"じぶんの健康を定める"


皆さま、こんばんは。めぐです。

今日は舞台「エアスイミング」から直接は外れるのですが、
最近つよく書き記しておきたいと思っていることをコラムとして書きます。

日頃から考え続けていることですが、書くきっかけとなったのは「つい先日受け取ったものすごく熱い思いのパス」です。

これは何より「表現をすること」ととても深く結びついているので、今これまでの人生でいちばん大きなチャンスの渦中にいる自分のためにも分かりやすく記しておく必要があります。

テーマはずばり。



この奥が深いテーマについて私は何度でも考えなくてはなりません。
なぜなら文字通り「いのちに関わることだから」です。

といっても、私は病をして瀕死の状態にある訳ではないし、何らかの理由でいのちの期限が間近に差し迫っているわけではありません。

しかし、たとえ今支障なく生きられているとしても、自分に与えられたこの「いのち」と一瞬一瞬向き合って生きざるを得ない毎日を送っているのを、私は日々感じています。

それは決して大げさな感覚ではなくて、「どう生きたいか?」を自分自身という「いのち」に絶えず聴き、そのために「どうありたいか?」を意識して生きていれば当たり前の感覚なのではないか、と最近思うようになりました。




皆さんは「健康」って何のことか、一体何のことを言っているのか、
真剣に考えたことはありますか?
私は、今の今までありませんでした。

もっといえば、それが一人一人にとって違う意味合いを持っていて、なぜなら皆異なる「いのち」を生きているからで、だから自分にとっての「健康」を分かり意識してそこへ向かっていくことが大事なのだ、と実感したことが一度もありませんでした。

私は数年前からアトピー症状と付き合って生きています。
アトピーだからだめだという意味では決してありませんが、今まで一切「健康」を気にしたことのなかった私が初めて経験した、「健康を損なったのだ」と実感した出来事でした。
皮膚の症状、そして食べられるものが極端に少なくなりました。

ちょうど一年前に自分のブログでこんな記事も書いています。
これはブログというものをマイペースにやってきてトータル8年程経ちますが、今までいちばん多くの方から反響がありましたので良かったら是非お読み下さい。

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アトピーのこと
アトピーの自分を認めるまでのこと
アトピーに対する考え方の変化と向き合い方について

自然療法のこと
わたしが良くなるために選んだ具体的な方法と結果について
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これらの内容は、アトピーになってからそれまでに感じ得なかった苦しいことが多々あり、その中で得た気づき/発見/進歩を簡潔にまとめたものです。

夜も寝れないほど傷口に塩をすり込まれ続けているような「身体的な痛み/痒み」があることはもちろんつらかったですが、まとめる中で気づいたのは、自分にとって「精神的な痛み」のほうが大きいということでした。

俳優なのにアトピーがあっていいのか。
女性なのに肌が荒れていてみっともないとか、生活習慣が悪くだらしないと周りから判断されるんじゃないか。
化粧しなくてはいけない時に化粧ができない。
皆が美味しそうに食べても何ともないものを食べられない私はものすごく損をしている。

などの、「自分の中で作り上げた自分への苦しい偏見」に伴う精神的な苦痛です。
それを作り上げている自分の心がいちばん痛かったのです。

それをどうにか乗り越えたいと切に願っていて、書くにあたっては読む人にどう思われるかと様々な不安がありましたが、書くことで簡潔・明瞭になること、導ける未来があると感じ、思い切って書きました。

自分はこの発見と学びを経て、生活習慣や食生活を見直し、生まれ変わることができると思いました。


ところが、実際のところは、とても曖昧だったのです。

「健康」に気をつけなくちゃ、というぼやぼやしたイメージだけがあって、そもそも「健康」とは何なのか?
を真剣に分かろうとはしていませんでした。

言い換えれば、自分にとっての「健康」を明確にし意識するのではなく何となく「健康」になろうとしていたため、この後に世の中に大量に溢れる「健康」にまつわる情報の中で闇雲に右往左往してしまい、方向性を見失ってしまったのです。

もう何が正しいのか、何を信じるべきなのか何も分からない。
どうしたらいいのか分からず途方に暮れるようになりました。

そんな状態が半年ほどつづいて、つい先日、
「自分の体の良い状態を感じ、それを信じる。健康は、そこにある」と気づくきっかけがありました。




ここからが冒頭に記した「つい先日受け取ったものすごく熱い思いのパス」に繋がります。
具体的に二つあります。


一つ目のきっかけは、稲葉俊郎さん、という東京大学医学部付属病院の先生の「いのちを呼びさますもの」(KTC中央出版)という本の中の言葉です。

どきっとするような真っ赤で、手触りの美しい表紙の本です。
お気に入りの本屋さん(千駄木の往来堂書店)で見つけました。

ちなみにこの本を買った理由は、
序章に、
 すぐれた芸術は医療である
とあり、どういうこと?とつよく惹かれたからです。

また第三章「医療と芸術」の、
医療と芸術の接点/「病気」を考えるか、「健康」を考えるか
という小見出しにも興味をそそられました。

立ち読みでぱらぱらめくっていると、稲葉さんは東大病院のお医者さんですが、西洋医学だけではなく伝統医療、民間医療に広く通じていて、伝統芸能、芸術、民俗学、農業などさまざまなジャンルにおいて医療との接点を探る対話をされているとのことです。
実際にご自身が能をやっているそうです。

芸術に触れてきて「物語」の力を知っているからこそ患者さん一人一人にはそれぞれの物語があることを自覚できる、だから表面上ではない対話をし、本質的に/全体的にその人を「診る」ことができる、といった内容の文章がありました。

あらゆる「ボーダー」を超えて行ったり来たりしている人を好きになってしまうので、この方の綴るこころ、いのち、たましい、からだの本、これはとても面白そう!となったわけです。

それで、きっかけの言葉は何かですが、

ほんとうは全体の流れの中でお読みいただくのがいちばん良いと思うのですが、ここでは一部のみ抜粋させていただきます。

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「伝統医療では、「健康」という状態を個人が決めて、その方向へ向かって歩んでいくことが大事だ。だからこそ「健康」とはそれぞれの生き方次第で変わり得るものであって、正解はない。(中略)

それは誰かに与えられて決められるものではなく、自分自身が決めるものなのだ。不自由になるためではなく、自由になるために。(中略)

それぞれが与えられた体や心の奥深くに息づいている「いのちの力」も含め、本来の自分自身のルーツからずれないように、バランスを取り続けながら生きていくことが、それぞれの「健康」を考える時に重要なのだ。

「健康」とは、何かしらの答えとして存在しているのではなく、自分自身の体、心、魂、命と対話し続けるための「問い」として存在しているのだから。」

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これを読んではっとしたのは、今まで自分の念頭にあった「健康」に定義らしい定義はなく、沢山の誰かにとっての「健康」が私の中に混乱しながら存在している、と気がついたからです。

私の中から生まれ出た、個人的な「健康」「いのち」の定義ではなかったのです。

「健康」も「いのち」も、あまりに当たり前にある言葉すぎて、あまりに沢山の人達が使っている言葉でありすぎて、誰のものか分からなくなっている言葉を、私は自分のものにすり替えていました。

「健康になりたい」と思うとき、多くの人にとってそれは漠然としているのではないでしょうか。

自分にとっての「健康」はなにか=具体的にどうなりたいのかを定めずして、「健康」を意識できる訳はないので、おのずと「健康」になれるはずもない、ということになります。

でも私は、それに気づいていなかった。
「いのち」も然りです。

これまでに痛みを伴ってきたとしても、私はもう一度、より深くはっきりと、個人的なものとして捉え直さなくてはいけなかったのです。

誰かにとっての「健康」ではなく、
誰かにとっての「いのち」でもない。

自分の「健康」であり、
自分の「いのち」である。

そのことを思って、その存在を感じて、息づかいを聴いて、耳を傾け、目指すところを思い描き、そこを意識していなければいけないのだと、痛烈に感じたのです。

ついこの前までの私みたいに、
なんとなく「健康」を思い浮かべて、
なんとなく「健康」をめざしている人は多いはずです。

辛辣ですが、例えば私にとってのアトピーのように健康を崩す痛みを経験した人でも、そういう人は多いのではないかと思います。

人は慣れの生き物だから、ちょっと良くなればなあなあになってしまうことが多々あるし、がんばってるつもりなのに日々変化を続ける自分自身の体を全体として「捉える」ことができず、うまく寄り添えない。

そんな中で、次から次へとコロコロ変わって溢れでてくる情報の海の中で灯台を見失うことは、仕方ないのかもしれません。

でも、困難だからこそ、明確に意思を持たなくては。
そのもとで意識をしなければ、灯台が見えない。


これが私のスタートです。
ここから始めなくては「健康」は永遠に訪れない。

誰かのいう「健康」に惑わされ、世の中にあまた溢れる「健康」情報の中を四六時中さまよいつづけ、一体何が良いのか、どうしたら良いのか分からずに永久に迷路をさまよいつづけてはいけないと思いました。

そうならないためには、誰かにとっての「健康」ではなく、世間にとっての「健康」でもなく、自分にとっての「健康」を、自分が決める。
そこを目指して活動していくのだ、とようやく気づいたのです。





二つ目は、新しく通い始めた漢方医の先生の言葉です。

母に紹介されて行った漢方外来で、若くて(といっても私より年上ですが)女の先生で、言葉の力がものすごくみなぎっているお話し方をする方で、30分以上じっくりお話ができました。

お医者さんでおそらく稀ですよね、そんなに話せること。
一人一人の症状に表面だけじゃなくちゃんと向き合ってくれているんだ、と思いました。

この言葉を真剣に伝えてくれるこの先生が目の前にいて私は嬉しい、
そう思った言葉を紹介します。
それは、


「良くなるためには、自分自身の良い状態をちゃんと感じられる力を持つ体を創るということです。」


というものです。

わあ、そうだ。

稲葉さんの本の言葉がずっと私の体内の宇宙で巡っていた毎日だったので、この先生の言葉はストン、と体のまん中に落ちてきました。


自分のベストな状態=健康な状態を感じることができない体では「健康」を目指すことなどできるはずがない、ということです。
目指すものがなにか本人がわかっていないのだから、目指せるわけがない。

そりゃそうだ、と軽く殴られた気持ちでした。

悪い状態ではなく、良い状態をちゃんと感じる。
良い状態に照準を合わせる。
そう思うと、目的、行動がうまれる。
それには決意と勇気とが要りますから、そういうことならやはり必要な事なのだと思います。

自分のいちばん良い状態というのは、自分にしか感じられません。
世間に溢れているさまざまな「健康」の指針では図りようのない、日々刻々と変化する自分自身の微細で大胆な「いのち」のことだからです。

あらゆるものに影響を受け、あらゆるものの「あいだ」を生きる人間の「いのち」。

一瞬一瞬揺れながら存在し、脆く繊細で変化しつづける力強い「いのち」。

その中でまたと同じものの存在しない私に割り当てられている「いのち」を、私はしっかり感じられているのだろうか。

自分に与えられている「いのち」をまっとうしていくために、まず、自分の「いのち」のいちばん良い状態を感じることができているのだろうか。


じつは、こたえは「Yes」なのです。

私は、じぶんの「いのち」のいちばん良い状態を知っていると思います。
年ごと、季節ごと、日ごと、毎瞬ごと、変わり続ける心と体をを通して、アトピーの状態や食べ物を通して、何が自分のベストかを知る事ができたからです。
そういう意味では必要な困難でした。

ただ、ものすごく一過性のもので、その感覚を自分の中にしっかり根付かせて舵取りの指針にすることは、できていませんでした。
やっぱり根本からは捉えきれていなかったのだと思います。


そして、自分が「いのち」を使って生きる上でやっていきたいことをやっていくのに切っても切り離せない存在であることを、少しだけ知っています。

まだやり尽くしたどころか、その第一歩を今踏んでいる最中なので、これからもっと「表現者として」深く、つよく感じていくことだろうと思います。

自分の良い状態を感じられる体を持つことは、つよみになるはずです。



このような二つの大きなきっかけに背中をとんと突かれて、おかげさまで今さらに、視界が明瞭になってきました。
ありがたい出会いだったと思います。

最後に、具体的に自分自身にとっての「健康」とはなにかを書いておこうと思います。
これは私が目指しているものであり、達したときにはそれをキープしていきたいと願うものです。

これは、歳を重ねるごとに、また自分の環境の変化によって変わるかもしれません。
でも、変わったら変わった時に合わせて、新しい自分という「いのち」にとっての「健康」に適応できる感度と意思と実行力を持つことも、とても大事なことだと思っています。


私にとっての「健康」とは、

・全身の皮膚が血色良く、適度に温かく、水分と張りがあって元気なこと 
・それぞれの臓器が活き活き活動してくれていること         
・食事が体と心を作ることを感じ、そのためにふさわしいものを感謝しながら美味しく食べられること                    
・自分の意思が明瞭で、それが体の隅々までスムーズに伝わっていること
・思考が透明で偏りがなく、感じ方が鮮やかで深いこと        
・自分が心から好きだと思うことに全力で取り組めること       
・自分と同様に他者の健康を願うこと 
              


それを叶えるために私に必要なことは、

・ご飯とお味噌汁を中心に菜食をすること
・可能なかぎり12時に就寝し、七時間半の睡眠を取ること
・適度に有酸素運動、ヨガ、プールへ通うこと
・よく歩くこと
・太陽の光を浴びること
・定期的に自然の中へ出向くこと
・好きなことを諦めないこと


以上のことです。

ああ、もっと若いころはこんなこと、考えるよしもなかった!
だって、なにもしなくても健康だったから。

八十まで生きたいので、まだ二十代ですが、それでもそれ相応の歳なりの変化を沢山感じています。
できていたことができなくなったり、当たり前が当たり前にいかなくなっていることを、ちゃんと感じています。

それを喪失と思ったりしないために、自分の「健康」は自分が引き受けなくてはならないと思っています。
他の誰も代わりに責任持ってくれない。
思いは交換できても、体は、「いのち」は、交換できない。

とくに一番大事に思っているのは、
「食事」「好きなことを諦めないこと」です。

私はアトピーになってから食べ物ひとつではっきりと皮膚に症状がでる、ものすごく敏感な状態にあります。

肉、乳製品、卵はもちろん、白砂糖はおろか果物の糖分にも、ちょっとした香辛料や油にも反応して、皮膚がかさかさになったり、赤くなったり、臓器に影響もでますし、大量の吹き出物もできます。
漢方の先生は、唐辛子などスパイスにも反応すると言っていました。
たしかにキムチ鍋を食べるとピリピリ皮膚がかゆくなります。

まったく感心してる場合じゃないですが、ものすごいセンサーだな、と自分でも思います。

何よりお米とお味噌汁を食べないと、体と心のバランスが崩れていくのを感じることができます。

嘘のようだけど、この二大柱が二日と欠けると、体も頭も疲れ、心はいささか麻痺気味になり、ただしい選択ができなくなります。
自分の中の統一性がなくなり、あらゆることが回らなくなります。

「お米とお味噌汁」を中心に、野菜と少しの白身魚を食べています。
今はお米の加工品でも便通ががらっと変わってしまうほどです。(米麺、米粉パンなど)
砂糖、添加物なしのおせんべいもダメですね。
小麦アレルギーがあるので、小麦のものも一切摂れない。
どうやら炊いたお米がベストみたいです。
毎日じぶんの身体で実験しているみたいですよ。

どんなものを食べてどんな発見があったのかなど、自分で試したことをInstagramにたまに載せてるので、よかったら覗いてみてくださいね。


この状態をつづけて、「自分自身のベストな状態を知る」ことが今のわたしのミッションです。

私にあるこの感度を煩わしがるのではなく、「感じないこと」を願うのではなく、自分というたったひとりの「いのち」の特徴として、今度こそちゃんと迎えたい。

じぶんの「健康」は、じぶんが決める。
これが、今の私の第一歩です。


昔の自分とはちがい、こういう感度を持つ自分になったからこそ、気づいたこと、学んだことを伝えたいと思います。
またこういったことを書きたいと思います。

今日、おもしろい氣流の先生の治療に行ったので、その話もまた書きたいとおもいます。
ぜひ、お付き合い下さい。

一緒に、それぞれがまたとない「いのち」を生きていることの困難だけじゃなく喜びを感じていけたらうれしいです。
「からだが資本」というのは、疑いようのない事実なのだから。

めぐ


○フリー画像素材はこちらからお借りしました○
https://www.sui-sai.jp/


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舞台「エアスイミング」

【あらすじ】
1920年代イギリス。
女性たちに様々な"社会的不適合"の烙印を押し、
監禁するための精神病院があった。
「女なのに男のように振る舞っている」
として2年間監禁されていたドーラの元に、
「未婚で好きな人の子どもを産んだから」
という理由で収監されたばかりのペルセポネーがやってくる。

独房に閉じ込められている二人は1日1時間、
日課の磨き掃除の間だけ顔を合わせることになったのだ。
家族からも社会からも葬り去られた二人は、
やがて互いの存在に唯一の希望を見出し、力を貸し合って
もう一人の自由な自分自身を想像し始める。
そのファンタジーを通して監禁という名の"無感覚世界"を
必死に生き延びていこうとするのだがーーーーー。

【解説】
ローレンス・オリヴィエ賞ノミネート歴を持つイギリス人女性作家シャーロット・ジョーンズのデビュー作(97')で、
近年ロンドンやニューヨークで上演され再脚光を浴びている女性二人芝居「エアスイミング」の日本初演。

自分らしく生きる自由を社会に奪われた二人のやりとりは、
時に血の滲むようなユーモアと慈愛に溢れ、時に哀しく、
観る者の心を掴む。
実話を基に書かれた本作は、
「自分のあり方は自分で決める」というメッセージを
21世紀を生きる私たちにまっすぐに訴えかける。

渾身の英国ユーモアで書き上げられた、
魂のサバイバルストーリー。

【公演詳細ページ】
https://stage.corich.jp/stage/94907

【チケット予約はこちらから】
(PC)
https://ticket.corich.jp/apply/94907/
(携帯)
http://ticket.corich.jp/apply/94907/




【出演】関根愛、小川祥子
【演出】栗原崇
【原作】シャーロット・ジョーンズ

【翻訳】小川公代
【生演奏】石丸耕一(ライヴサウンドエフェクト)/橘未佐子(Vn.)/深澤彩(Vn.)/関野佳介(Gt.)
【照明】五十嵐正夫
【音響】白石安紀
【振付】外山晴菜
【衣装】小林世治/チャンシー・アトリー
【演出補・舞台監督】土井宏晃
【演出助手】池側生也/浜中くるみ
【制作】福本朱哩
【特別協力】竹下かおり
【企画制作】関根愛

【会場】
絵本塾ホール
http://ehonjuku-hall.com/

東京都新宿区若葉1-22-16 ASTYビル地下
JR線・丸の内線「四ツ谷駅」赤坂口より徒歩12分
南北線「四ツ谷駅」2番出口より徒歩12分

【タイムテーブル】
12月20日(木) 19:00
12月21日(金) 19:00
12月22日(土) 13:00/18:00
12月23日(日) 13:00/17:00

全席自由席です。
受付/開場は開演の30分前です。

【チケット】
前売 ¥4,000 / 当日 ¥4,200

【その他】
・駐車スペースはございません。
・未就学児のご入場はご遠慮頂いております。
何卒ご了承下さい。

【お問い合わせ】
airswimming2018@gmail.com



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☆2018年度東京都教育委員会
「チャレンジ・アシスト・プログラム」
一部助成作品
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クラウドファンディング実施中
ぜひ応援してください!
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☆翻訳戯曲「エアスイミング」出版決定☆
訳者:小川公代/出版:幻戯書房
2018年12月(上演と同時期)刊行予定
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◯からだコラム◯

成人後になったアトピー性皮膚炎と運動性アナフィラキシーという慢性疾患を通し得た学びを、ま〜るく書いていきます。心と体のこと。食べものがつくる体のこと。
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