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大人食い

フォローしてる磯貝剛さんの記事と、
今日たまたまスーパーで買い物しながら考えてた事がリンク(かぶった)したので、「書くタイミング」というヤツだろうと思い表題について述べてみようと思う。

大人食い。
それは大人買いとは微妙に違う、
大人だからできるけどセコさもある贅沢の事である。
大人買いはそれ相応の出費がつきまとう事も多い。
大人の経済力で運任せの食玩などレアなものをまとめてケース単位で購入するから、うっかり勢いでやるとその月の遊興費が寂しい事になる。
聞いたことのある話では、一口500円~800円くらいの「一番くじ」を発売と同時に全部購入したというものがある。これならば一等はもちろん、特等扱いのラストワン賞なども全て入手できる。

大人食いの場合は経済力にモノを言わせるものとは一線を画す。
むしろマナーや他人の目などから開放されて、むしろ子供っぽい願望をささやかに叶えるものだ。皆で分けたり一人ひとつだけにするのが常識的なモノを独り占めする事にドキドキ感と達成感がある所が魅力なのだ。

自分が経験したものだと、
・レディーボーデンを直に一人で食べる
・ビエネッタを切り分けずに一人で食べる
・ファミリーチーズ(500gくらいの棒状)をかじって食べる

あたりが記憶に鮮明に残っている。
お菓子やご飯を一人で全部食べるのは一人暮らしならいわば当たり前なので、何かしらやっていたとしても印象に残りにくいのだと思う。
その点、お祝いの席や人が沢山集まる時に食べるアイスなどは夢がある。
しかも大抵の場合、コストも1000円以内に収まるのでお得だしセコいのだ。

先に感想を述べておくと、レディーボーデンはオススメ。ビエネッタはイマイチ。ファミリーチーズはチーズ好きにならオススメだと思う。


これをやりたくなるのは子供の頃にやってしまうと親に間違いなく怒られるけども、もっと自由に食べてみたい!もう一口だけ!という思いを成仏させるためだ。ゆえにそう何回もレディーボーデンを一人で食べ尽くす人は少ないはずだ。心残りを昇華させるための大人になる儀式と、あえて大袈裟に主張したい。

ひと目を気にせず好きなことをやるのは一人暮らしの醍醐味だ。
それのためだけに通学圏内に実家があってもアパートを借りる学生もいるくらいだし。
その生活の中で同世代の仲間と様々な経験を積んで成長もする。食費は苦しくなるがそれも経験。近場の一人暮らしも悪くないのかもしれないな。
こういう成長を王道だとするならば、大人食いは邪道とまでは言わないが寄り道の類いなのは間違いない。だがしょうもない経験も視野の広さに貢献すると個人的には信じているので、世間に「くっだらねー!」と笑われる事も捨てたもんじゃないのである。ある企業に入った時の自己紹介で「面白く自己紹介を」とあったので「勘亭鯛丸です。一昨日、秋葉原でひざ枕耳かきの店に行ってきました」と話した所、顔は一発で覚えられて、名前が出なくても「えーっと、ひざ枕の!」と、溶け込むのがラクだった。

大人食いに話を戻そう。
食べるモノはレディーボーデンに限定する必要もなければ、
もっと高いものをモリモリ食べてもいいと思う。
逆にチロルチョコをゲップが出るまで食っても良さそう。
必要なのは成仏させること。
思いを遺したヒトや動物が化けて出ると昔から言われる。
いわば依存症のような怪物になる前に、一人でニンマリしながらやりたいことをやっておくのが良いと思うのだ。

良かったものは割愛して、ビエネッタについて述べたい。
ビエネッタはスーパーで気軽に買えるアイスケーキとして有名だ。
特にチョコレートがミルフィーユ状になりパリパリとしている食感は人気の要因だと思う。
誕生日などハレの日に食べる事の多いビエネッタを一人で食べるというだけで、背徳感と期待とでウキウキしていた。
今どうなのかまでは分からないが、18歳の自分が買ってきたビエネッタは、
幼少の記憶そのままの美味さであった。

しかし、どこか空回りしている感じがする。
レディーボーデンをスプーン一本で掘り尽くした達成感が感じられない。

あるのは満腹感と、どこか失敗したような寂しさのようなもの。
孤独ゆえの寂しさではなく、親友に言うべきではない事を言って傷つけた時のような後味の悪さのようなもの。「そんなつもりじゃなかったけどやっちまったなあ…」という感覚。

レディーボーデンと同じ立ち位置にいるアイスなのに差が気になったので、
友人に「一人でビエネッタを食べた後に罪悪感のようなものを感じた」と話してみたところ、「おお、それは分かるわあ」と、複数の友人から同意を得た。自分だけではなかった安堵感と皆が揃って後味の悪さを感じている事への疑問がずっと続いて今日まで分析せずに至った。

特に心理学や統計学を学んだわけでもない個人的な見解なのだが、
アイスの中で特別なポジションであるのは同じでも、役割が違うからではないかというのが、先程考えついた結論だ。

レディーボーデンは子供からすると普段より高級で無尽蔵にあるようなアイスである。これは狩りをした動物の肉を分け与えて家族全員が食の喜びのもと団結するためのものに近しい。

対してビエネッタは、量はもちろん一人前より多いのだが、チョコやクリームの造形美も子供ながらに響いているのだと思う。レディーボーデンを取り分ける円くて大きなアイスクリームスプーンでグチャグチャにする人はいないだろう。いわば、茶道の抹茶や茶菓子のように、食の場を華やかな特別な舞台に演出する意味で特別な存在なアイスなのではないだろうか。
狩りに例えたレディーボーデンが男性的な、実用性と必然性に魅力がある存在だとするならば、ビエネッタは、切り分けた時に力を入れすぎると儚く砕け、バランスが崩れる事で美しさが損なわれると自責の念に駆られてしまう恋人のような存在だと言えよう。そんな上品な恋人がいた記憶はないが。

ゆえに、男性視点になるが、ビエネッタの大人食いの後味の悪さは、
好きな女の子をからかったつもりが本気で泣かせてしまった時のマヌケな男の心境そのものなのだと結論づけたい。


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