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前略、関東平野#18しゃばぞう

私の田舎の子供達は、小学校から中学校を卒業するまで、ずっとヘルメットを被らされました。

何から頭を守っていたのかは、誰も知りません。あの町だけ、まだ戦争が続いていたのかも知れません。

今考えると子供の頃、確かに危険が身近に溢れていました。

例えば何処かで火事があると、必ず近所の婆さんが「あそこは昔、首切り場だったから」と言って来ました。

事故が起きた時も言って来ます。何でも言って来ます。誕生日おめでとうの変わりに言って来ます。ばばあの座右の銘です。ばばくだまです。

奥さん、ばばくだまは子供には危険です。ヘルメットの顎紐を強めに締めてあげて下さい。

私の田舎では、毎日、朝と夕方に山の上にある寺から鐘をつく音が聞こえて来ます。しかし誰がその鐘をついているのか、誰も知りません。見た事もありません。

それがある時、有力情報が飛び込んで来たのです。何でも、その寺に乞食が住み着いていて、その乞食が鐘をついているのを見たと言う奴が現れました。

しかもそいつが言うには、その乞食は松ぼっくりにマヨネーズをかけて食べていたらしいのです。

信じるか信じ無いかは僕次第です。勿論信じます。今でも信じてます。僕もやってます。糖質制限です。

奥さん、松ぼっくりにマヨネーズをかけて食う乞食は、子供にはとても危険です。ヘルメットの顎紐を強めに締めてあげて下さい。

正確に言うと私の町には小学校が三つ、中学校が一つだけありました。

小学校でヘルメットを被らされていたのは、私が通っていた小学校だけでした。

私の家の隣が空き家だった為、良くいろんな家族が引っ越してきました。

私と弟と全く同じ年の二人兄弟が越して来た時があって、良くその兄弟と遊びました。お互いに小学校二年生ぐらいの時だったと思います。

その二人は私とは別の小学校に通っていたから、ヘルメットは被っていませんでした。

遊ぶ時、いつもお兄ちゃんはジーパンのポケットに直接入れて来たナスの漬物を手掴みで取り出し、「食べる?」と言ってくれます。

勿論、断ります。食い気味で断ります。食い気味の食いは食いたいけどの食いではありません。たまに食います。

その兄弟がある日、父親の知り合いが美容室を始めたので今日お父さんとその美容室に行って来ると嬉しそうに出かけて行きました。

美容室から帰って来ると、父親、兄、弟、の三人は全く同じ髪型をしていました。

三人ともパンチパーマです。大人1人子供2人パンチです。近所中がざわつきました。

その家族はまた直ぐに何処かへ越して行ってしまいました。

私が中学生になった時、その二人が通っていた小学校出身の奴に「◯◯って知ってる?」と聞いてみました。

「ああ、パンチだったら引っ越して別の中学に行ったよ」

やはりです。パンチパーマのせいでいじめられて、あだ名はパンチになっていました。

もし彼がヘルメットさえ被っていればと思うと悔やんでも悔やみきれません。

奥さん、パンチパーマは子供には危険です。ヘルメットの顎紐を強めに締めてあげて下さい。











右や左の旦那様、どうかこの惨めで哀れな三人にお恵みを・・・