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倹約生活

以前家族がスーパーに勤務していた時、
啓蟄の頃に温かい日が増えると、
「虫もだけどじいさんばあさんがドッと増える」と、
冗談めかして言っていた。
寒さというのは年齢を重ねるごとにこたえるらしい。
なので、温かい日は大入りを想定して品出しをするそうだ。

楽しくたくましく買い物をするお年寄りはタフだ。
そこいらの中年よりもバイタリティがある人もいる。
しかし、スーパーにいるお年寄りの全員が買い物をしているわけではない。

昨夜22時頃、帰宅途中に近所のスーパーへ寄ったら、
まばらな客の中にベンチに座っているお婆さんがいた。
スーパーに入って買い物を済ませてもずっとそこに座っていた。
気になってチラッと見るとビニール袋を3つ持っていたがシワシワだ。
これはスーパーで買ったものではなく、持ち込んだビニール袋だろう。
見た目は白髪が天然パーマに任せるままに伸びていて、
痩せていたので畑仕事をする健康体には見えなかった。
増してやスーパーのパートの上がりだとも思えない。
おそらく、明るい時間からずっとそこにいたのではないだろうか。

どこかに出かけると運賃や飲食で出費がある。
では家にこもっていれば良いのだが、
それはヒマだし孤独なものだ。
さらに、今年は梅雨冷えでまだそこまで需要はないものの、
夏の暑さにはエアコン無しでは過ごせない世の中になっている。
根性がどうとか以前に命に関わる気温がまたやってくるだろう。
そういう場合にお金を節約するには、
スーパーのような不特定多数の人のために空調が効いた設備に行くと良い。
我々もお盆や正月に帰省をすると水道光熱費が安かったりしますよね。

いつも決まって集まるお年寄り達はこういった冷暖房や、
人波がある空間で認識されることを考えて通っているのではないか。

昨日のお婆さんがどんな人かはわからない。
苦労苦労でスーパーで時間を潰すしかない人かもしれないし、
もしかしたら多額の資産は持ってるけどなんとなくいただけかも知れない。
いずれにしても夜中のスーパーに一人でいるのは可愛そうに感じた。

一昔前は、お年玉の出どころは6つのポケットがあると言われていた。
両親で2つ。その両親、つまり祖父母で4つ。
ここから5000円が均一に出た場合、3万円は確保できるという話だった。
お年玉に限らず、進学進級のお祝いや誕生日など、
特に祖父母の4つのポケットはフル回転していた事だろう。
少なくとも平成の初め頃はこのイメージで間違いなかった。

ちびまる子ちゃんの友蔵を思い浮かべて欲しい。
ギャグ漫画なので失敗や勘違いをよくするが、
お小遣いをあげるシーンに特に違和感は感じなかったと思う。

しかし現状は厳しいようだ。
全員が全員というわけではないが、日々の生活で精一杯の人が増えた。
そしてこれから10年ほどでその数が激増する。
孫に小遣いどころか、子から支援を受けなければ生活が厳しい層が増え、
支援をする現役世代にも限界がある。
もう6ポケットというのは機能せず、むしろ穴が空いたポケットなのかもしれない。一体何パーセントの人が、トップ画像のように孫をニコニコして囲めるのだろうか。

「政治の失敗」と言えば簡単だし責任も丸投げできるが、
失敗する方向性を打ち出した政治家を選んだのは我々である。
それに我々一般人の働き方や結婚観の変化も大きく関わっている。

とはいえ今更悔いても仕方がない。むしろ待ったなしだ。
身近な打開策を民間なら民間なりに、個人なら個人なりに考え実行せねば、
一部の人ではなく一般的な常識として、貯金のための倹約ではなく、倹約せねば生きられない人だらけの未来になりうる。
その生活は、生きていて楽しいのだろうか。喜びはあるのだろうか。

お金の話となると、ただ配るだけでは片付かないので割愛するが、
せめて、老いても居場所や娯楽に触れる機会がもっと増えるように、
横のつながりを深めたり休日の公的機関の敷地の開放などを増やす事ができないだろうかと思う。
また、一旗揚げるにはビジネスチャンスとも言える。
医療や介護は言うまでもなく必要だが、
介護されるまでには至らない独居もしくは困窮した老人に生きがいを提供するサービスも必要ではないだろうか。要介護度が低くて老人ホームに入れず、されど生活に不自由している人は沢山いる。その層を顧客にするなり従業員にするなりは知恵次第だが、ほんの少しだけマシな世の中になるのではないかと、具体的な策は無いながらもぼんやり思うのである。


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