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武器はたくさんある方がいい(Reprise)

昔、ある楽器メーカーで教わった重要なこと

今日、偶然、この記事を読んで、遠い昔、社会人一年生として就職した楽器メーカーでのことを思い出した。

当時、ぼくも自社で製造した楽器を売り込みに楽器店を回ってルートセールスする営業マンだったから、そういう意味では本を出版して書店を営業で回るのとまったく同じ。

でも、1981年のその当時でも、取引先の店頭で煙たがられながらも毎月シェア調査をしてたから、この市場では、いま、どこのメーカーの何が売れてるかはちゃんと掴んでた。今考えたらすごい会社だったなぁ。

…とツラツラ考えてたら、そういえばそのことを書いたブログがあったな、と思い出した。あれどこやったっけ…あ、あったあった。げ、もう3年も前か!

ということで、またもや再利用で申し訳ありませんが、今日の記事は、2016年9月13日のブログジェリーで書いたものを一部編集して転載しています。なお、ルートセールスの話は後半からで、前半はだるいので飛ばしてもらっても構いません。あ、それと、「それ前読んだがな」という方はスルーしてください。かしこ。
では、ここから

・・・

最近、ひとつの道具だけで仕事しててはいけないんじゃないか、とよく考える。

身近な話をすると、ウェブサイトの制作で使用するソフトやサービスなんかも、ただひとつにこだわるんじゃなくて(使い慣れてるのは判るけど)、他にもいろいろ使ったほうがいい、というか、使えるべきじゃないかという話。ま、例えば、WordPressだ。

これひとつで、ある程度、サイト制作ができる。参考書やチュートリアルも多い。デザインテンプレートもプラグインも豊富。うまく選べば全部無料だし。コミュニティも活発で楽しい。Automatticの企業理念も共感できる。だいいち、みんな、使ってる。← ここか。

こんなぼくでも、以前、もう10年ぐらい前かな、シコシコこれでサイト作ってたので、使いたい人の気持ちはよく判る。でも、人様のサイトをお代をいただいて作って差し上げようという時、手駒がこれひとつではやっぱり無理があるわけで。

そんな時、「じゃあ、こっちのツールで考えてみよう」というオプションを持っているのと持っていないのとでは、そのクライアントに対する誠実度がぜんぜん違うように思う。クライアントの要望を満足させるためには、どれが最善か、を考えるということだけど。

なんて書くと古いと言われそうだが、マジでそう思ってるので赦してたもれ。

ま、ぼくが飽き性だから、ということも考慮してもらって一向に構わないが、いくつかの選択肢があるということは、武器をたくさん持ってるということだと思う。だいいち、仕事の幅が広がるし、そうすれば泣く泣く断るということも少なくなるはずだし。もったいないですよね、断るの。断るだけマシだけど。

とどのつまり、WordPress使い(ま、例えばの話で、他のなんでもいいんですけど)になってるだけで、それはユーザーであっても仕事人ではないのかもしれない。「得意だからこれだけでいい」というのと、「これしか知らないから何が何でもこれで行く」というのは紙一重かも。

というか、自分の使ってる武器に無理やりはめ込むことを良しとするのは、ちょっとキケンかなと。

そういえば先日、「クライアントに言われたとおりに作るのだったらそれは単なる制作者であってデザイナーではない」という記事を何処かで読んだな。このブログの趣旨と直接関係ないが、根っこは同じかもしれない。

…。

そんなことを考えてたら、ずいぶん昔にお世話になった会社で教わったことをふと思い出した。ちょっと脱線するかもしれないが(またか)、そのことを書いておく。

静岡は浜松の小さな楽器メーカー、仮にT海楽器としておこう、ピンとくる人もいるかもしれないけれど、ぼくは学生時分にそのメーカーのギターが気に入って、あげくにそこに就職した。

ぼくが、自前で作った製品に自分でブランドを付けて自分で値段をつけて自分で売る、ということを最上のビジネススタイルとするのはそこで染み付いたDNAのなせる技だと思っているが、その話は別の機会にしよう。

研修の後、ぼくは大阪営業所に配属された。自社工場で製造した楽器、主にギターだ、を特約店(要するに楽器店)に卸売販売する営業マンとして社会に出た。担当エリアは京都と滋賀、のちになぜか山口も加わる。この3地域には相当鍛えられた。

当時のT海楽器の常務は大場さんと言って、シベリア帰りという話だったからそのころもう結構なお歳だったはずだが、この方から浜松弁で厳しく言いつけられていたのは

店頭に陳列されている自社のギターの本数が、全体の3割を超えてはならない

ということだった。

え?と思うだろう、普通。たくさん並んでる方が売れる確率が高いはず、と誰もがそう思う。「だって、目立ってるじゃん」

ぼくも最初はそう思っていた。で、そのうち、その言いつけを忘れてしまった。

当時、四条河原町にT海楽器のシンパと言っても過言ではないショップがあった。つまり、スタッフからしてT海楽器の大ファンで、T海楽器の製品なら、とにかくなんでも置いてなんでも売ってくれる、ぼくにすれば神様みたいに頼りになるショップだ。仮にBザー楽器としておこう。あのミシンで有名な…、ああ、まあいい。

ある時、あんまりよく売ってくれるものだから調子に乗ってどんどん売り込んで(これを押し込む、という)、店頭陳列はいつのまにやら4割近くになっていた。すると、突然、それが起こった。パタっと売れなくなったのだ。

もう、はっきり判る、その変化。全然売れない。なにこれ?こないだまでのあの勢いは、今いずこ?

それも、T海楽器の製品だけではない。ショップ全体の売上が激減した。

そこで常務の言葉を思い出す。

店頭に陳列されている自社のギターの本数が、全体の3割を超えてはならない

あ、常務が言ってたのは、これかと。

さて、ここでクイズです。なぜ、売れなくなったのでしょうか?2回まで答えられます。

はい、答(はや)

陳列シェアが3割を超えると、人間の目には、そのショップにはT海楽器のギターしか置いていないように映るから

です。

つまり、ぜ〜んぶ、T海のギターに見える。え、本当に?本当なのだ、これが。

そして、何が起こるかというと、もうお分かりだろう。そう、客は選択肢を奪われたと感じてそのショップを敬遠するのだ。「ここでは、私は自分の気に入った商品を選ぶことができないのね」という、大袈裟に言うと自由を奪ってしまうやり方は当たり前だが賢明ではない。

あわてて陳列シェアを3割以下に戻したのは言うまでもないが、元の客足を取り戻すまでに随分時間がかかったのを覚えている。まあ、ぼくもそのショップのスタッフさんも若かった。若気の至りというやつだ。いい勉強になりました。

それ以来、ぼくはその会社を辞めるまでその教えを守り通した。自社製品のシェアが低くとも、結局はそれがショップの売上に貢献できると身を以て学んだからだ。

要するに、売り込むことをやめた。その代わり、業界情報を伝えることに時間を使うようにした。東京の情勢がわかれば、その2ヶ月後には京都でも同じ動きが起こるからだ。

それを話して回り、自社だけではない他社製品も含めてショップの品揃えをアドバイスするなんて営業マンは当時ひとりもいなかった。しかし、そうしていくうちに信用を得るようになった(本人談)。

しまいには、倉庫にまで入り込んで「(他社の)これとこれは返品して、(同じその会社の)あれとあれとに入れ替えたほうがイイですよ」なんて、その会社の営業マンが聞いたらびっくりするようなことをやっていた。それが、後述のあの日の電話につながる。

残念ながら、T海楽器はその数年後、いろいろ手を広げすぎて経営に行き詰まり、ついに和議(今で言う民事再生)を申請するに至る。日経新聞に自分の会社の名前が載ったのを見たのは、悲しいかなその時がはじめてだった。ぼくらには寝耳に水のできごとだった。その日の朝、営業所の電話は鳴り止まなかった。こんな感じ。

「あんたんとこ、潰れたらしいな(いや、まだ和議の…)。潰れた会社の製品は保証が効かんから、ぜんぶ返品するわ(いえ、ですから…)。今日中に取りに来てや(ガチャ)」

日頃からの付き合いも何のその、そういう時の世間の風は、当たり前だが、冷たい。ぼくは、返品を要求するショップを説得に回る先輩や同僚にくっ付いて、ほうぼうのショップに出向いた。そう、ぼくの担当エリアではなく。

その日、実は、ぼくの担当するショップからは返品の電話はまったくかかってこなかった。かえってそれが不気味だった。午後も遅くになってから、ただ一本だけ、京都からかかってきた。

「伊藤ちゃん、聞きましたでぇ、エライことになりましたなぁ。けど、あんた、こんなことぐらいでくじけたらあきまへんでぇ。気ぃ、しっかり持って、頑張りや〜。いや、それだけ。ほなな〜(ガチャ)」

甘いも酸いも味わい尽くした熟達の経営者の優しい気遣いは、そのはんなりした語り口とは裏腹に、ずしんと重かった。そして、有り難かった。

陳列シェアは単に数字の話だけではない。我々営業マンが、ただの出入りの御用聞きではなく、そのショップの経営に深く関わっているということを忘れるなという啓示だ。それはいつでも店頭にある。

そしてまた、ショップはたくさんの選択肢を客に提案できなければならない。でなければ見切られるだけだ。あなたは頼りになるのかどうか。陳列シェアは、それができるかできないかを、そのまま現している。

選択肢はクライアントにとっては自由の証であり、仕事を請ける方にとっては武器だ。武器はたくさんある方がいい。

そのことを大場常務から教わった。というか店頭で教わった。ちなみに、そのT海楽器の製造ラインは今でも動いているそうだ。よかった、よかった。

・・・

ということで、最後までお読みいただき有難うございました。

この記事は「ブログジェリーマガジン」にも収録しています。よろしければ、そちらもご覧ください。で、フォローなんぞしていただければ大変ウレシイです。よろしくです。

ではまた。

Photo by kychan on Unsplash

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