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男性の外見の美しさの基準

女性の見た目の美しさというのは割と意見は一致しやすい。
なんだかんだ言って、美人が嫌いな男はまずいないからだ。
むしろ美人を否定する理由が無いからと言えそうだ。
それは未成年からじいさんまでみんなそう。
とはいえ、女優などは完全に目の保養である。
北川景子や石原さとみが顔で表彰されてた記憶があるが、
じゃあこの2人を好きかと言えばそうでもない。
美人だという事は否定しないけど、
特別に惹かれるほどではない。

人によっては大ファンだという人もいると思う。
その人の好みも否定はしない。
かと言って「じゃ、俺も」とファンになる事も無い。
なんとか顔だとかナントカ系だとかで分類されてるが、
とりあえず美人を見ると得した気分になる。
その程度なものだ。
美人を嫌いな男がいないというのが正であっても、
不美人は男に嫌われるというのは誤りである。
結局は身近で気の合う人が一番いいのだ

彼氏や旦那さんが道ですれ違った美人を目で追っても、
焼き鳥屋やカレー屋の前でうまそうな香りを嗅いだ時に、
「あー!カレー食いてえなあ!」と思うのと同じで反射で見てるだけで、
それだけの意味しかないのですから。


これが男性についてとなるとなかなか基準が分からない。
ジャニーズ事務所のタレントが売れてるのはわかるが、
同性から見て好感が持てるのはTOKIOくらいじゃないだろうか。
それも顔というより土臭い仕事をやっているからだろう。
男同士だと顔が良くてもヒョロヒョロだと評価は高くはない。
やっぱり筋肉とか自分の出来ない事をできると言った、
実際に何ができるかという面を重視しがちだからと思う。

それに全然接点が無くても男同士で一人の女性を間に挟めば敵でしかない。
その女性が実はどちらにも興味が無くても意地を張りあうのが男の悲しい性ではなかろうか。

大分昔から「しょうゆ顔・ソース顔」などと分類されている。
最近では「縄文系・弥生系」といった表現も。
そもそもこれら顔に美醜を求めるのは、
その人の性格を最も表すのが顔だから本能的に選別するそうだ。
生まれつきの部分はともかく、30歳にもなるとその人の性格だけでなく、
生き方なども表情で読み取れるので、
美しいけど悪い人間の顔、のようなものがあるのは、
身近にパッと一人くらいいるのではないでしょうか。

少し脱線すると、人の相性は無い物ねだりの相性と言える
アフリカなど貧困にあえぐ国では、いかに太っているかが美の基準になる。
それだけ食べ物のある生活を送っている証拠だから。
また、倫理の授業で聞いたアンドロギュノスという考えは面白かった。
今パソコンで裏をとったらプラトンの思想の一つらしい。
大昔の人間は、今の人間が背中でくっついたあわせて8本の手足を持った、
アンドロギュノスという生き物だったと。
しかし神々に反抗するので真っ二つにされ、
一つのアンドロギュノスから2人の人間の男女に別れたそうな。
ゆえに元々一つだった片割れを探してアンドロギュノスになるために、
男女は背中のでこぼこがピッタリ合う相手を探すようになったと言う。

確かに。昔自分の腑抜けっぷりで大失恋をした時は、
背中がゴッソリえぐられたような喪失感があった。
プラトンも似たような経験があったのではなかろうか。


先日、なかなか無い体験をした。
街中を歩き回ってシャツが汗でビシャビシャになったので、
たまたますぐそこにあった紳士服店で安いシャツを買おうと思った。
たまたま夏物スーツの安売りだったそうで、
掘り出し物はないかなと思って眺めていたら、
いつの間にか店内の試着室にいた。
まあサイズを測ってもらうだけでいいかと試着をしていた。

こうもあっけなく試着までやってしまうのは理由があって、
とにかくサイズが無いのだ。
贅肉がついているのは否定のしようがない。
それプラス、松井秀喜級の大きな頭と、
水泳選手ばりのガッチリした肩幅。
こいつらのせいで服のサイズが全然無い。
あのお手軽なユニクロでさえも通販で3Lを買うしかない。
この紳士服店は地域の旗艦店舗だったようで、
Yシャツでも7Lという俺でも驚くサイズがあり、
スーツもまたサイズが沢山あったのだ。

サイズがデカイと布も沢山使う事もあり、値段も高くなる。
普通のMサイズの男性に比べると1万は乗ってくる。
みっともない話なのでこういう時はたいてい自虐ギャグを話す。
しかし褒めるのはセールストーク基本とはいえ、
やたらと「その肩幅がいいんじゃないですか」と、
初めて肩幅を褒められた。

世の中にはご奇特な方もいらっしゃるものだと感謝しつつ、
(とは言っても高いもんは高いからねえ…)と、
結論を先送りするという体で店を出る事にした。
念押しにあえて「じゃあ名刺もらっていいですか?」と、
もう一芝居打って、「買いたいけど今日じゃない」をアピールした。
もらった名刺を見ると、名前が全部カタカナですごく長い名前で、どこの国か想像もつかない名前の人だった。

「あれ?日本人じゃなかったんですね!どちらの方なんです?」と聞くと、
モンゴル人だった。言葉になまりなども感じなかったので、「日本生まれですか?」と聞くと、「10年前に来たんですよ」との事。

今モンゴルと言えば両横綱を筆頭とする相撲の力士が有名だろう。
チンギス・ハーンより白鵬や鶴竜の方が知名度は上なのではないだろうか。
「ああ~。白鵬とか活躍してますもんねえ」と言えば、
「そうなんですよ。体が大きくないとモンゴル人らしくないですから」

なるほど。モンゴル基準で褒められていたのか
他のなにかを褒められる事はあったけど肩幅は初だったからな。
モンゴルでもモンゴル相撲は人気がある。
だからこそスカウトにも行くわけだ。
白鵬のお父さんはその世界のレジェンドらしいし。

肌の色や太っている・痩せているというのが基準になる国々があるのは知っていたが、モンゴルの肩幅事情はさすがに知らなかった。

モンゴルに移住すべきか、
夏場所も始まりましたし今から相撲部屋に入るべきか。
少し悩ましいものである。


#エッセイ #日記 #肩幅 #モンゴル #美の巨人たち #のが多すぎるタイトル


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