習するために現れた妖精だったことが判明する。
二人が覚悟を決めるとゆきは消滅し、結婚することを決める。

 君子の心

「私が大切にしているものは、一つしかないのかって……思うのだが」
心の中で言ったつもりが声に出ていた。私の話し方に慣れているゆきは微笑みながら拾ってくれる。
「思うのだが、ってなんでそこだけおじさんみたいな言い方なの?」
「ずっと考えていて……例えば、私はそのグラスの底に残ったミントみたいな状態で、氷に埋もれて動けないの。誰かがストローでほじってくれるまで……」と言いながら、私は目の前のゆきのかわいさに感動している。この時間が大事なんだ。私がまとまらない事を言って、ゆきが笑ったり戸惑ったりしている表情を見ている時間。私はゆきの困惑した表情が見たくてティースプーンをつまみ上げて軽く振り回す。
「子供っていうのが、全然想像できないんだよね。子供服のコーナーにベイビー・マタニティってあるけど、何のことですか。私の体からひゅーいさんと私の遺伝子が半分ずつ入った生き物が出てくるなんておかしくない? 外で親子を見る度に、無理だって思う。私はランナーを追いかけてる中継車みたいなもんでさ……」
「そういうとこ、なんじゃない」
 ゆきのトーンに驚いたと同時に、否定されたショックをごまかすための冗談が浮かぶ。
「このままだと、私は中継車と霊柩車だけかもしれない……」
「そうかもね。まぁ分かるけど」
「ごめん、つまんないこと言いました」
「そういう話は、ひゅーいさんとする?」
「しない」
「なに喋るの」
「んー、基本無音だね」
「うっそだ、それはまずいんじゃ」
 ひゅーいの話になった途端に頭が締め付けられる。思い出したことが顔に出ないように、ゆきのツインテールの向こうに広がる青いビルを見る。低層部が店舗で、中・上層部はオフィスやホテルが入居している。一階の歩道側がショーウィンドウで、春物の明るいコートを着たマネキンは、躍動感のあるポーズのまま停止しており、今にも肘がプルプル震え始めそう。私にはそれがおかしく思えて、また下らないことが浮かんでしまう。
「あのビルのさ、マネキンをヴィレバンの入口に置いて、ポップに『商品名 ひゅーいさん 黒ごまクリーム付き!』って書いてあったら面白いかな」
 ゆきが振り返ってビルを見ると髪が揺れ、バニラのような香りが漂ってくる。
「何それ。クリームは何に使うの?」
「それは買った人次第だね。ゆきは私が面白いのを認めたくないからそういうこと言っちゃうんだよね」
 ゆきは恥ずかしそうに顔をしかめたあと、窓の向こうの雲をわざと眺めている風に見つめた。真面目に話せということなのだろう。
――参ったな、今日は調子が出ない。ゆきが笑える冗談を提供したいのに。
「ひゅーいさんの背中は黒ごまクリーム味だよん」とこっそり小声で呟くとゆきが「おいしそうだね」と言った。
――ちょっと怒ってる。じゃあ、真面目に話してもいい? でも、ゆきには重すぎるかもしれない。
「ごめん、ふざけすぎた。でも多少は当たってると思う。二十代後半の男の人の背中ってそういう匂いしてそうじゃない?」
「ちょっとおいしそう過ぎると思うけど」
「想像してみて、新品のズボンとかTシャツってなんとなく甘いにおいがするでしょ? そういう匂いに似ているの。お風呂上がりで石鹸とお湯と買いたての部屋着のにおいが合わさって黒ごまクリームのにおい」
「まぁね、そんな気もするけど……」
「ゆきはかわいいけど、その分知らないことが多いんだよ。私を見習って色んな目線を身に着けておくと視野が広がるよ」と言って私はスプーンを前歯にはさんで上下に動かした。
「きみちゃんみたいになりたいとは思わないよ。今のを聞いただけで私、しばらくごまクリーム食べたくないし、さっきのおじさん風の声も街で聞いたら逃げると思う」
「抵抗のある内が正常だね。でもゆきはもうディズニーのお菓子の缶を全部集められなくなるね」
「どうして?」
「だって、缶に入った黒ごま味のおかしが一つくらいはあるんじゃない?」
「確かに、その味のはいらない」
 ゆきのきっぱり諦めた声に私も驚き、噛んでいたスプーンがはじけるように飛びゆきの膝の方にまで転がっていった。
「あーあ、こんなとこまで来ちゃったよ。なんかベトベトしてる」
「ごめんゆき」
 調子に乗れていた自分が崩れていく。すぐに落ち込む自分を見られている恥ずかしさでゆきの顔が見れない。
 太腿。私の太腿か……視界いっぱいにある。こんな頼りない足じゃなくて、しっかり自分で歩ける人間になりたい。ひゅーいの足も胴体も顔も、何もかも私と似ていて平凡なんだよ。あぁ、もうすぐゆきともお別れなのか。もっと笑わせたかった。私はあと十秒したら元気になるから、待って。
「あのね」
 でも折角一緒にいるのに十秒も黙っていたら駄目だ。何も考えていないのに話してしまった。
「気にしないできみちゃん」
 ゆきってやさしい。
「そうじゃなくて」
「なに?」
「このままじゃ、もっと愛したいって思ってる私の感情がゆきに向いてしまいそう……」
「大丈夫だよ」
――何が?
「きみちゃんは今、脱皮中だと思う」
「だっぴ?」
「そう。虫が成長する時にするやつ」
「だったら脱皮することに、意味はあるのかな」
「うん……」
 きっとゆきはこういう話の解答を持っていても私に見せてはくれない。でも本音が一つ出たら、吐いてきため息を言葉にし終わるまで止まれなくなる。
「高校生っていうか、そういう部分がまだあんだろうね。通り過ぎた昔に戻りたがっているっていうか……」
「それはそれでいいんじゃないのかな。もどかしい人生で」と言うと、ゆきは両目と唇を左右に伸ばして意地悪そうに笑った。
「最近、部屋がどんどん手狭に感じて、同じ空気吸うだけで苦しい。目に見えてきそうなくらいの気配っていうか、ものすごい低音みたいなのがあって、家具とかがガーって迫ってくる感じ。ゆきちゃん、もういい大人なんだけどさ、次のステージに行くために……」
「ねぇ、きみちゃん」ゆきは私が一方的に話したのに、落ち着いた声で話してくれる。顔を上げると、ゆきが正面からこちらを見ていてどきっとした。大きな黒い瞳と長いまつ毛の周りの肌は白目に負けないくらい白い。
「感情を、私に向けても大丈夫だし、冗談とか言わなくても面白いよ、落ち込まないで」
 あぁ、だからゆきは可愛過ぎるんだ。お人形のような子に慰められたら私はあっさり信じてしまう。ありがとう。
「ごちそうさま」
「え、急……」
「私はゆきの可愛さで元気になれるよ」
「そんなにはっきり言わなくても……」
 ゆきは私の暑苦しさに困って唇が内側へめりこんでいる。その様子も既にかわいい。これで良い。
 私はコートを掴んで立ちあがった。ゆきの後ろに建つビルのガラスウォールの色や、店の中でわずかに聞こえていた、ビルの傍の高速道路を走る車の音をしっかり覚えておこうと思う。ゆきはこのビルと音を背景に話していた。ゆきと一緒にいた時に私が感じていたもの。
 私にはゆき以外に話せる友達がいないから、普通の女性がどういう風に友達を大切にしているのか分からないけど、自分なりにゆきのことを大切に思っている。お茶するしかないのかなと思うくらい。本当はもっと特別な行事をしたいのだけど、表現の仕方が分からない。ハグという選択肢もあるのだろうけど、帰り際になって急に抱き着くのは変だ。ゆきは妹でもないんだし、一方的な感情の実行を相手の体を使ってやってはいけない気がする。
 ゆきといたい。過ごせる時間を大切にしたい。
 それだけを別れ際に思って、何もせず別れてしまった。
 そっと振り返ると、ゆきは下り坂の歩道を歩いている途中だった。スカートの丈は膝よりも上で、裾がぽわりと膨らんでいた。ゆきの健やかに膨らんだ頬や胸が、スカートのふくらみで、黒く長い髪は、光沢のある黒のローファーになって、かわいらしさが洋服と一致している。ゆきが歩道からタクシーを呼ぶような動きをしたので、私はそっと振り返って、坂の上にある自分のマンションに向かった。
 家に帰ってもうすぐひゅーいに会うかもしれないとなると、だんだん頬が熱くなって、性格は明るくなっていく。明るい大人の女性になろうとした努力が報われたのか、もうすぐ会うということを意識するだけで自動的にさっきの黒ゴマの話は忘れて明るい人格に変わっていく。
「炊飯器のふたを開けるみたいに、お互いの頭の中を見せ合う会話をしないといけないんだ。さらけだして喋ろう。私の頭はね、意外と単純。いつもギラギラしてる。変えたての電球たちが、ずらっと並んだピンボールみたいに明るいよ」
 そう考えていた時、歩道の脇にあった自販機と自販機の二十センチ程の隙間にマネキンが二体押し込まれていた。顔は私とひゅーいさんになっていた。
 マネキンは交差点を曲がっていく車がライトで照らしている間だけ見えた。隙間に挟まったまま動けないでいるマネキンが二体。怖くて、走り出した。頭の中に刻まれた映像は、汗ばんだ背中に張り付いて、襟あたりにマネキンの手の感触。
 巨大な牛肉の赤身と、真っ白な脂身の川のように見えたコーラの自販機の側面にあれはいた。見てはいけないものだと体が察知し、忘れようとしても、既に脳に侵入されてしまったよう。新しい物質が注入されて、脳は溶けて砂になり、やがて歩道の縁石のひびに流れ込む……もっと遠くに逃げないと。
 ガラスのドアを押し開けてマンションのロビーに入ると、外の空気や音から遮断されて一安心した。ひゅーいさん、帰ってるかな。
「ただいマーベラス」
「おかえりんご」
 ひゅーいがいたことよりも、明るすぎる玄関と廊下では一つも陰が存在していないという事に初めて気づいた。マネキンなんかじゃないぞ私たちは。
「ひゅーいさん……」とドアノブを握った時に思いついたことを実践する。帰ってすぐにキスをするような間を演出。
「なんだい?」
「……」
「部屋の中でもチャックぐらい閉めて」
「あっ!」
「って閉まってるし」
「閉まってるかどうかくらい、常に自信持って」
「どんな抜き打ちテストだよ」
 ひゅーいの冴えないツッコみで会話は終了せざるを得ない。しかしこれはいつものこと。どうして今日は帰りが早かったのか、聞き出したらきりがないので聞かない。それに、何時に帰っているかを先に知ってしまうと折角変えた私の性格が元に戻ってしまうと思う。
「お風呂まだでしょ、一緒に入ろうか」
 確かめたいことがある。ひゅーいの体のどこかがマネキン化していたら……と思うと、お風呂へ誘う勇気は大したことじゃない。
 先に服を脱いでお風呂場の椅子に座って無防備な背中をさらしたひゅーい。そうだよね。関節にネジなんか入っていないよね。あぁ、こわかった。
「背中流してあげるよ」
「おぅ、ありがとう」
「うひひひ」私は背中ではなく他の部位へ手を伸ばすふりをしたが、伸ばす前に指は折りたたまれた。
 私達にとって決まりのようなものは、こんなところまでくればないはずなのに、いつまで経ってもありがとうと言うのはおかしいんじゃないか。からかい甲斐がない。
 私は泡で埋め尽くされたひゅーいの背中に額を滑らせながら話しかける。
「さっき気付いたんだけどさ」
「ん?」
「ひゅーいさんのにおいってね、ここのフローリングのにおいに似ている気がする」と言いながら、鏡に映ったひゅーいの顔を覗いた。笑う少し手前のまま停止した聞き手らしい控えめな顔、その後ろにはひゅーいの首元に寄り掛かりながら三白眼の私の片目。
――ものたりない
 なんでも自覚する私は、自覚していないゆきの可愛さには敵わない。私は頭の中で四六時中鳴っている第三者の視点で自分を操るしかない。あるいは、第三者の私を制限している第四者がいるのかもしれない。第四のそれはもう人ではなく「もの」である気がする。私を取り囲むものたち。ティースプーン・浴室の椅子・自動販売機。私のことを見ている意識を持たないものたち。そのせいで、自由であるはずの私の無意識の領域が侵され、睡眠も会話も駅のホームを走っている時も、ものが私を実況中継している生活から逃れられない。「君子は苦悶の表情で駆け抜け、今にもドアが閉まりそうな準急に飛び乗ったのでした」「おっと君子選手が折りたたみ傘を地下鉄のトイレに忘れました。これでは予選敗退が決定……」
 こんな面倒な根暗になってしまったのはものが私を囲むからで、もののせいにしないとやってられない。私は悪くない……。そんなことよりも、何日か前にひゅーいにプロポーズ的な事をされた事の方が大きいだろう。指輪ももらったのに翌日にひゅーいが付けていなくて、曖昧な返事だった私も悪いかもしれないけど、つけないひゅーいに腹が立ったから私もつけるもんかと思っていたら、今度は婚姻届を書きたそうな雰囲気を出している。そういう人と暮らしているから友達との帰り際が寂しくて気持ちが不安定で、彼を責める勇気もなくもののせいにしているだけ。だから私は悪くない。ひゅーいが自分からはっきり言ってくるまで私はふざけ続けていい。

 お風呂の後、私はベランダに出て手すりから顔を出し、下から舞い上がり、上の階へと流れていく風を吸って深呼吸をしていた。
 ひゅーいって一体だれが付けた名前なんだろう。おそらく両親なのだろうけど、正直、間抜けな響きだ。しかし、それは名づけた親のせいではなく、ひゅーいという人がひゅーい以上になろうとしてこなかったせいじゃないの? と、私は言える立場だろうか。言える、と思う。だって誰も知らない。このマンションの一室で行われていることを。私とひゅーいしかいないこの部屋の中では、私が彼の名前を間抜けとかカッコいいとか言っても、彼が傷つくか傷つかないかの違いしか生まれない。それは逆も同じで……。ずっと二人っきりになったことで、私が暴走するかもしれないきっかけを与えたということをひゅーいは分かっているのだろうか。ヒステリーは、もともと私がそうだからではなく、私の変化に気が付かないから増幅されるものであるということも……。
「そろそろ中に入ったら?」
「うん」
 今日初めて聞いた自発的な言葉に従って部屋に入った。すると、またひゅーいが何か言った。
「あ、ティッシュ……」
 寝室に置いてあるものが空になっていた。
「なくなっちゃったね」
 早く背を向けて、何かの作業にかかって欲しい。会話のために会話をしてしまうと実況が始まる。「きみこ選手は今、ひゅーい二等兵を背後から押し倒すか思案している模様です。スマホで誰かに相談するのでしょうか? 今大会のルールでは電子機器の使用は……」とひゅーいが向きを変え廊下へ移動したことで中継は終わった。
廊下のクローゼットにしまってあるペットボトルの水や紙類の予備をひゅーいが取り出す。
 ここで押し倒して、両方の手の甲を床にたたきつけて、痛がろうがそのまま手首を押さえつけると仮定する。一度まじまじと見てみたい。いきなり襲われて仰向けに倒れたひゅーい。けれども、そんなことをしていいのは布団に入ってからで、廊下でやると私がおかしくなったと思われる。
――だから、今がこの時だっていうのは分かってるんだ。ひゅーいさんがすり寄ってきた今、抱き寄せてあげればいいのにできない。ひゅーいさんは私の胸にあたっているかいなかのところに顔をおいてそれ以上近づいてこない。ここから先は私が首に手をまわして押しあててあげればいいのにできない。胸の隙間とひゅーいさんの鼻に細い空気の通り道ができる。
「ねぇ、こんな時だけ近づくなんてずるくない?」
「……」
「そこに理由なんてないって意味?」
「……」
――ひゅーいさん、これからのあなたの行動や発言次第で、私があなたをどうするか決まる気がするんだよ。私だってそんないい人ではないけど、でもこのままでは、そうなってしまうと思うの。何か話して。
「……」
「ひゅーいさん、こっち向いて」
「ん?」
――あ、返事した。
「きっと、私もあなたも、まだ子供なのよ」と私は言ったが会話は続かなかった、ひゅーいは暗闇の中でこちらを見て、沈黙によって会話を終わらせようとしていると思った。そうしたいのならそうすればいいと、私は抵抗することもなく、この言葉を言ってこの日の会話は終わった。

――ねぇ、なんのために頑張って性格変えたと思っているの。もうちょっと反応してくれないと私も暗くなっちゃうよ。二人共暗くなったらさ、この家どうなるの。
 仮に今、彼から反応があったとしても、彼と私だけでは必ず限界が来る。私はひゅーいだけでなく、終わりのない安らぎを与えてくれる自分の子供という存在を求めている。そして、そのすぐそばにいつもいる母親ほど、私にとって誇り高いものはない。子を愛し、育てるという明確な人生の目的を安息と共に全うするという母親の側面を私は知っている。自分で自分の子供を産めるということ。その子供が常に、自分の傍で、同じ世界で生きているということの安らぎと誇りが羨ましい。
「……」
――分かりました
 生ゴミのガスのようなにおいが自分の頭の奥から漂い始める。同じもの、同じ部屋、同じテンション。ひゅーいに消費した勇気と、行動した後悔。壁やテーブルはルールの破壊を欲している。コップも冷蔵庫の中身も洗面器も下着も、ルールが壊される瞬間を見たいのに、一向に私たちが何もしないから、相当不機嫌な様子で暗闇から私たちを見ている。
「ねぇ、ひゅーいさん」
「えっ」
「何がえなのよ」
 私は彼を育ててあげているような存在だと思う。ひゅーいの頬を両手で触れ、自分の手のひらについた涙を渡していく。ひゅーいは「あ」とだけ言って、頬が濡れていくことを知覚する。次第に眠くなると、私の感情に終わりがなくなってくる。暗闇に慣れると意識が冴え、手を離さない。彼の頬はとっくに乾いて熱いくらいなのに、まだ何か、まだできることがあると思って、いつの間にか布団の中でひゅーいの上に乗っている。べったり胴体を突き合わせて、きっとひゅーいは苦しいはずなのに動かない。真上から見るひゅーいの顔はよく見えずシーツに浮かぶ黒い島のよう。ひゅーいは時々寝言なのか、リアクションの声なのか分からない変な声を出す。えっと、ひゅーいは……。
 でもなんだかんだ言って嫌いじゃない。涙の分け応えのある冷たさと暗さを持つこの人は、私という存在を無意識に肯定しているのかもしれない。そろそろ眠りに入る直前という頃、私は自分でも気持ち悪いと思う程、優しい人になる。暗い性格に戻ったら全部お前の責任だと言ってやりたい怒りの向こうには、私を優しい人間にさせてくれる何かがある。



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