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ヘルプマークの件を整理しておきたい (2)私の反応/新曲を読む/失態の原因

前回、椎名林檎は『百薬の長』グッズ制作に関わっていたと判断するまでの経緯をまとめた。
「間違ったことをしたけど謝らず、立場の弱い者に罪を着せて逃げた」
簡単に言うとこれが私の結論だ。こうやって書くとほんと最低だ。秘書を身代わりにする政治家と同じ。

今回はヘルプマーク酷似グッズに焦点を絞り、赤十字や大塚製薬、ファイザーへの権利侵害の件は脇に置くことにする。体の弱い人達に強い不安を与えた、生活を脅かした、その点に強い憤りを感じ、その嫌悪感を引きずっているからだ。

ヘルプマークに似せた意図を(一応)考える

謝罪してもしなくても、どちらにせよ非難は避けられなかっただろう。それでも長い目で見れば正直に事情を説明し謝罪する方がマシだった。誠意をきちんと示せば、幻滅した人達の多くも最後は許してくれたと思う。

もしかしたら何か願いがあったのかもしれない。「これをきっかけにヘルプマークの認知度を高められたら」とか、逆に「ヘルプマークなんて付けなくても自然と助け合える社会であってほしいからわざとマークを無効化するものを作って問題提起したかった」とか。
それが結果的に間違いでひどく責められ笑われるとしても、何か自分なりの考えがあったのなら説明すべきだった。いや、してほしかった。ファンの為にも。無いなら無いで正直に、そこまで考えが及ばなかった、軽率だった、と。

同じ古参ファンの相方とは「意図なんてない。単にアイデアとして気に入っただけ。そこまで深く考えず軽いノリでGOしたんだろう」という見解で一致した。
マニア向けのリミックスアルバムだし、ユニバーサル限定の小規模なものだから、そんなに広がらないだろうし、そこまで気にしなくて大丈夫でしょう、自由にやればって、軽く考えていたんだろうと。椎名林檎も木村豊(デザイナー)も大物だから周りも口出ししにくく、同じ理由でまぁこれはいいかと法務部もまともな仕事をしなかった。
ネット社会の拡散力と浄化圧を侮った結果の失態、そんなとこだろう。

とはいえ真相はやぶの中。自分含め一部ファンがモヤモヤし続けているのは、結局どんな意図があったのか真相が分からないまま終わったからだろう。間違いは許せるが、ダンマリを決め込み人のせいにして逃げるようなマネをされては、許せるものも許せない。

この"逃げた"という間違いも許せということか?うーん… 間違いは入れ子になると許す難易度が途端に上がる…。"人間だもの"にも限度がある。

NHK「SONGS」2019.6

知性とは優しさであると私は思っています。

Wedge 2023.1 椎名林檎インタビュー

あなたあのときヘルプマーク利用者に、ファンに、愛、ありましたか?利用者のファンだっているんですよ?彼らに優しかったですか?知性、正常に機能していましたか?

「そこまで言うならもう聴かなきゃいいんじゃない?ファンやめたら?」

当時、私のように非難の声を上げるファンに対しこういうリプライを飛ばす人が散見された。彼らも同じファンだった。
まぁ仰る通りではあるが、ファンというのは入口が違えば出口も違う。
私もファンになったのが20や30を超えてからなら後腐れなくスパッとお別れできたかもしれない。でも私が椎名林檎にハマったのは13歳という人格形成途中の多感な時期だ。
誰かが言った、10代のころ好きになったものは一生、に私は深い共感がある。他に好きなものに対しても、その祝福(或いは呪い)を度々実感する。13歳から20年以上も付き合ってるものなんて、自分のアイデンティティーの一部になっていて、歳月に比例し奥深くまで根を下ろしている。そう簡単には引き剝がせない。

気持ち悪い表現にはなるが、"家族"みたいな感覚なのだ。林檎は例えるならなんだろう、ノリが合うから話してて楽しくて、かっこよくて頼りがいがあって尊敬してる姉、というところか。そんな仲の良い姉が本件のような失態を犯してしまったからといって「サイテー。んじゃさいなら。」と簡単に縁を切れるものではない。

ファンをやめなかった理由はそれだけではない。正直、非当事者だから、というのも大きいと思う。私と私の大事な人達は実害を受けてはいない。マークを利用しているファンが失望し離れたのをネットでいくつか見かけたが、彼らと同じ温度にはなれなかった。ひどい過ちではあるが、私には20年以上の付き合いを断ち切るほどのインパクトには結局ならなかった。

騒動後の新曲『私は猫の目/さらば純情』を聴く(2023.5)

このシングルは25周年目のデビュー日近くに、近年の林檎には珍しく何のタイアップも無いのにわざわざフィジカルでもリリースした、という特徴がある。力が入っている。『私は猫の目』というタイトルからも、椎名林檎の改めましての自己紹介であり、スタンスを示す”声明”だろうと予想した。

ソースを失念したが、林檎はわりと最近、2020年以降に「私は音楽で想いを広く伝えられる貴重な機会に恵まれているので、想いはすべて歌に込めます(だから余計なお喋りはしない)」という旨の発言をし、その前後でファンクラブ内の日記(日々のコヱ)で心情を長文で綴ることが無くなった。そういう美学があるから騒動の際も何も言わなかったのかもしれない。

これが念頭にあったので、満を持しての新曲にはダンマリ期間に溜まった想いも含まれているのだろうと当然身構える。いざ聴いてみると、詞の端々に引っ掛かりを覚えた。

- 鵜の目鷹の目で網の目 洒落臭え 尚 詰んでジエンド?
腹の虫が治まんねぇ 溜めに溜めた呪いの念
手目が上がるぜ意趣返し 今ここで会ったが百年目

- 煩えど本業を飽くまでも遣り上げ続けましょう
ご尤も人の噂などたった二ヶ月半

-さあ世間は百面相か将又のっぺらぼうかと嗤うが 私は猫の目

『私は猫の目』

なにか鋭い目つきで探られて鬱陶しかったらしい。大変お怒りのようだが、腹の虫が治まらず呪いを溜め込んでるのはこちらである。意趣返し(仕返し)される筋合いなどない。
なにか本業に差し障るほど"煩わしいこと"があったらしい。二ヶ月半で忘れてほしいようだ。ずーっと覚えているつもりだが。
最後の一文はこうか「一貫性や整合性など求めないで。追及しないで。私は元来移り気でいい加減な人間なんですよ。」これが最後の決め台詞。堂々たる開き直りである。

- やり直したくても留まっていたくても 往々覆水盆に返らず
先生善意はいつか汲み合えるって ねえ額面通りほんとですか
この世でたったひとりに誓う貞操さえほぼ蔑ろみたいでした

-先生もっと前に説いて欲しかったです 突然今更遅いでしょう
尽くした結果報われる言い伝えはファンタジー

- 信じていました 真っ直ぐにきっと受け取ってもらえるはずと

-汚させるもんか 本心はずっと大好きでした

『さらば純情』

センチメンタルな2曲目。開き直ってはみたものの、反面でクヨクヨと後悔していることがあるようだ。善意、貞操、尽くした、信じていた、汚させない…。泣き言を並べながらも"ピュアで健気な私"をそれとなくアピールし、泣き落としにかかっている。それがこの歌全体を通した印象だ。
信じて頑張っていたけど届かなかった徒労感もお抱えのようで、うっすら被害者意識も読み取れる。なにか林檎が被害者側になる事件がこの数か月であっただろうか?受け取れるような真意があったとは思えないし、汚させるもんかって、汚されたのはこちらの想いである。

正直、呆れた。押し黙って溜め込んだ言葉は、自己弁護・自己正当化の言葉だったらしい。コロナ禍初期の混乱の中ライブを強行し非難されたことへの言及、"サンドバッグ"を思い出す。

――もう少し早く入国規制をやっていたら違ったかもしれないし。

S:チキショー、その契機を考えると本当に腹が立つ!

――ありますよね(笑)。

S:サンドバッグも経験しましたし(笑)。

FIGARO -「世界が腐っていてもハッピーに」椎名林檎の境地。2021.6

サンドバッグにされた、つまり不当に責め立てられた(私は何も悪いことしてないのに)という認識。本件もこれと同様の認識なのかと疑ってしまう歌詞だ。またいつもみたいに悪者扱いされちゃった、と。こちらは皆「これはいつものとは違うよ…」と思っているのだが。

結論に書き足そう。
「間違ったことをしたけど謝らず、立場の弱い者に罪を着せて逃げたあと、開き直り、泣き落としにかかった」

椎名林檎は間違ったことはしたとしても、かっこ悪いことはしない人だと思っていた。ちょっと美化しすぎていたなと今は反省してる。
本件で明らかになった椎名林檎のかっこ悪いところは「間違いを犯しても間違いと認めず謝れない人である」ことだ。

もちろんこれは私の勝手な解釈でしかない。本件への言及とも、そうでないとも取れる内容だろう。そこが、ズルい。
"想いは歌に"の美学があるのかもしれないが、社会が、ファンが本件で求めたのは、想いではなく説明なのだ。こういう場合に、言及とも取れる内容を歌の言葉でぼかして、両義性を持たせて作品に混ぜ込むのは、違うんじゃないですか?歌をそういう風に使うのは。自分で自分の仕事を汚してないですか?
本件に関して何か言いたいことがあるなら、誰にでも分かる口語で、歌でなく喋りで、ごまかさず、断定的表現で、説明を、聞かせてください。

2019年ごろ余生モードに切り替えた

――コロナ禍に入って、林檎さんは落ち込んだことはありましたか?

S:ないですよ。もう全然違うんだから、なつみさんに初めてお目にかかった頃とは、まるで別人のようにいまは本当にふてぶてしいオバサン(笑)。我ながらずうずうしさにびっくりする。(『三毒史』で)書くものを書いたら、「あぁ、終わった終わった」って、私も棺桶に片足を突っ込んでいるような気持ちになって、あとは人生余り分と思っているんです。

――では、アーティスト椎名林檎としては、これからどう生きていく感じで?

S:もう本当、オバサンとして在るしかない。むしろ無事オバサンになれたっていうのがすごい。満足です。
(中略)
――そんな。では、オバサンである三カ条をあげるとしたら?

S:何もかもが気にならない!自分も!他人も!世界も!これで三カ条ですかね。最強です、いつ死んでもいいし、もう何でも幸せ。

FIGARO -「世界が腐っていてもハッピーに」椎名林檎の境地。2021.6

久々に読んだけどやっぱり笑っちゃう。終始ふてぶてしい『私は猫の目』も正式な「オバサン宣言」に思えてくる。

『目抜き通り』『獣ゆく細道』を書いて作家としての目標は達成できたという話は方々で語っていた。2019年ごろ余生モードになり、作家人生への熱意は落ち着き、良くも悪くも肩の力が抜けた人になったようだ。

それでも翌2020年は事変再生イヤー。閏年にキレイに物語を終わらせよう、もうひと踏ん張りだと意気込んだ、その矢先のコロナ禍で、"語呂合わせ"も台無しになる。翌年も、その翌年もマスク不要の正常なライブは実現できなかった。間延びも甚だしい。ストーリーテラー・椎名林檎が丁寧に積み上げてきた物語はボロボロになった。

これに打ちのめされ、いよいよモチベーション(自分への厳しさ)を維持するのが難しくなったんだろう。ファンなら感じると思うが、最近の曲はどれも新奇性が薄く、過去作の焼き直しに聴こえ、手癖だけでやってる印象さえ受ける。

肩がゆるめば気もゆるむ。本件の失態も、余生モードの気のゆるみからうっかり起きたものに思える。元々軽率なところのある人なので、自分を律す厳しさを保てなくなると、ついうっかり間抜けな失態を犯してしまうのだと思う。

-素面のままで静かに生きる
-私は今日も合法でキまれんの

『静かなる逆襲』2014.11

10年間酒気帯びせずとも素面の状態でガンギマリ

東京事変の花金ナイト「アジトなう。」2021.6

飲まなきゃやってられないですよね?

実際に会場で聞いた、"諸行無常"ツアーでのMC。酒瓶を持ちながら。2023.5

素面でキめ続けてきた林檎も、今や酒(百薬の長)に頼り、だましだまし過ごす日々らしい。(酒気帯びの図々しいおばさんの醜態とまじめに向き合ってると思ったら若干アホらしくなってきた…)

"諸行無常"オフィシャル・ライブレポートより

これで終わりではないと思う。林檎がまた作家としての大きな目標でも得ない限りはあちこちゆるみっぱなしなので、定期的に似たような幻滅珍事は繰り返されるだろう。ファンは覚悟しておく必要がある。

ここまで非難しておきながら、私は椎名林檎を聴き続けようとしている。"闇落ち古参"とラベリングされてしまいそうだが、私はいたってすこやか、平常運転である。

便宜上"ファン(fanatic)"を使うが、私は信者ではないし、なるつもりもない。全肯定・全受容は乱暴な自己愛でしかない上、対象を腐らせる、と考える。一定の距離を保ち、適宜、賞賛もすれば非難もする、それが健全なファン、愛好家の姿ではないか。

思いのほか長くなってしまったので、「ではそんな林檎と今後どう付き合っていくのか?」の決着編はさらに次回に譲ることにする。

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