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MBTIは色眼鏡である

2/5:ちょっと加筆
2/9:ちょっと修正(世界人口)

楽しいし便利なんだけど、盲目的になってはいけないよねという記事です。
半分は自分への戒め。もう半分はMBTIに対するスタンスの表明。

MBTIは心理学がベースになってるので、理屈こねるには十分な理論があって、コンテンツもたくさんあって面白いです(心理学や精神医学と違って科学的な信憑性はないので、エンタメとして楽しむのがいいんじゃないかと思いますが)。

でも人間が16種類に分かれるかというと、そんなことはないんですよね。あくまで傾向なので、同じタイプでもかなり性格は違ったりします。
私はISTPですが、ESTPっぽいところ、ESFPっぽいところ、INTPっぽいところがちょっとずつあります。
ISTPの4文字と心理機能だけじゃ説明つかない部分だってあるわけです。

人の「タイプ」は正確にはわからない

この記事書くのちょっと怖かったんですよね。友達のことを「タイプ」というレッテルで見てしまうようにならないか不安で。
自分のことはよくわかるけど、他人のことなんて表面に出てくることしか分からないですし。人には言えないことや見せられない顔なんて、誰でも持ってるはずなので。

色々書いてますがそのタイプっぽいエピソードを抜き出しただけなので、実際はもっと人間としての厚みがあるんです。そんなに簡単じゃない。
判定・推定が間違ってることだって大いにあると思います。自分がどのタイプなのか迷ってる人、たくさんいますから。そんなもん他人が決められるわけがないのは当たり前の話で。

他人の「タイプ」に見える部分はその人が表に出してるほんの一側面。

「他人」にレッテルを貼ることの怖さ

「この人は○○だから…」と、相手ではなく表面的なカテゴリを見るのって楽なんです。深く考えなくていいから。
『○○』にはMBTIのタイプだけじゃなく、『陽キャ』『陰キャ』『天才』『馬鹿』『イケメン』『美人』『繊細』『鈍感』とか、色々入りますね。

そうやって相手をカテゴリ分けすれば、まあ表面的なコミュニケーションはうまくいくかもしれません。でも、仲良くなればなるほど、相手の表面を見るのって通用しないと思うんですよね。
仲良くなるというのは腹を割るということで、内面の付き合いになっていくから。レッテル貼られて嬉しい人なんてあんまりいないと思います。

表面に見えている部分以外にも、相手自身のことってたくさんあるんです。簡単な言葉で表せるほど人間は単純じゃない

フィクションのキャラクターは対比構造や類似性を作るために「らしい」言動を取ったりしますが、実際の人間はそんなことないです。
職場での自分、友達の前での自分、恋人の前での自分、家族の前での自分、一人のときの自分。この全てが一致している人は、そんなにいないはず。
どの自分も本物であって、多面性があるから「人間」だと、私は思うんです。

タイプに囚われて相手そのものを見れなくなってしまうのが怖いです。
シンプルに相手に対して失礼だし。

「自分」にレッテルを貼ることの怖さ

私はISTPの自認が固まるまで「HSS/HSPでは?」と思うほど外向的になったり内向的になったりしてました。人付き合いでも、しょーもないことでたくさん傷付きました(傷付けたこともあると思いますが)。他人の言動をいちいち気にして都合のいい人間になってました。

ISTPの自認になったときに「対人関係が苦手なんだ…」と思って割り切ったら、こういった悩みがなくなりました。外向内向についてはE/Iの中間、人付き合いについては劣等Fe、ということで説明がつきますから。

でも、外向的なときも内向的なときもあるっていう要素は何も変わらないんです。他人の言動だって、完全に気にならないわけじゃない。

それを「ISTP」というタイプ(もしくはMBTIの理屈)で納得して割り切ってしまうのは、違うと思うんです。
私が割り切ってしまった要素、本当は「愛着障害」かも。「循環気質」かも。「発達グレー」かも。(社会生活は送れているし対人関係の問題もないし今の自分に満足してるので受診する必要はないと思っていますが。)もしかしたら、私がまだ知らない何かかも。
16のタイプ分けだけで全ての事象についての説明がつくわけがないんです。
医療系の人間なのでついでに言うと、本当は精神科や心療内科の受診が必要な病気を抱えている人が、耳障りの良い言葉で納得し、受診を控えてしまうのも怖いです)

自認が固まった直後、「ISTP」のレッテルに囚われて「らしい」自分を無意識のうちに演じていたことがあります。
驚くことに、「HSS/HSPっぽい自分」「他人が気になる自分」を忘れていました。noteのスキ履歴を見て思い出したくらいです。びっくりしました。

前の記事で「開き直ったら楽になる」と書きましたが、自分のタイプ分析をするという行為はこのような怖さを孕んでいると思います。だから、分析しすぎるのも違うのかなと。

自分にレッテルを貼ることで本来の自分を見失うのが怖いです。
タイプでは表せない、自分自身の要素もたくさんあるはず。

とはいえ自己分析には便利なツール

MBTIの理屈は自己分析にはとても便利です。
過去の自分のやらかしが劣等機能で説明できたり、特技が優勢機能で説明できたり。劣等機能はこれから伸ばしたほうがいいところ、優勢機能は上手く活かせるところ、とハッキリ知れるのも人生の指標になります。
他人のタイプや自分との相性をMBTIの理屈で考察するのも楽しいです(私は人への見方が変わるのが怖いのであんまりやりませんが)。

でも、「タイプ」が自分や相手の全てを表しているわけではないんです。人間は80億通りいるので
誤解を恐れずに言うと、すべての学問・診断などの類型分けは、「色眼鏡」だと思うんです。世界は複雑で混沌としているので、人の頭で理解しやすくするために色々な理屈で「色眼鏡」を作って、分析しているんじゃないのかな、と。

生身の人間と接していないとこういうことは身に沁みて感じられないので、色々な人と関わることが大事なのかなと思います。
あとは、MBTIという「色眼鏡」だけじゃなくて、他の「色眼鏡」を知るのもいいのかな(それもあって今は精神科の薬物治療に興味があります)。

MBTIはあくまでツールのひとつなので、盲目的にならない程度に楽しみたいですね。

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