〜イタリアと泣いた夜〜 98年フランスW杯
16歳当時の私は、サッカー観戦に夢中でした。
当時の憧れも今と変わりなく、イタリア代表。
98年フランスW杯。
日本が初出場で列島が沸いていたのを鮮明に覚えている。
アイドル
ただ私は
イタリア代表が大好きで、どうしても優先度は日本代表よりも上。
私のアイドルはジャンルカ・パリュウカ。
90年代を彩ったGKで
何がいいかと言われれば
”顔”と”魅せるセービング”
誰もがダメだと思った瞬間でも彼は派手なセービングでチームを鼓舞する。
心を奪われていた。
二者択一
”舌禍事件”で代表を干されていたパリュウカなのですが、97年に代表復帰。98年当時は代表の正GKは”ペルッツィ”か”パリュウカ”かと国民を二分する問題。
No.10は”デルピエロ”か”バッジョ”なのかと同じくらい盛り上がっていた。
勿論、優勝候補でもありワクワク感が止まらなかった。
98年W杯直前…
正GKはペルッツィで決定した矢先…怪我で辞退。
パリュウカに巡ってきた正GKの座。代表でも4年前に正GKでありながら、1発退場であったりと準優勝はできたものの、本領を発揮できていなかった。
98年W杯開幕
試合が始まるにつれ心臓がバクバク。
順調に勝ち進むも、勝ち進むにつれ私は見る事が苦しかった記憶があります。
準々決勝 VSフランス
そして…クォーターファイナル。
相手はジダン擁する、地元フランス代表。
あの時のパルク・デ・フランスでのフランス国歌を聴いた時、身震いした。これが地元で優勝するんだ!という国民の想いを感じ、余計不安になった。
一進一退で、スコアレスが進む。
サッカーでのスコアレスが進む展開が1番心臓に悪い。ずっと重苦しいのに、試合が始まった時間が日本時間の深夜で眠気が襲う。
どこかで眠りに落ちていたのだが
ハッとしてすぐに目を覚まし
延長に入って、イタリア代表に最大のチャンス!
後方からのロブパスをバッジョが右足でダイレクトボレー‼︎
フランスのGKバルテズだけでなく、観ている世界中の観客の時間を止めたシーン。美しすぎるシュートだけでなく、ゴールのイメージもできていた。
しかし
外れた。
この瞬間、私はイタリアの勝利ないと確信。
結果、PKまでいったのだがイタリア代表は敗戦し、フランスをあとにする。
ずっと夢であってほしいと思う日々が続いたのですが
現実にかえり
負けたんだということを飲み込み、日常を過ごしていました。
それでも個人的には
パリュウカがW杯に出場し、良いプレーが観れたことと
バッジョが魅せたマジック。
年齢を重ねた今でも良い思い出です♫
あの頃と変わらず現在でもセリエA中心にテレビ観戦を楽しめるのは
あの時のフランス×イタリア戦があったからこそ。
私の心の一部は、どこかで、あの時間から止まっているのかも知れません。最高の瞬間にリアルタイムで観れたことは一生の宝物。
この試合を観たことのない方にも、観れる機会がありましたら、ぜひ一度ご覧になってほしい試合の一つになります。
それではまた。
”あなたの応援“が『私の支え』になります♬