題名のない乙女たち

#百合 #創作百合 #女子高生 #R15

 きらきらとか、ふわふわとか。そういうオノマトペが彼女の周りを飛び跳ねている。遠山サナ。今日も彼女の周りではクラスの中でもかわいい女子が、休み時間ごとに集まっていた。
 「サナ、あの先輩とはどうなったの?」
 「あの先輩?」
 「ほら、バスケ部の二年の、中村先輩。こないだまた話しかけられてたじゃん。あの人絶対サナ狙いだよ」
 「えー、でもあの人ちょっとチャラくない?去年二股かけてたって部活の先輩言ってたよ」
 「メグの部活って天文部でしょ?ほとんど活動してないじゃん。そんなことよりサナはどうなの。デートとかしないの?」
 「えー、そういうのは別にいいかなって。あの人のこと、あんまりよく知らないし」
 彼女はそういう話を振られると、いつも困ったように笑って流す。問い詰められたら、彼女は少し悪戯っぽい顔で、「ひみつ」って。それがあんまりかわいいものだから、誰も何も言えなくなってしまうのが常だった。
 一方私はというと、次の時間割の準備をしながら、じっと身を潜めていた。教室に充満する雑多な声が私の感性の枝の先を削りとっていくのを感じながら、それでも下手に人気のない所に逃げて純度の高い悪意に遭遇するよりはマシだと自分に言い聞かせ、その思考もまた声の波に浚われる。私は脳内で言葉がバラバラにほどけて、意味の無い文字のがらくたと化すのを、他人事のように眺めていた。

 放課後、私の部屋。彼女はいつものように唐突にやってきて、そしていつものように私を犯した。私を責める彼女は、学校での振舞いとは裏腹にニコリともしない。ほとんど泣きそうな顔で私を組み敷いて、嗚咽のようなキスをする。
 彼女が友人と恋愛の話をしたがらないのはそういうことだった。それは同性愛がどうとか、あるいは相手がクラスでも鼻つまみ者の私であるからなのか、私には分からなかった。ただどちらにせよ、彼女は私という恋人を大っぴらに喧伝するつもりが無いことだけは確かだった。
 学校で談笑する可憐な彼女と、私を犯す暴力的な彼女。どちらが彼女の本性かと言われれば、多分前者だろう。華奢で、愛らしくて、庇護欲をそそる少女。それが彼女だ。しかし一個の人間がそれだけであるはずがない。生きていれば多少の暴力衝動を覚えるのは当然のことで、彼女の場合はその形が私の被虐欲求にピタリと噛みあったのだった。
 
 「結局、例のナントカ先輩とは実際どうなの?」
 「何それ。今こうして貴方と居ることが答えでしょ」
 行為の後、私はつい彼女に尋ねてしまった。私と彼女を繋ぐのは彼女の行動だけで、それはつまり彼女が飽きればこの関係が終わることを意味している。
 「もしかして、休み時間の話聞こえてた?気にしなくていいよ、あんなの。本気で言ってる人なんて一人もいないんだから」
 「そうは言っても、気になるものは気になるわよ。遠山さんはかわいいんだから、狙ってる男子も大勢いるでしょう」
 「そうね。私はかわいいよ」
 そう言った彼女は欠片も嬉しそうでは無かった。むしろ白けたような口調で、私は少し怖くなってしまった。
 「でもそれって、私に魅力があるってことなの?『かわいい女の子』なんて、本当はどこにもいないんじゃない…」
 「どういうこと…?」
 「だから、『かわいい女の子』っていうのは、私たちの頭の中にだけ住んでるフィクションなの。この時代の『かわいさ』の方程式に代入して、たまたまクラスで一番高い値が出たのが私だっただけ。みんなありがたがってるのはその値の方で、生身の私じゃないのよ。それとも、配役って言った方がわかりやすい?」
 「『かわいい女の子』の役を押し付けられたから、嫌々やってるってこと?」
 「そこまで悪く思ってるわけじゃないけど。というより、私の意志や好悪が挟まる余地なんて無いって方が正確かな。私だってクラスの友人と喋ってるときは、疑いもせず『遠山サナ』をやってる。家族といるときも。」
 「それなら、ちょっと分かるかもしれない」
 その否応なさは、私にも心当たりがあった。中学の頃の部活で、私はいじめとも言えない程度の冷遇に遭った。それはせいぜい軽い陰口や無視で物的被害も無く、何よりすぐに収まった。だが問題はそこだったのだ。その冷遇は持ち回り制だった。一年後には、私はあんなに憎んでいたはずの加害者側に立っていた。私自身の醜さは、私が受けたどんな仕打ちよりも深く私を傷つけた。
 「誰かといると私の意志なんて無くて、ただ漠然とした空気だけが場を支配してるような感じがする。ふと我に返って、すごい不快感に襲われるの」
 「うん。私もそういう、空気の権力みたいなの嫌い。というか、私にかく在れと命じるものは全部嫌い。名前なんてその最たるものだし、言葉だってそうよ。本当は貴方の名前も呼びたくないし、貴方に『好き』なんて言いたくないの」
 「私のこと、好きじゃないの?」
 「そうじゃないけど、でも、誰が考えたのかも分からない『好き』なんて言葉に、私の感情が全部乗っかると思う?私は思わない。絶対に欠けてる部分があるだろうし、思っても無い意味が乗っかる。言葉にしたら、言葉の許す範囲でしか表現出来ないのよ。そんなの、ほとんど嘘と同じじゃない…」
 「だから、私とするときに何も言わなかったの?」
 「うん。貴方が私を受け入れてくれて、本当に嬉しかったの。だから、嘘なんてつきたくなかった。本当の想いだけを伝えたかったの」
 そう言った彼女は、情事のときのような泣きそうな表情だった。あるいはこの表情は、言葉に出来ず溢れそうな想いを堪えているのかもしれないと、このとき唐突に思い至った。
 「じゃあ、恋人関係は辞めにしよう」
 私の口は自然と動いた。これが自分の意志である確証も無かったが、泣きそうな顔をした彼女を前に、黙っていることも出来なかった。
 「私たちの関係に名前は要らない。想いにも名前は要らない。二人だけなら、お互いの名前だって必要ない。」
 「うん、そうする。私の想いは、全部唇と指先に込めるよ」
 言葉という貨幣が信用出来ないなら、感情の遣り取りは物々交換でするしかない。つまり、肌の温もりであり、粘膜の熱さだ。
 声にならない想いが、私の唇を覆った。合わせた掌がこちらを押して、私をシーツに縫い付ける。
きっと、彼女が言葉に飼い馴らされるまでは、私が用済みになることは無いだろう。たとえ捨てられても、剥き出しの彼女を知っているのは私だけということになる。それは救いのようであり、同時に呪いのようでもあり、そしてそんな考えも神経を伝う甘い熱が押し流していった。

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