考えが許せないの恥

 同性愛を最近、神聖視しすぎだという声を聞いた。たしかに子供が出来ないのに睦み合いプラトニックな部分でつながり合う彼らは、とても儚く脆く見える。同じ性なのに好きになってしまう、というのはそれだけでどうしたって哀しい。
 けれど彼らにしてみたらどうか。同性を好きになるか異性を好きになるかは、遺伝上の都合だということが近年分かってきた。つまり同性愛も異性愛も同じようにどろどろと嫉妬し合い身体を奪い合う同じ”好き”なのである。別に綺麗とか儚いとか、そんなものは一切無い。汚いし醜く犇めく魑魅魍魎だ。
 蝸牛は雌雄同体だし、海老に至っては四年目まではオスで交尾をしてから五年目はメスになる。一番人間に近いチンパンジー、ボノボにいたってオスの初めての相手は母親である。メスと交尾するためにオスの相手をする魚もいるらしい。力の強いオスに取り入って、隙を見て自分の子を産ますのだろう。

 同性愛はマイノリティなんてとんでもない。彼らも普通の生存手段の副産物だ。ただなぜか西洋人は同性愛を圧制して排除したがる。日本など昔から衆道は武士の嗜みとすらされてきた。男性相手の商売も隠すことなく行われてきたし、中国でも皇帝に「帝の枕を袖を払う権利があるの自分だけ」と公然と言い放つ男の恋人が認められてきた。むしろ西洋化されて男同士を認めない方が、新しい流れだ。男性には前立腺という、尻の奥にわざわざ男性しかない性感帯がある。そういうものがあること自体、つまりは元からそういう造りになっているのだと物語っている。

 ただ女性同士というのはどうしても分からない。どうしてもなにかトラウマが、とか考えてしまう。一度バイの女性と友達になったことがあったが、父親が借金作って逃げたの兄貴に暴力振るわれてたの、とても手を出す気にはなれなかった。わたしはそういうことになっても構わなかったし、それはそれで楽しそうだとすら思っていた。ただ、男性からそういう目に遭って、ネコのバイだといわれたら、とてもじゃないが手を出す気にもなれない。オナベバーに連れてかれた日には本当に閉口した。男性は支配ゲームを楽しんでるだけだから遊びでも構わないが、女性は傷物だ。遊びで乱りに交わらないでほしいとは、わたしのわがままだろうか。

 ひょっとしたら、西洋では意外と女性の立場が高く発言も重要視されてるから、同性愛があんなに軽蔑視されるのかもしれない。自分が女性扱いされないなど言語道断許すまじ。そんな母親に育てられれば、子供はやはり同性愛を軽視して育つだろう。わたしは陰間に足繁く通う老爺を笑いながら許す江戸時代の風潮や、小便詐欺が可愛らしいという大店の主人の話が好きだ。

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